ピアノの弾けないピアニストの君へ
日常言葉
序章 すべては、君の音から
春の匂いがした。
甘酸っぱいような、ほんの少し苦いような。
懐かしいと思った。
何処かで同じメロディを聴いたことがあるような気がして、気がつけば走り出していた。
音楽室の重く軋む扉を開いて、息を呑んだ。
桜の音がした。
青空の音がした。
ー恋の、音がした。
黒髪の女子が音楽室の真っ黒なピアノを弾いていた。優しく、壊れものを扱うみたいに。
「
そう呼んできて笑ったあの子と、重なった。
窓から、桜の花びらがふわりと舞って、僕の足元に優しく落ちる。
花びらと、僕の涙が重なった。
それが、君との出会いだった。
茜色に染まった、街が見えた。
赤い海みたいに、燃えているような。
懐かしいと思った。
何処かで同じ景色を見たような気がして、気がつけば振り返っていた。
光り輝くステージを見つめて、息を呑んだ。
夕日の音がした。
街の人々の音がした。
ー忘れていた、はじまりの音がした。
黒髪の少女が、ステージの真っ黒なピアノを弾いていた。明るく、故郷を歌うみたいに。
「南!」
そう呼んできて笑った姉さんと、重なった。
ステージから零れ落ちた思い出の欠片に、夢中で手を伸ばした。
欠片と、私の涙が重なった。
それが、あんたとの出会いだった。
冬の木枯らしが、通り過ぎていった。
寂しそうに、溜息をつくような。
懐かしいと思った。
何処かで同じ風に吹かれたような気がして、気がつけば心の中にあの歌が響いた。
静かな公園に足を踏み入れ、息が漏れた。
風の音がした。
ざわめく森の音がした。
ー去っていく人たちの音がした。
黒髪の少女が、木枯らしを吹かせるようにピアノを弾いていた。嘆きつつ、歌うように。
「風矢」
そう呼んできて笑った皆の歌と、重なった。
ピアノから流れてきた哀しい歌のメロディに、あのときの景色を思い描いた。
メロディと、僕の涙が重なった。
それが、貴方との出会いだった。
僕らの青春は、君の音からはじまったー
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