ファンタジー篇3、小石川にて

増田朋美

第一章

小石川にて

第一章

「よし、今日も行くかあ。」

杉三は、今日も、何とかして水穂を布団から立たせて、散歩に連れて行こうと試みる。少しでも咳き込む頻度が減ったら、必ずどこかへ連れていくようにと、沖田先生から言われていた。ちょっとむりをすることも、たまには必要なのである。

「おし、行くぞ。ほらおきて。」

杉三は、四畳半にやってきて、布団を水穂からはぎ取った。水穂も、しかたない顔をして、しょうがないなと言いながら、何とかして起きる。

「よし、着替えていこう。立って。」

杉三は、引き出しを開けて、着物を適当にだした。水穂はそれを受け取って、亀よりも遅いペースで、浴衣を脱いで着物に着替え、足袋をはいた。こういう時もあえて手伝ったりはしない。手伝ってしまったら、体の機能が失われてしまうことにつながる。

「ようし、行こうな。30分だけでいいからな。歩いていこう。」

二人は、製鉄所の玄関を出て、バラ公園に向かった。途中で引き返すこともあるが、とにかくバラ公園までいけることを第一目標としている。

「ほらあ、見てみろやあ。もうすぐ、春がやってくらあ。そうなると、花が咲いて、鳥さんが鳴いて、いい季節になるぞ。」

こういう所に来ると必ず外の世界について話すようにしている。決して体調の話はさせない。それも回復させるための一つのテクニックと言えるものであった。

「なあ、最近は、季節の移り変りも速いからなあ。それにしても、今年は、花の咲くのが速いなあ。見てみろよ。道路にシロツメクサが一杯咲いてらあ。」

確かに、道路わきには、シロツメクサが沢山咲いている。しかし、今の時代、道路にシロツメクサが咲くなんてあり得る話なんだろうか?

「それに、蓮華も咲いているぞ。こりゃあ、今年はお花が沢山咲いて、本当に、綺麗になるぞ。」

「杉ちゃん。」

ふいに水穂は言った。

「道路に、シロツメクサとか、蓮華が咲くなんて、あり得る事かな?」

「へ?」

と、杉三が周りを見渡した。周りの景色は、杉三たちが記憶していたモノとは全く違っていた。いわゆる、鉄骨でできた大きな建物たちは何処にもなく、バラ公園の入りぐちもない。ただ、周りは水田ばかりで、そのど真ん中の道を歩いていたのである。

「おい、ここは何処だろう?変な所に来てしまった様だよ。」

近くから、二人の女性がおしゃべりしながら歩いてくるのがみえた。彼女たちは、二人とも、縦縞の木綿の着物を身に着けていて、髪は二人とも島田に結っていた。両手に風呂敷包みを抱えていたから、買い物でも言って、その帰りなのだろうと思われた。綺麗に化粧して着飾っていたようにみえるけど、其れは、どこか現代の化粧とは違っている感じがした。

「こんにちは。」

と、杉三が恐る恐る声を掛けてみた。

「あの、ここは一体何て言う所なんですかね。」

彼女たちは、そんなことも知らないのかという顔をして、顔を見合わせた。そして、一人の女性が、

「もうちょっと行くと町があるから、そこに行ってもらったらどうですか。」

と言った。つまり彼女たちは、警戒心が強いらしい。まあ、治安が悪いという事なのだろうか?

「ここでは、最近、不法な人買いが多いから、あんまり声を掛けられることはしないのよ。此間の大飢饉の時みたいにね。」

と、もう一人の女性がそういった。そうなると、悪質な人買いが現れるほどの、大飢饉があったという事なのだろうか?そうなると、杉三たちはますますわからなくなってしまった。

「ちょっと待て。大飢饉って何時の事?」

杉三がそう聞くと、女性はそんなことも知らないのかという顔をした。

「変な人ね。この間、大塩さんが大阪で反乱を起こして、大騒ぎになったのを知らないのかしらね。」

「大塩?あ、わかったよ。大塩平八郎ね。あの、貧しい人のためにテロを起こしたおもしろい人ね。それがこの間あったということはつまり、、、。」

杉三が腕組をして考えると、

「つまるところ、ここは平成ではなく天保ということになる。」

と、水穂が、杉ちゃんに耳打ちして付け加えた。つまり、二人は、どういう訳か、道路を歩いていたら平成ではなく天保にタイムスリップしたということになってしまったのである。やれやれ、と杉三はため息をついたが、それでも平気な顔をして、笑い飛ばしてしまうのも杉ちゃんなのであった。

「ようし、わかった。ちょっとお聞きしたいのだが、この近くに蕎麦屋でもないだろうか?もうさ、腹がへってたまらんのよ。」

さっきの事など忘れた顔して、杉三はもう一回言った。

「そうね、蕎麦屋なら、この道をまっすぐ行けばあるから大丈夫。半里もかからないわ。」

半里と聞いて水穂はがっかりした。せめてもう少し近くにあればと思ったが、二キロも歩いていくのは

体力的に無理である。

「よし、わかったぜ。行こう。教えてくれてありがとうよ。またな。」

彼女たちにお礼を言って、それではと、杉三は再び、道路を移動し始めた。水穂も、杉ちゃんに合わせてそれについていく。彼女たちは、またおしゃべりしながら、杉三達とは反対方向へ行ってしまった。

そのまま歩いていくと、彼女たちが言ったとおり、木造平屋建ての住宅が立ち並んでいる所に来た。中では、女の人たちが、洗濯板を利用して、洗濯をしている音が聞こえてきたり、隣近所とおしゃべりをしているのがみえた。みんな髪を島田に結って、着物を着ている。近くでは、大工と思われる男たちが、家の屋根を修理しているのがみえた。どの人も同じく着物姿で、髷を結っており、みんな楽しそうだ。そして、自動車が走る音や、テレビの音のような電子音は何一つしなかったし、電線もなければ電信柱もない。

水穂は不安そうであったが、杉三は口笛を吹いたりして、嬉しそうにしている。

「とりあえず、いけるところまでは行こう。」

と、杉ちゃんに言われて、二人はとにかくまっすぐな道を歩いた。今度は「OO屋」と屋号のついた商店が立ち並ぶところに来た。売っているモノも様々だ。食料品や、着物を売っている店もあるし、紙や陶器などの工芸品を売っている店もある。時には、今でいうところの古本屋のような、珍しい本を中心に売っている店もあった。

「えーと、蕎麦屋はどこかなあ。ちょっと、看板に書いてある、文字を読んでくれんかな。」

杉三が、水穂にそういうが、

「杉ちゃん、もう疲れたよ。歩けない。」

と、水穂は答えをだした。さすがに、二キロという道のりは、彼にとっては疲れすぎてしまった様である。

「とにかく蕎麦屋を目指さなきゃ。そこで休ませてもらおうぜ。もうちょっとだから我慢しろ。」

と、杉三が言っても効果はなかった。水穂はそこで止まったままである。ほら行くぞ、としびれを切らした杉三が、また移動し始めると、ふいに後ろから、咳き込む音がして、どさり、と倒れる音が聞こえてきた。

「馬鹿!こんな所で倒れたら困るだろ。道路のど真ん中だぜ!」

水穂はこたえようとしなかった。代わりに、道路に倒れたまま、咳き込んでいるだけであった。口元

からは、朱い液体が漏れた。

「しっかりしてくれ!こんな所で倒れたら、みんなのさらし者になっちまうじゃないかよ。」

杉三は、何とかして水穂に立ってもらうように促したが、もう立つことは出来なかった。ああどうしよう、困ったな。と杉三が、頭をかじってこれからどうしようか、考えていると、

「わあたいへんだ。人が倒れているぞ、ちょっと来てくれ!」

一人の刀をもった役人が、近くの茶店からでてきて、なかまを呼んだ。その髪型からいわゆる町奉行の部下として知られている与力の一人であることがわかった。店の中からもう一人、黒い羽織を身に着けた与力がでてきて、

「これじゃあ、あそこに連れて行った方がいいかもしれないぞ。ちょっと、俺たちだけでは対処しきれないかもしれない。」

と、水穂を見て言った。

「あそこって何処だよ。」

杉三がそう尋ねると、

「養生所さ。そこで医者に見てもらったほうがいい。これはちょっと酷い。」

と、始めの与力が言ったので、水穂はさらにぎょっとした顔をした。でも与力たちはそれを無視して、水穂をヨイショと持ち上げてしまった。

「本当に軽いなあ。先日幕府が飢饉は解決したと言っていたばっかりじゃないか?」

「いや、まだほかの地域ではいるのかもしれないぞ。俺たちが知らない地域では、まだ凶作が続いているのかもしれない。」

「おい。どうか急いで、急いでくれよな!」

そうしゃべっている与力たちに、杉三がでかい声で言った。一人の与力が、そうだったなと言いながら、水穂を抱えたまま、走っていく。杉三は、もう一人の与力に連れられて、まっすぐに道路を移動していった。

暫く走って、前方におおきな建物がみえてきた。門の看板に、「小石川養生所」と書かれている。いつも門を開けっ放しにしてあるのは、救急の患者が飛び込んできてもいいようにそうしてあるんだとわかった。

「よし、養生所についたぞ。もうすぐだから頑張ってな。」

二人の与力は、門をたたくこともしないで、その正門に飛び込んでいった。入り口の下駄箱には、小さな鐘が置いてあった。これで飛び入りの患者が来たことを知らせるためだ。近くには座布団が何枚か置かれていて、今でいうところの待合室だなとわかる。そこには定期診察などのためだろうか。何人か患者さんが待っていた。

一人の与力が、置いてある鐘をかんかんと鳴らした。それを聞きつけて、白い着物を身に着けた、一人の女性がやってくる。

「あ、おかつさん、ちょっとそこの道端で倒れていた人を連れてきた。多分、養生所に収容したほうがいいんじゃないかと思うんだ。先生に聞いてみてくれ。」

もう一人の与力がそういうと、

「困ったねえ。そういっても、もう大部屋は一杯だよ。今、入所希望の患者さんがとても多いのよ。」

と、おかつさんと言われた女性は水穂を困った顔で見た。でも、水穂の口元に血液がついているのを確認すると、

「これは酷い。たしか、個室が空いていたと思うから、そこに入れてあげよう。」

と、建物の中に、案内していった。与力たちも、そのあとについていった。待合所の患者たちが何が起きたんだというように見ている。

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