第6話 当面の目標

 かくして、サジェの用意していた服は光人にぴったりのサイズであった。服はもちろん、靴までもが驚くほどに軽い。今まで来ていた入院着のようなものを畳んでいると、サジェが小さく笑うのが聞こえた。


「?」

「律儀じゃのう。まぁ、よかことじゃ。その畳んだのは棚の上に置いといてや。」

「はい。」


 そうして光人がサジェの指示通りに棚にそれを置いてから座っていた椅子へと戻ると、丁度ドアの外側から声が聞こえた。


「ジェン・フランカです。」


 サジェは手動で鍵を開くとジェンを室内に招き入れた。輝くような緑色の瞳は光人の姿を認めると、眉根を寄せる。


「こいつのことですか。」

「そうそう。まぁ君がここに呼び出されるとしたらこの子についてじゃろうなぁ。エフェクトについての説明をしていたわけだけど。セカンドエフェクトを借りておくの忘れちゃってね?事情を知ってる君に助けてもらおうってわけさね。」

「はぁ。って、じゃあオレはまたこいつにエフェクトを貸すってことですか?」

「まぁまぁ、ちゃんと受け渡しができることは分かってるし、頼むよ。」


 疑うような眼差しを向けられて光人は少しだけ首をすくめた。やっぱりこの少年に頼むのは間違いじゃないのか、とサジェを見ると彼女はウィンクして見せた。安心しろという意味なのか、仲良くしろと言われているのかは分からないが、どちらにせよ助け舟を出すつもりは無いらしい。仕方がない、こちらも頭を下げるべきか――とジェンを見遣ると、バッチリと目が合った。


「おい。もう体調は大丈夫なのかよ。」

「……へ?」

「へ?じゃねぇ。大丈夫なのかって聞いてんだよ。もう目眩とかしないのか?」

「あ、う、うん。治った。あ、そうか、君が運んでくれたんだっけ?」

「そうだぞ。あの程度でぶっ倒れやがって。」

「ごめん。その……ありがとう。」

「……おう。そういやまだ名乗ってなかったな。ジェン・フランカだ。」

「篠宮光人です。」

「ん。」


 頷くと、ジェンは自ら左手を出して光人の左手を掴んだ。少しだけ体が軽くなるような感覚に、光人はハッとして彼を見上げる。


「なんだよ。なんか変か?」

「体が軽くなったような気がする……?」

「オレに聞かれても困るっつーの。エフェクトが入ったからじゃねぇのか?わりとそういうことあるぞ。」

「あぁ、光人君、さっき私のエフェクト借りてもなんともならなかったんよ。……うーん、どういう基準なんじゃろな。ジェン君のエフェクト借りるのが二回目だからかの?もう一回身体検査もさせてほしいけん。よかと?」

「はぁ。」


 サジェはほとんど光人の返事を待たずにデスクへと戻って行った。ジェンの手はいつの間にか離れていて、その目がやはり光人を観察していた。先日のような居心地の悪さは軽減されたものの、やはり威圧感を覚える。サジェがカタカタとキーボードを叩く音だけが響く状態は光人の背中に冷や汗を流させた。


「えーっと、光のエフェクト?を借りると、本来どうなるもの?なんですか?」

「別に敬語じゃなくていい。……ほんのりあったかくなるらしいぞ。あと、ちょっとだけ気分が明るくなるんだと。オレはなんつーか、体質的にほかの奴のエフェクト借りたりできねぇから、わかんねーけど。」

「……そっか。」


 どうやら話しかければ会話をしてくれるらしいことがわかっただけで、光人の心はそっと軽くなった。どことなく威圧的な態度は、もしかしたら自分の勘違いなのではないか?と内心首をひねる。仕事なのだろうから当然と言えば当然かもしれないが、最初に自分を助けたのは彼だった。そしてミシュリーたちの所へと連れて行ったのも彼だ。


「おまたせぃ。はい、ちょっとこれ腕につけてな。」


 サジェは少しばかり光人とジェンの間に流れる空気が変化したことには気づいていないらしい。光人の腕にコードの生えたリング状の器具をはめ、楽しそうにモニターを眺めている。彼女は感嘆の声を上げると、やはり興味深そうに一人頷いた。それを共に見守るジェンはモニターを見てはいるが眉を寄せていて、どうやら彼に理解できる分野ではないらしい。サジェはしばらくブツブツと一人、口の中で独り言を唱えた後にテキパキとした動きで光人の腕から器具を外した。検査はひとまず終了したらしい。


「お疲れ。光人君、今君の中には私の貸した光のエフェクトと、ジェン君の貸した風のエフェクトが宿っている。光のエフェクトの存在はあんまり感じないかもしれんが、ちゃんと二つ入っとる。君が一度に体に詰め込めるエフェクトは二つまで。これはしっかり覚えておいてくれ。」

「はい。……二つじゃない人もいるんですか?」

「おん。シングルとダブルってのがおってな。一つしかエフェクトを所持できないシングルの方が人数的には多いけんね。例えばジェン君はシングルだよ。シングルは、エフェクトを貸すことはできても借りることはできない。二つのエフェクトを所持できるダブルは、お互いの合意があれば貸し借りができる。……まぁ、こうつらつら言われても分からんじゃろ。その内覚えるけぇ、心配しなさんな。無理に今覚えんでもいいら。」

「オレなんていまだに混乱する。」

「君はもうここに来て長いんだから覚えんさい。」


 光人は頷いてから自身の手のひらを握っては開いてを繰り返す。今、この体にフィクションじみた能力が宿っているのだと思うと、まるで他人の体のように見えた。しかし、彼の意志の通りに手のひらは動いている。


「どした?なんか変か?」

「あ、いや……なんだか、エフェクトを借りてるっていうのがやっぱり不思議で……。」

「まぁ、上手く使えるようになるのなんてもっと先の話だろうしね。あと、この貸し借り、注意して欲しいことを言っておくよ。……君が持つ『主人公』の能力のことさね。」


 共に話を聞くジェンの目が少しだけ鋭さを増す。


「さっき、能力の貸し借りは両者の合意があってできるって言うたけど、『主人公』は、合意無しで相手のエフェクトを奪い取ることができる。」

「じゃあ、最初に俺がジェンのエフェクトを取っちゃったのは、それが原因なんですか?」

「大正解。なんなら君のおかげで基本的に素手同士でのやりとりしか出来ないはずが、主人公はその限りでないことがわかった。そんで、注意してもらいたいことはもう一つ。――エフェクトの持ち主が死亡した場合さ。」


 死亡、と聞いて光人の頭に浮かぶのは、やはり親友の赤く濡れて横たわる姿だった。


「エフェクトの元の持ち主が死亡すると、エフェクトは消失する。もちろん、借りていたとしてもだ。逆にエフェクトを貸した相手が死んだらエフェクトは自分の元に戻ってくる。まぁ、元のエフェクトを持たない君はこっちはあんまり関係ないか。」

「……今までに、死んだ人っているんですか。」

「もちろんいるさ。大切な仲間と、我々は何度も別れを繰り返した。長く生きていれば、その分だけ多くなるもんだぁね。」


 サジェの長いまつ毛が、懐かしむように影を作った。さっきまで好奇心旺盛な若い研究者だった彼女が、急に老成した空気を纏う。20代後半から30代半ばほどに見えていたはずが、光人の目には急に年齢不詳の人物に映った。


「まぁ、そんなことは何年かに一回しかないよ。それより先に君の世界を救うことが出来るかもしれないし。」

「……とりあえず、そっちに集中します。」

「そうしたまえよ。そう、もしかしなくても私、君の世界を救う方法を教えてなかったべ!」


 パン、と手を合わせてサジェはまた若い研究者の顔に戻った。そう、光人の目的は自分が超能力者になることでも『主人公』などという役職をまっとうすることでもない。ただ、自分の世界を救う――というよりは、ただの平凡な生活を取り戻すことなのだ。その方法こそ、一番覚えていなければいけないことだった。


「君の世界を救うには、結論から言うと君の世界の寿命を食べたタイムイーターを討伐する。これだけだに。まぁ、その個体探し出すのが一番難しいんじゃが、それを討伐することで君のいた世界の寿命は元通りになる。」

「たくさん居た気がしますけど、全部を……?」

「うんにゃ、タイムイーターは核となる大本の個体、タイムイーター・コアっちゅーやつがおる。そいつに個々の食べた寿命が集約されっと。つまり、その核を討伐すればいいのサ。通常のよりも大きかったりするから、見れば分かるけんね。普通のも、コアも、両方見つけ次第討伐。これが一番の近道じゃ。」


 あの白い毛玉のような生き物を片っ端から討伐する――光人の中で一つ、目標が定まった瞬間である。

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