第8話 妖精の住む森
光人が目を覚ますと、ジェンの呆れたような顔がまず目に入った。
「おい、起きたか?」
「う、ん……?」
「まったく、移動だけで気ィ失うなんてな……先が思いやられるぜ。」
ジェンの顔が退くと見えたのは抜けるような青い空。白い雲。平和そのものを形にしたような風景に光人は目を見開いた。もっと殺伐とした場所に送り込まれるのだと思っていたのだ。気を失ってもなお握りしめたままだったらしいサーベルとのミスマッチに、呆然とする。
「……おい、まだ寝てんのか?とりあえず立て。置いてくぞ。」
「ご、ごめん。なんか、思ってたのと違ってて……。」
「本来は移動する前にちょっと本そのものを読んで確認したりすんだけど、今回は確認できるほど残って無かったからな。正直オレもこんな長閑なとこだとは思わなかった。脅かして悪かったな。」
ジェンの右手を借りて立ち上がり、周囲を見渡す。どこまでも広がっている芝生に覆われた地平線の反対側、光人たちの後ろには小さな森が広がっている。
「たぶん、生存者がいるとすりゃこの森だな。」
「そうなの?」
「おう。『登場人物』として誰かが残ってるなら、舞台が必要になる。……あそこまでタイムイーターに食われてて、これだけ真っ平らってこたぁ、物語の舞台として成り立ってんのはもうこの森しかねぇだろうからな。対して大きいわけでもなさそうだし、さっさと済ませるぞ。」
森へと足を踏み入れると、じっとりとした湿気に包まれる。しかし、道は舗装されているとは言えないものの、人が通れる程度に道ができており、頭上にはやはり青い空が垣間見え、思ったよりも開放感のある状態に光人は一人安心していた。相変わらず大股で歩くジェンに置いて行かれない程度に周囲を見ながら歩く。時折木陰や茂みに動きの止まった小動物の姿があることだけが、この世界が危機に瀕しているのだと教えてくれる。――と、その中に気になるものを見つけた。
「ジェン、あれなんだろ。」
「あん?おい、勝手に移動すんなって。」
ふらりと移動しようとするとジェンの鋭い声に咎められた。約束を早速破りそうになったことに申し訳なさを感じながら、彼が前に出るのを見送る。光人が指差した先にあったのはやはり動きを止めた小動物だった。しかし、光人は宙に浮いたまま静止したそれを今まで実際に見たことは無かった。小さな人型の体に薄く透ける虫のような羽が背中から生えている。それは間違いなく――
「妖精だな。たぶん。」
「えぇと……つまり、ここは妖精が実在する世界ってことになるの……?」
「そういうことだ。珍しくねーぞ?妖精が出てくる話なんていくらでもある。オレがいたところも――いや……なんでもねぇ。」
言葉を詰まらせ、ジェンはそっと伸ばしていた指を引っ込めて宙に浮いたままの妖精から離れた。
「行くぞ。歩き回って探すしかねぇからな。……あ、疲れたらちゃんと言えよ。周りの時間が止まってる分、体内時計狂いまくるからな。」
「……ジェンってさ。」
「ンだよ。」
「もしかして結構面倒見いい?」
「……うっせ。」
目つきの悪さも、睨みつけるその視線も、粗野な物言いすらも、恐らく自分が勝手に怯えていただけで彼にとってはいつものことなのだろう――と光人は確信した。荒っぽく頭を掻きながら、ジェンはまたこちらに背を向けてしまった。すぐに大股で歩き出すのかと思いきや、光人が動くのを待っているらしい。やはり、面倒見がいいことに間違いはなさそうだった。後ろに着くと彼は進み始める。
「にしても、昼の状態で時間が止まってるのはありがてぇな。」
「夜の時もあるの?」
「ああ、フツーにある。そういうときはめちゃくちゃ大変だぞ。明かりもなんにもねぇ夜の樹海に放り出されたりすっと、光とか炎とかのエフェクト持ちがいないと一時帰還になったり、応援を要請することもある。」
「……そういうとこじゃなくてよかった。本当に。」
「オレも新入り連れてそんなとこ行きたくねぇ。」
相変わらず歩きながら周囲を見渡すが代わり映えのない様子で、時折中に浮かぶ妖精も段々と見慣れたものになっていくのが光人には少しだけ恐ろしかった。温暖な気候は、湿気や緊張の具合もあってか歩き回る二人にじんわりとした汗をかかせる。大した効果は得られないと知っていながらも思わず手で自分の首のあたりをあおいでしまう。その様子に気づいたのか、ジェンは歩調を緩めた。それとほぼ時を同じくして、二人の視線の先には森の出口があった。
「思ったよりもちいせぇなこの森。休憩しながら一回外に出るか。」
「そうしてもらえると助かる……。」
「貧弱だなお前。」
「今気づいたけどご飯も食べてないからなぁ……。」
「……お前のせいでオレもまともに飯食ってねぇの思い出しちまったじゃねーか。」
「俺のせいなの?ソレ。」
「この森、食えそうなモン無かったしな……どうすっか……。」
ひとまず森から出て、光人は大きく深呼吸をした。思ったよりも閉塞感の無い場所だったとはいえ、晴天の下には敵わない。すう、と吸った息は緑の香りがした。やはり平和な空気そのものだ。ジェンが動きを止めたままのリスのような生き物をつまみ上げようとさえしていなければもっと平和であった。とはいえ、彼はそっと手を引いて断念したようなので胸を撫でおろす。そのまま食い始めたらどうしようかと少々心配していたのである。
「……流石にやめとくか。」
「いつもこういう時どうしてるの。」
「長期戦になりそうなら食事も持ってくる。あとは現地調達。」
「現地調達かぁ。なんかちょっと怖いなぁ。」
「おう。あんまりおススメしねぇ。水が合わないことも多いし、俺たちにとっては常識的に食ってるものがその世界では毒物だったりすっからな。林檎食って死にかけた奴とかいるぞ。」
「えぇ……じゃあ毒キノコが見分けられるようになってもあんまり意味ないのかな。」
「そうだな。とはいえ見分けられればその方がいい。……まぁ、今回はさっさと生存者も見つかるはずだし、飯はなんとかなるだろ。この先は道になってないようなところも入るから、気を付けて歩けよ。」
しばしの休憩の後に再び森へと足を踏み入れ、ジェンは宣言どおりに道のない木々の隙間へと足を踏み入れていく。足元に小動物や妖精がいないかを気にしながら踏み込むと湿度の増した空気が肌に纏わりつく。少々不快に思いつつ、こちらを確認しながら先行するジェンの背を追いかける。――その時、光人は木の根に足を取られて盛大に転んだ。そして咄嗟に着いた手に固い感触。すぐにその固いものが押し込まれるような音と、直後に光人に襲い掛かったのは浮遊感であった。
「は――……?」
光人は唐突に地面に空いた暗い穴へと落下していた。異変に気づいたらしいジェンの怒鳴るような声が聞こえる。
「――――光人!!」
ジェンがこちらに手を伸ばしている。逆光で表情が分からないが、必死な声はいっそ悲痛であった。その全てがいやにゆっくり見える。思わず届かないと悟りつつ腕をジェンへと伸ばしたところで、光人の全身を爽やかな風が包み込む。感覚だけではなく実際に光人の落下速度は次第に緩和されて、ふわりと驚くほどに安全な速度で穴の底へと光人は降ろされた。遅れて落下してきたのは思わず手を放してしまったサーベルであった。こちらも比較的ゆっくりと落下したものの、重い音を立てて鞘に収まったまま傍らに転がる。ドクドクと心臓の音が聞こえる。光人は自分の身に今起こったことを理解して全身から汗が噴き出した。
「おい光人!?生きてるな!?」
「い、いき、いきてる。」
「そっち行くから動くなよ!!」
上で叫ぶ彼に聞こえたのかどうかは分からないが、光人は震える声で答えた。そう、生きている。ジェンは自身のエフェクトを上手く使ってゆっくりと光人の前に降り立つと、すぐにしゃがんでへたり込む光人の肩を掴んだ。
「気を付けて歩けって言っただろ!?オレのエフェクト発動が間に合わなかったら死んでたぞお前!!」
「……ごめん。」
事実を言われたことで更に強く、ついさっき自身が命の危機にさらされたのだという実感が湧く。呼吸の荒い光人を見てこちらは少し落ち着いたのか、ジェンは声のトーンを落とした。
「……けがはないな?」
「な、ないです。」
「なら、とりあえずいい。……怒鳴って悪かった。」
彼はバツが悪そうに視線を逸らすと、落ちていたサーベルを拾い上げて光人へと差し出す。光人はそれをふるえる手で受け取り、抱きしめるようにしてから大きく息を吐いた。生きている、生きている、と自分に言い聞かせ、サーベルを杖代わりにゆっくりと立ち上がった。
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