未来電話

王子

未来電話

 小学校よりずっと広い校舎にも、少し袖の長い制服にもようやくんできた四月の終わり。

 覚えたての掛け声を響かせて走り込む野球部、頼りないホルンの音を鳴らす吹奏楽部、ホールでぎこちなくステップを踏むダンス部。新入部員を迎えたいくつもの部活動が、それぞれの熱量で力を入れ始めているのを感じる。

 幼稚園からの仲であるに誘われて入部した文芸部は、部員が少なく、活動目的も帰る時間も自由な、のんびりした部活だった。

 放課後は文芸部の部室に変わる理科室で、一人で本を読んでいると、遠慮ない音で扉をガラッと開けて花凪が入ってきた。何やら興奮気味に。

まつ、見てこれ!」

 机にバシンと広げられた紙を見れば、

【新入生必見、町の都市伝説特集!!】

 と、題字が踊っている。

「私こういうの好きだからさー。掲示されてたの見かけて、新聞部にコピーしてもらったんだ」

 噂話や口コミ情報集めが好きな花凪らしい。

 それでも陰口を扱わないのが花凪の良いところで、友達として安心できる。話してもいい話題かどうかを正しく判断できる子だ。

「まだ春なのに、怪談話には早くない?」

 私の反応に「もー、違う違う」と不満げに唇をとがらせる花凪。

「怪談って、つまりは怖い話でしょ? 都市伝説は怖い話ばかりじゃないから、都市伝説の中には怪談もあるって言えばいいのかな」

 なるほど。怪談と都市伝説の違いを考えたことはなかったが、花凪の説明はしっくりきた。

 けれど、知っている都市伝説を一つひとつ思い出してみると……口裂け女、メリーさん、犬鳴村、トイレの花子さん、テケテケ、首なしライダー、かけてはいけない電話番号……。怖くない都市伝説は思い当たらなかった。

「まあ、ここに書いてあるのは怖い都市伝説なんだけどね。沫鈴も知ってるでしょ」

 花凪が指差したコラムはスペースが広く取られていて、一番目立っている。

【三木鼠町の怪異 心に巣食う、宿鼠やどりねずみ

 もちろん知っている。両親からも祖父母からもよく聞かされていたし、町名に鼠が入っていることもあり馴染みがあった。聞き慣れてしまって、怖い話としては物足りなく感じるけれど。

 都市伝説というよりは、伝承に近いと思う。

 びっしり書かれた本文を目で追ってみる。


 三木鼠町のシンボル、三木鼠神社にまつわる、昔から語り継がれてきた有名な都市伝説の一つだ。宿鼠は人間の心の弱い部分から入り込み、徐々に精神をおかし、やがて乗っ取ってしまうといわれている。宿鼠の恐ろしさはそれだけではない。鼠は繁殖力の強い生物として知られているが、宿鼠の増殖もまたそうであるという。誰か一人の人間に入り込めば、その周囲の人間に影響を及ぼしつつ数を増やすというのだ。文字通り、ねずみ算式に。


 そう、こういう話だ。これを語り終えた大人が「心の強い子にならないと、宿鼠に心を乗っ取られてしまうよ」と締めくくるまでがワンセット。

 本文の横には、デフォルメされた宿鼠が描かれていた。丸っこくて白い体に、わざわざ赤ペンで塗りつぶされた目。

 他の記事も読んでみると、夜中にピアノの音が聞こえるという廃屋は惨殺された音楽一家が住む全面ガラス張りの家だったとか、入水自殺が多発しているダムで次の犠牲者を呼び込もうと女性の霊が湖面に佇んでいるとか、市内で一番古い学校は戦時中に遺体安置所だった故に霊が留まっているとか、地元民が一度は耳にする怪談だった。

 怖い話にあまり耐性のない私は、知らず知らずのうちにひどい顔になっていたようで、花凪から「大丈夫……?」と心配されてしまった。

 やはり、心霊体験談と宿鼠の昔話とは訳が違う。現世をさまよっている存在に比べれば、ネズミが入り込んでくるなんてかわいいものだ。

 何年か前に、【三木鼠】が【ミッキーマウス】に読めると話題になり、三木鼠神社には観光客が押し寄せたことがあった。

 神社はそんなブームもどこ吹く風で、ミッキーが描かれたお守りとか、顔を出して記念撮影できるパネルとか、観光客に迎合げいごうするものは一切置かなかった。あったのは長い樹齢を持つ三本杉と、神社の入口を守るように礼儀正しく台座に乗った二つの鼠像。鼠像は特に人気だった。

 たくさんの人に愛された神社のネズミですら、いまだに地元では怪談扱いされているのであれば。

「怪談じゃない都市伝説なんて、あるのかな」

 よく考えもせず、ふと疑問に感じたことを漏らしてから「しまった」と思った。

 花凪の顔が、ぱぁっと明るくなったのだ。こうなった花凪の好奇心は誰にも止められない。

「それ……気になるね! 分かった、私が新聞部から情報を集めておく。怪談じゃない都市伝説、きっとあるから大丈夫だよ! じゃ、また明日!」

 待って。何も大丈夫じゃないんだけど。

 ああ……都市伝説に興味があるわけでもないし、こういう話には霊が寄ってくるというから、できることなら関わりたくないのに。けれど今の花凪には何を言っても無意味だろう。

 猛ダッシュで飛び出していった花凪の背中を、ただ見送る他無かった。


 花凪は一方的ながらも約束をりちに守った。

 憂鬱ゆううつな気持ちで待っていた私の前に、バシンと紙を広げた。昨日も見た光景。

「バックナンバーに残ってた。去年の春に出た号だって。ここ見て、このピンクのところ」

 花凪が指差した、ピンクの蛍光ペンで囲まれたコラム。宿鼠の記事と比べるとあまりにも小さい。

 去年も都市伝説を取り上げていたなんて。他にネタは無いのだろうか。

 それはともかく、短い記事に目を通す。


【あなたの未来を教えてくれる 未来電話】

 三木鼠神社の境内けいだいの隅に立つ、電話ボックスをご存知だろうか。ここから次の番号に電話すると、未来を尋ねる質問に答えてくれるそうだ。

 ××××―××―××××


 番号はゾロ目でもなければ、何かの合わせにも見えない。不規則な数字が並んでいる。

 かけてはいけない電話番号シリーズに似ているけれど、内容からは怪談とも言い切れない。

「昨日かけてみたんだ。この電話ボックスから」

「えっ、危ないよ、花凪!」

 いくら好奇心の塊でも、こんな怪しげな都市伝説を実際に試すなんて、信じられない。

「大丈夫! この記事が出た後、先輩達もみんな電話して、未来のことを教えてもらって、他には何も無かったって。ちなみに一番多かった質問は『誰々さんに告白したら付き合えますか』らしい」

 花凪は満足そうに笑っているけれど、に落ちない。「うーん」とうなってしまう。

「なんかちょっと、気持ち悪い気がして……」

「大丈夫だって! 誰も怖い目にってないから、沫鈴も今日行ってみなよ」

 はっきりと「嫌」とは言えない。私からお願いしたわけではないけれど、花凪は私のために現地調査までしてくれたわけで。

 それを突き放す一言を、言えるはずがない。

 曖昧あいまいうなずいて「とりあえず見るだけね」と言い残して部室を後にした。


 家に帰っても、花凪の声が耳に残っていた。

 未来電話に行かなかったら、明日、どんな顔をして会えばいいのだろう。私の一番の親友に。

「やっぱり怪しいから行かなかったよ」なんて、あまりにもはくじょうではないか。花凪は笑って許してくれるだろうか。それとも入学早々、親友を失うことになるだろうか。

 考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。心細くなっていく。

『宿鼠は人間の心の弱い部分から入り込み、徐々に精神を侵し、やがて乗っ取ってしまう』

 迷信じみた言葉と、赤い眼光がよみがえる。

 この心地悪さは、知らぬ間に小さなヒビを作る。隙間のそばに一匹の白い鼠。もろくなった切れ目を器用に削っていく。自分の体が入れるほどの穴になると、ぼんやり光る赤い目で辺りを見回して、するりと体を滑り込ませる。侵入に成功した鼠は、二の腕の血管を走り、肩の骨をかじり、そして、行き止まりの脳で鋭い歯を立て、神経を支配する。

 頭蓋骨の内側から鳴き声が聞こえた気がして、全身の皮膚がゾワゾワと総毛立った。

 ……いやいや、馬鹿馬鹿しい。

 たかが都市伝説。それも怪談じゃない。ただの電話ボックスだ。先輩達も、花凪も、何事も無く受話器を握ってきた。きっと単なる遊びなんだ。

 電話の相手は、中学生の未来相談を面白半分で聞いていて、「未来を教える」なんて言いながら、迷える子羊の背中を押す都市伝説を演じている。

 こんなことでモヤモヤを抱えるなんて、どうかしている。弱気になる必要なんて無い。

 きっと、こういうくだらない思い悩みこそが、心に巣食う宿鼠の正体なんだ。

 私のするべきことがはっきり見えた。

 都市伝説ごっこに付き合ってやるだけだ。

 そして、明日は「花凪のおかげで未来のことを聞けたよ、ありがとう」と言えばいいのだ。

 財布を持って家を飛び出し、自転車を走らせた。行き先はもちろん、三木鼠神社の電話ボックス。


 日暮れの三木鼠神社は、外灯が光を一筋落とすだけで、三本杉も鼠像も闇に溶けていた。

 電話ボックスは本殿の裏手にポツンと立って、明々とした蛍光灯で羽虫を呼んでいた。

 ガラス張りの折れ戸を押すと、ギィと鳴いた。

 普段電話ボックスを使っていないから、手順は調べてきた。受話器を上げると受話口から発信音が聞こえる。硬貨を投入し、ダイヤルを押す。

 緑色の受話器は、耳にあてるとひやりとした。

 コール音がたっぷり十回繰り返された後、声が届いてきた。

「コンバンハ アナタモ ミライヲ シリタイ?」

 耳障りな高い音と、地を這うみたいな低い音を混ぜたような声だった。おそらく変声器を使っているのだろう。なかなか手の込んだイタズラだ。

「はい。教えてください」

「ナニヲ シリタイ?」

 尋ねることは何でもよかったけれど、一応決めてきた問いを口にする。

「花凪と、これからも仲良くできますか」

「カナト コレカラモ ナカヨク デキマスカ」

 抑揚よくようの無い声で確認するように繰り返し、静寂。

 電話ボックスの中から見た外の景色は闇に閉ざされていて、この箱だけが、闇に潜む住人達から常に見つめられているのではないか、という気がした。姿なき視線を想像してしまう。

「デキルヨ ズット ナカヨク ヨカッタネ」

 プツッ。ツーツーツー

 通話の途絶を告げるビジートーンが残された。

 深く息を吐いた。

 答えがどうであろうとも気にしないつもりではいたけれど、肯定こうてい的な回答が返ってきたことには悪い気はしない。むしろ少し嬉しくさえある。

 花凪の言うとおり、怖いことは何も無かった。これで花凪の思いに応えられた。

 震える右手で受話器を元に戻した。


 放課後の部室、昨日の報告をしようと上機嫌で待っていた。

 この時間を待ちきれなかったとでもいうように、花凪は勢いよく部室に飛び込んできた。

「未来電話は、怪談じゃなかったよ」と言うと、花凪は誇らしげに笑った。

 開け放った窓からはゆるやかな風が吹き込んで、校庭の土の匂いや、野球部のやる気に満ちた声、吹奏楽部の奏でる音色を運んでくる。

 仲良くいられると言われた親友がそばにいる。

 始まったばかりの中学校生活は、おおむね順調なのだと思う。いや、かなり上々なのかも。

「ねぇ沫鈴、私、やりたいことができたんだ」

「気が合うね、私もなんだ」

 私達のやりたいこと。きっと同じだ。

 寂しい人や、悩みを抱えている人、いろいろな理由で立ち止まってしまう人……不安定な私達の不安や弱さをまとめて吸い込んで、一人ひとりの背中を優しく押してくれる、未来電話について。

 花凪が、私の考えを言葉で提案してくれる。

「未来電話ノコト ミンナニ 教エテ アゲヨウ」

「花凪ニ賛成 私達ガ 広メレバ モット沢山ノ人ガ 前向キニ ナレルヨネ」

 ソウダ

 モット モット ヒロメテ イコウ

 モット モット ナカマヲ フヤソウ

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