半永久的に愛してよ

猫柳蝉丸

本編

「ねえ、弘樹」

 何だよ、あや。

「これを聞いて何か思い出さない?」

 これ……って迷子のお知らせの事か?

「そうそう、弘樹ったらぼんやりしてるからよくお世話になってたよね」

 ぼんやりしていたのは否定しないが、俺がぼんやりしている間に居なくなるのはおまえの方だったじゃないか。いつも落ち着きが無くて気になったものには付いて行って、そんなおまえに俺がどれだけ困らせられたと思ってるんだ。

「まあ、そんなのはいいじゃないの、昔の話は昔の話って事で」

 相変わらず調子だけはいいんだよな、おまえは。

「長い付き合いじゃない、それくらい分かってなさいよ、お兄ちゃんなんだから」

 分かってる。分かってるよ。おまえの兄として産まれたせいで、おまえにどれだけ迷惑を掛けられたと思ってるんだ。俺の好物をつまみ食いする、俺の部屋の私物を勝手に持って行く、どうでもいい事に俺を巻き込んで無駄に騒いで俺の方が怒られる。どれもおまえが原因で起こった事だ。よく付き合ったと褒めてほしいくらいだ。

「そんなの妹特権じゃない。可愛い妹のやった事なんだから大目に見なさいよ。あやちゃんのお兄ちゃんとして産まれた事を喜ぶならまだしも、迷惑がるなんて信じられない。それでもお兄ちゃんなわけ?」

 お兄ちゃんだよ。だからこんなに迷惑でも付き合ってやってるんじゃないか。

 あの星座を天体観測に行った時だって、我ながらよく付き合ってやったと思ってるよ。

「あの星座って何だっけ?」

 忘れたのかよ、ねこ座だ、ねこ座。

 そんな性格してるくせに猫と星が好きだからって俺を巻き込んだんじゃないか。

 猫と星座が好きって女のつもりかよ、そんな性格して。

「女だよ、妹じゃん」

 そういう話じゃねえよ。

 まあいい、とにかく俺はおまえにねこ座を観測する手伝いをさせられた。

 何処で手に入れたのか星図カードの『ウラニアの鏡』まで持ってただろうが。

「あっ、『ウラニアの鏡』なら覚えてる。そっか、それでねこ座を見に行ったんだっけ」

 そうだよ、それで俺はおまえとねこ座を見に行ったんだ。

 と言うかこの話、里帰りの度に話してる気がするぞ、どんだけ記憶力が無いんだよ。

「あたしは未来に生きてるんだよ、弘樹」

 何が未来に生きてる、だ。未来なんて考えてもないくせに。

 とにかく俺とおまえはこのデパートに寄って、菓子を買い込んでからねこ座の天体観測に行ったんだ。わざわざ二人乗りまでさせられて、どれだけ重かったと思ってるんだ。高校生の妹なんて米俵より重いぜ。

「可愛い妹を重いなんて言うのはやめてよね」

 実際重かったんだからしょうがないだろうが。

「嫌なお兄ちゃんだこと。でも、結構思い出してきた。ねこ座を見に行ったのは学校の裏山だったよね。蚊が多かった事はよく覚えてる気がする。それでねこ座は見つかったんだっけ?」

 覚えてるのは蚊の事だけかよ。

 まあいい、ねこ座は一応見つかっただろ。

 うみへび座とポンプ座の間にある星座だ、見つける事自体は簡単だったじゃないか。

 簡単だったんだが……。

「ん? どしたん?」

 俺も調べておくべきだったんだよな。ねこ座ってもう八十八星座に選ばれてないらしいじゃないか。そもそも単に猫が好きな人が勝手に作っただけの星座らしいしな。わざわざ見に行って損した気分になったぜ。

「そうそう、そうだったそうだった。ねこ座って公式にはもう無いんだよね」

 ひょっとして分かってて連れてったのかよ。

「どうだったかな。でも、公式には選ばれてなくてもその星自体は残ってるでしょ? その時のあたしはそれでもいいからねこ座を見ておきたかったんだと思うんだよね。猫も星座も好きだし、弘樹との天体観測も好きだったし」

 意外に殊勝な事を言うじゃないか。

「嘘じゃないよ。それくらい分かってるでしょ?」

 そう……、そうだな、俺との天体観測の時のおまえは楽しそうだった。

 おまえには迷惑を掛けられたが、天体観測だけは俺もそう嫌いじゃなかった。

「そうだったの?」

 ああ、そうだ、天体観測だけは嫌いじゃなかった。

 だから、あの日、おまえに抱き着かれて驚いたんだ。

「あれっ、ねこ座を見に行った日がそうだったんだっけ?」

 そうだったんだよ。

 ねこ座を見に行った日が、おまえが俺に抱いてほしいと懇願してきた日だった。

「そういう事を恥ずかしげもなく言う?」

 事実だからしょうがないだろう。

 あの日、おまえは俺に抱き付いてファーストキスまで奪いやがったじゃないか。

「あはは、ファーストキスだったんだ」

 うるさいな、おまえの面倒で手一杯で彼女を作る余裕も無かったんだよ。

「それって言い訳じゃない?」

 さあな。

 とにかくおまえは俺のファーストキスを奪った。

 単なる迷惑な妹としか思ってなかったから驚いたよ、本当に。嫌になるくらいに。

「こんな可愛い妹を目の前にして、性欲を持て余したりしてなかったの?」

 しなかったな、残念ながら。

 誰も彼もが妹好きだと思うな。特に俺はおまえに迷惑ばかり掛けられてたんだからな。

 大体、何で俺なんだよ。

 可愛い自覚があるなら他に引く手あまただっただろうが。

「弘樹以外があたしの面倒を見てくれる気がしなかったんだもん」

 それくらいの自覚はあったのか。

 確かにおまえみたいな妹の面倒を見れるのは俺くらいしか居ないからな。

 おまえの考えはある意味正しい。ある意味で、だけどな。

「どういう意味で間違ってたの、あたし?」

 俺は妹じゃない関係性になったおまえの面倒を見たくなかったって事だよ。

「そうかなあ、妹で恋人でお嫁さんって関係性の兄妹も結構居るみたいだよ?」

 居るだろう。居るだろうが、俺達兄妹には無関係な事だ。

 俺は騒がしい妹に迷惑を掛けられる兄貴で居られればそれでよかった。

 その関係性を壊そうとしたのがおまえだった。

「だって、弘樹に抱かれたいって気持ちがあったのは本当だったんだもん」

 本当のところは分からない。おまえは耳年増だったから早めに初体験を済ませたかっただけなのかもしれない。他人と恋愛するのが面倒だったから手近な俺で手を打とうとしたのかもしれない。俺の童貞を奪って未来永劫俺の弱みを握るつもりだったのかもしれない。どんな風にだって考えられる。

「違うよ、あたしは本当にお兄ちゃんの事が好きで……」

 そっちの方が迷惑だって言ってるんだよ、あや!

 さっきも言っただろう、俺はおまえと単なる兄妹で居たかったんだ。

 おまえが単に初体験を済ませたかったり、手近な俺で手を打とうとしたり、俺の弱みを握ろうとしていた方が俺にとってはずっとましだったんだ。異性として本気で好きになられるなんて迷惑でしかないんだよ!

 どうして昔から迷惑を掛けられた妹とそういう関係にならなくちゃいけないんだ。鳥肌が立つし吐き気まで催す。血が繋がった妹だから迷惑なおまえを許容してやっていたのに、妹で恋人なんておぞましい関係になれるはずがない。血縁より色欲を優先する様な妹なんて俺には要らないんだ!

「それで弘樹は……、お兄ちゃんは……」

 ………。

「お兄ちゃんは、あたしを殺したの?」

 ああ、そうだ、そうだな。

 俺はおまえが俺の妹じゃなくなるのが嫌で絞め殺したんだ。

 今でもはっきり指先に感触が残ってるよ。

 あやの体温、あやの体液、あやの震え、あやの死の感触……。

 その後でおまえを家の床下に埋めるのに苦労した事もよく覚えてる。警察の前でお前が失踪した演技をするのも大変だった。幸いおまえの素行が悪かったおかげで俺がおまえを殺した事はどうにか隠し通せたけどな。

「そんなに……、そんなにお兄ちゃんはあたしが嫌いだったの?」

 嫌いじゃない。嫌いじゃないからこそ殺さなくちゃいけなかったんだ。

 妹してのおまえが嫌いじゃなかったからこそ、好きだったからこそ、な。

 おまえが壊そうとしたんだ、俺とおまえの兄妹関係を。

 騒がしい妹と迷惑を掛けられてる兄貴って関係性をな。

 それだけは壊させるわけにはいかなかった。自分で言うのも何だけど特に何の取り柄も無かった俺だからな。おまえの兄貴って事だけがアイデンティティだったんだ。そのアイデンティティを奪わせるわけにはいかなかったんだよ。

「お互いに好きだったのに……、どうしてこうなったの?」

 求めていた物が違ったんだ。見ていた物も違った。決定的な何かが違ってたんだ。

「あたしは、どうしたらよかったのよ?」

 俺の妹として迷惑を掛けてくれていたら、それでよかった。俺にとっては。

「それならあたしのお兄ちゃんを好きだって気持ちは何処に行っちゃうのよ……」

 例えそうでも、隠しておいてほしかった。

 俺にはおまえにそう言う事と、年に数回里帰りをしてやる事くらいしか出来ない。

 なあ、あや。

 俺にはおまえが幽霊なのか残留思念なのか単なる俺の妄想の産物なのか分からない。ただ一つ言えるのは、俺にはおまえがこうして見えるし、頭の中で会話も出来るし、その気になれば触れる事だって出来るって事だけだ。他の誰の中にも存在しなくたって、俺の中におまえは存在し続けている。こうして里帰りし続ける限りは。

 勿論、里帰りをやめるつもりはないよ、あや。

 俺だっておまえを殺してしまった責任は感じてる。

 だから、年に数回、またこうして話そうじゃないか。一緒におまえのお気に入りだったデパートを巡ったり、また一緒にねこ座を天体観測したっていい。おまえが生きている時にはやれなかった兄妹関係をもう一度やり直そう。それが俺のおまえへの贖罪だ。

「今度こそあたしの事をずっと大切にしてくれるって言うの?」

 ずっとの程度にもよるな。未来永劫永久にってのは流石に無理だ。それでもこの俺の生涯くらいはおまえを妹として愛し続ける。それは約束する。絶対だ。この俺の息の根が止まるまでは愛し続けるよ。

 それが俺の嘘偽りの無い気持ちなんだ。それじゃ不満か、あや?

「……分かったよ、お兄ちゃん」

 あや……。

「だったら愛して、お兄ちゃん。妹としてでもいい。あたしを殺しちゃったのを帳消しにするくらい愛してよ、ずっとずっと。お兄ちゃんが死んじゃうまで半永久的に。そうしたらあたしを殺した事、許してあげてもいいかもね」

 ありがとう、悪かったな、あや、不器用な兄貴で……。

 そうと決まればデパートで涼んでなんかないで、一緒にねこ座を見に行こう。

 今度は兄妹らしく憎まれ口なんかを叩きながら楽しく天体観測しようじゃないか。

 それにしても、ねこ座……か。

「どうしたのお兄ちゃん、急に笑ったりして気持ち悪いよ?」

 気持ち悪いとは何だ、失礼な。

 いや、ねこ座とあやが少し似ていると思ったんだよ。

 公式には存在しなくなったのに、知っている人の中には今でも存在している。

 似ているとは思わないか?

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