第10話

 チャイムが鳴り、最後の授業が終わった。先生が教室から出ると同時に、隣に座っていた東が、椅子が床と擦れて鳴る煩雑な音を立てて、勢いよく席を立つ。そして俺を見下ろしてきながら、顎で、ついてこい、とジェスチャーしてきた。


 もしかしたら、デートのお誘いかなあ、と誤解する余地すらない。というのも、東は、昼休みから体操服に着替えていて、やる気を剥き出しにしていたからだ。


 仕方がないので、俺は渋々後ろをついていく。すると、何人かのクラスメイトが後ろについてきた。


 校門を出て坂を下り、大通りをまっすぐ進む。黄色のスクールゾーンと書かれた立て看板を曲がり、空き地と古めの家に囲まれた沿道沿いを10分ほど歩いて、ようやく公園にたどり着いた。


 公園は、ケージのような高い柵に囲われ、大きさは、テニスコート二つ分くらいと広い。しかし色々撤去されたのか、遊具は目の前の銀色に光るステンレス製のジャングルジムしかなかった。ジャングルジムは5列の5段ぐみで、一番上の段だけは、四方一列少なく、中にも格子はない。つまるところ、展望台のようになっているタイプのやつだ。高さは、2メートル半くらいと高く、夕陽の黄色い光を反射し、ピラミッドみたいにそびえ立っている。


「何ぼーっとしてんのよ?」


 目の前のジャングルジムを俯瞰していると、隣に立つ東が刺々しい声をかけて来た。見ると、ジトっと湿り気を帯びさせた切れ長の瞳をこちらに向けてきている。


「多分、ビビっちゃってんすよ」「東さんおっかねえからなぁ」「やっちまってくださいよ〜」


 背後からはヤジが飛び交う。誰が言ったのかと振り返ると、いつの間にか、野次馬達が、俺と東を囲むようにして、3、40人くらい群れていた。この中から探し出すのは不可能だ、とため息を吐く。


「ほらほらほら〜! どうしたんですかぁ!? 怖気付いて現実逃避ですかぁ?」


 前言撤回。一際大きな声でやじを送ってくる声の主だけはわかる。もちの立直一発ロンで、俺をここに来なければいけない状況に陥れた張本人だ。苛立ちを覚えてしまうカシラの声だけはわかる。


 昼休みの残り時間、俺が渡したハンカチで、遠慮なくうどんの汁を拭くカシラから、東が挑んでくるであろうバトルを熱弁された。 


「いいですか? 東の得意遊具はジャングルジムです。東は柔軟な体と三度の飯よりジャングルジムが好きだった経験から、するすると鉄格子の合間をかけぬいます。ええ、まるでところてんみたいに!!」


 ジャングルジムって、子供でも30分くらいで飽きる気がする。という己の常識は届かない事は十二分に理解していたので、敢えて突っ込まなかった。あと、ところてんって裂けてんじゃん、通れてないじゃん、という指摘もやめた。


「私は入学早々、東高代表への道を突き進み、公園バトルに明け暮れていました。ですが、奴とのジャングルジムバトルで敗北を喫し、ナンバー2に泣く泣く収まっているのです」


 カシラは、よよよ、と憐れみを誘うみたいにそう言っていたが、俺は既に哀れんでいたので、何も思わなかった。


「私が負けるくらいなので、奴と正々堂々戦えば、いくら赤兎馬でも勝てないかもしれません。そこでです! 私に必勝の策があります!」


 と、大見得を切ってきていた筈なのだが、今の様子を見る限り、出まかせだったのではないかと思う。まあ、それならそれで良いけど。


 俺はただ戦えば良いだけなんだ。今日負けて明日からは、なんら変わりないごく普通の高校生だ。さっさと終わらして帰ろう。


「で、何するか教えてもらえませんか?」


 問うと、東は腕を組み、高慢に言い放ってきた。


「ジャングルポイントで勝負よ!!」


 東の声が響いたかと思えば、辺りは静寂に包まれた。しかし、すぐに背後からどっと歓声が湧く。


「まさか『プリズンブレイカー』の代名詞、『ジャングルポイント』で勝負ですか!?」「転校生相手にそこまでやるの!?」「くぅ〜。流石、東さんだぜ! 容赦ねえな!」


 この反応は見たことがあった。だから、茶髪の『影分身ジョッキー』と『内記黒』みたいなものだろうと容易に想像できた。


 でも本当にくだらない。恥ずかしくないのだろうか。いや、やめよう。ここではこれが常識なんだ。オネエに、「男の癖に化粧して恥ずかしくないの?」と聞くようなものである。野暮としか言いようがない。今日を切りに、公園バトルから足を洗い、普通の高校生になるのだ。深く考えても仕方ない、と思考を放棄する。


「ルールを教えて欲しいのだけれど」



「あんた、どこまでもナメくさってくれるわね!」


 東が両拳を握って怒声を放つと、背後から悲鳴が漏れる。


「もうダメだ。あの転入生殺されちまうよ」「東さんの本気を受けて、立ち直れるかどうか……」「かわいそうに。転校早々、転校しちまうかもしれねえ」


 いや別に、負けるとしても立ち直るどころか何も思わねえよ。むしろ可哀想に、と振り返ると、集団の中からカシラが歩み出て来ていた。


「仕方ないですね。説明してあげますよ。ジャングルポイントとは、二人がジャングルジムに入り、指定された場所をくぐった数が多い方の勝ちです」


 やれやれ、と肩を竦めるカシラに、何度目かわからない殺意を抱く。グッと拳を握りしめて我慢していると、隣から間の抜けた声が聞こえた。


「あれ? あんたカシラじゃん。私に負けて忠誠心でも上がったわけ?」


「ぐぎぎ……あ、あずまさん? も、元から私はあなたに忠誠を捧げてますよ?」


「そ、そんな顔で言われても」


 しかめすぎて、顔がくっしゃくしゃのカシラに、東は仰け反った。しかしすぐに、気を取り直したように髪を搔き上げる。


「まあ、それはいいわ。とにかく、私はこのジャングルポイントにおいて、軽々と各ポイントから抜け出す姿から、前代表に二つ名を与えられたわ」


 東は腕を組み、キメ顔で言い放つ。


「まさに脱獄囚、そう!! プリズンブレイカーってね!!」


 恥ずかしくないのだろうか……。いや、気にするな。野暮野暮。


「わかったから、はやくやろうよ」


 俺がそう言うと、背後がどよめいた。


「なんだあいつ!? 東さんの二つ名を聞いて全くビビってねえ!」「メンタルの化け物じゃないか!」「なんて肝の据わったやつなの!?」


 東も小声で「くっ、私の二つ名に怖気付かないなんて!?」と一瞬怖気付いていた。しかしすぐにまた、前髪をかき上げる。切り替えの早いやつだ。


「ま、まあいいわ。こっちこそ早く倒したい気持ちでいっぱいだからね」


「ああ、こっちも早く終わらせたいよ」


 本気で。早く負けて、普通の学園生活を送ろう。


「チッ、あんたどこまで私を逆なでするつもりなのよ! いいわ来なさい!」


 そう言って東はジャングルジムに入っていく。鉄の網をするするとくぐり抜けて登り、頂上に立った。腰くらいにある一番上のポールを持ちながら、俺を見下ろしてくる。


「何してるのよ! 早くきなさい!」


 怒鳴られて、ああ俺も行くのか、とようやく気づいた。鉄の細い棒を一本一本手繰り寄せて登る。3段目に足をかけると、前へと腕を伸ばして一番上の棒を握り、4段目の細い鉄のポールに両足をおいて立ち上がった。狭い足場を見ながら、器用に足を等間隔に移動させて安定感を得る。最後に、5段目を挟んで向かい側に立つ東にゆっくりと顔を向けると、満足そうな頷きが返って来た。


「よくきたわね。今からルールを説明するわ」


 東は斜め下を指差す。


「まず、頂上の私から見て一番右下が1番。それから縦に2、3、4、そして左隣は下から5、6、7、8。その順に各段、四隅を囲まれた立方体の空間に番号がついてるわ。まあ、右下から若い順に並んでるってこと」


 なんだか複雑で、頭が痛くなる。前みたいに単純でいいのに。あれ? そういえば、カシラが多くくぐり抜けた方の勝ちって言ってたよな。だったら。


「それじゃあ、誰が番号を決めるんだ」


「それは、今からみんなに書いてもらうわ。ほら」 


 東が指差した先には、野次馬達が、筆箱からシャーペンを取り出し、千切ったルーズリーフに何かを書いている姿があった。書き終えると、カシラが持つティッシュ箱へ、選挙で投票するみたいに入れている。


「あそこからランダムで取り出して番号を読み上げてもらう。その番号の場所を先にくぐった数が多い方が勝ちよ」


「なるほどなあ。手の込んだことだ」


「注意だけど潜るだから、足や手を入れただけじゃダメよ」


 ああ。体力が消費されそうだ。


 ジャングルジムの1スペースは大体50センチメートルほど。潜るにはかなり厳しい。逆に東の方はすらっとした体型で簡単に通り抜けられそうである。


「わかったなら、早速始めるわよ」


「わかったよ」


 東は、ティッシュ箱を抱えたカシラを見る。すると、どこか不敵な笑みを浮かべたカシラがニヤリと笑い、その顔を隠すように頷いた。


「じゃあ、カシラ。合図お願い」


 東の落ち着いた声を聞いて、肌がひりつくような緊張が駆け巡る。それは回路がパチパチと繋がるみたいに伝達していき、皆が静まり返った。辺りに聞こえるのは、小さな息遣いと、風が草を騒つかせる音だけ。静けさが妙なこそばゆさを伝えて来たので、大きく息を吸って、疼く気持ちを落ち着かせる。


 クソくだらないが、俺も本気を出そう。この前みたいに手を抜いた挙句、勝ってしまうなんて勘弁だ。東もこうまで言われるほどの実力者。いくら俺が本気をだしたところで勝てないだろう。


 などと考えていると、いつの間にか、カシラがティッシュ箱に手を入れていた。そして紙を取り出して口を開く。


「……では開始します! まずは2番!」


 声が聞こえた瞬間、東はジャングルジムの檻の中へとすっと消えていった。あまりに早い動きだったのか、瞬きをしている間に目の前から姿が消失していた。急いで東の姿を探すと、すでに2番の手前に降りており、上のポールに手をかけて、すっとくぐり抜けている。そして手を離して地面に着地し、小気味良い音を鳴らせた。


「さ、流石だぜ! ジャングルジムの中を飛び降り、途中に手を掛けて止まる無駄のなさ! そこからくぐり抜けるまでの流れるような動作! さすがプリズンブレイカーだぜ!」


 そんな声を皮切りに、ギャラリーから地面を揺るがしそうなほどの歓声が沸いた。喚き立つ声の中、東は得意げにこちらを見上げてくる。


「どうよ! 私の実力がわかった?」


「すごいとは思うよ」


「ふんっ! その余裕が終わった後まで続くのかしら?」


 本音で言ったんだけど。実際、ジャングルジムの一スペースは、人ひとりがギリギリ通れるくらいと狭い。その中を頭や体の部位をぶつけず、ハイスピードで移動したのだ。確かにすごい。けれど、ほんとにどうでもいい。才能の無駄遣い、そんな言葉が脳内に浮かび上がる。


 東は確かに凄いが、そんな事より気がかりになるのはカシラだ。正直、ここまで東が強いのなら、一方的な展開になるのは目に見えていた筈である。だというのに、焦りどころか、未だに余裕な表情を見せている。嫌な予感に胸がざわつく。


「次行きますよ。16番」


 読み上げられた数字はすぐ真下だった。


 しゃがんで足場になっている狭いポールを掴み、ゆっくりと16番をくぐる。そして、新たな一つ下のポールに足場を移した。


「ふんっ、運が良かったわね。次も運が良ければいいのにね?」


 未だ1番にいる東は、余裕綽々といった様子で、俺を見上げてきた。


 なるほど。今の俺と東は右下と左上、大きく位置が離れている。距離を鑑みた上で、俺より先に潜れないと判断したのだろう。


 この勝負、体力を使う。出来るだけ体力の温存も気にしないといけない。そう考えていると、カシラが次の数字を読み上げる。


「次行きますよ。15番」


 おっ、ラッキー。真下だ。


 足をかけていたポールを掴んで、ゆっくり降りて潜った。


「くっ! こんな幸運が続くと思わないでよ!」


「14番」


 俺は無言で通り抜けた。カシラに目をやると、読み上げた紙をくしゃくしゃに握りつぶし、右ポケットにしまっている姿があった。


 酷い脱力感に襲われて、茹がいたホウレン草みたいに気持ちが萎える。悲しさからか虚しさからか分からず、片手で目を覆った。


 ……完全に八百長じゃねえか。


「続いて13番です!」


 俺が13番、つまりは地面に向かって足を降ろすと、ヤジが飛び交った。


「おい、本当かよ!?」「ズルしてんじゃないの!?」「ちゃんと書いてあるか見せてみろよ!」


 次々に抗議の声が上がる。疑念を抱いたのは俺だけじゃないようだ。


 13番をくぐり抜けて足を地面につき、騒ぎ立つ方をみる。学生たちは、疑いの眼差しをカシラに向けていた。俺も非難がましくカシラを見ると、カシラは心底不服そうに「失敬な」と言って、左ポケットから紙を取り出した。


「ほら! ここに書いてあるじゃないですか!」


 皆が、ゴールを決めたサッカー選手へ向かっていくチームメイトのように、カシラへとたかっていく。しかし、紙を見た群衆は驚愕をあらわにし、次第に騒めきが収まっていった。どうやら、本当に番号は同じみたいだ。


 だけど俺は、カシラが八百長をしていると確信していた。というのも、カシラがくしゃくしゃに丸めた紙を入れていたのは右ポケット。さっき取り出した紙は左ポケットだったのだから。


「ほらほら! 散れ! 散ってください! 私がこの神聖な公園バトルを汚すような真似をすると思ってるのですか?」


 どの口が言うんだ……。


 俺は呆れ切っていたが、未だカシラに集っていた他の生徒達は、感心したように謝罪して散って行く。


 まあ、気づかないのも仕方ないのかもしれない。俺はカシラを怪しんでいたから常に注意していたが、他の生徒はバトルに釘付けだったからなあ。


「アンタ、中々運がいいようね。だけど、いつまでその幸運が続くかな?」


 そう言ってきた東に、多分ずっと続きます、と教えてあげたい。だがバラせば、カシラの道連れに俺もボコられることは想像に難くないので、ここは黙っておく。


「俺は引っ越してきてから、運が良かったことはないよ」


「チッ、どこまでもこの私を逆なでするわね! 運だけで勝てると思うな!」


 ごめん。運じゃないんだ。それに多分、このルールなら絶対勝っちゃう。現に3つ俺がリードしている。


 どうしようか、このままでは俺が勝ってしまう。何か手を打たなければ、トップを倒した奴という立場になるし、今後もカシラにつきまとわれる可能性がある。どちらにせよ、普通の学園生活を送れなくなってしまうことは明らかだ。


 つるりと冷たい汗が流れ、服が背中にへばりつく。


 もう、こうなれば仕方ない。上手くいくかわからないが、やるしかない。


「あ、あーー。痛い痛い痛い」


 そう言って俺は、自らの足を抑え、苦悶の表情を無理やりに作った。


「どうしたんだ?」「いきなり、何を言ってるんだ?」「怪我か?」「もし怪我なら、せっかくチャンスだったのに、転校生の敗北が決まるぞ」


 どうやら俺の演技はそれなりだったらしく、そんな声が周囲から上がった。


 よし。この調子ならうまく騙せそうだ。勝ってしまうのなら、戦わなければいい話。このまま仮病を信じこませ、俺の負けという事で進めよう。


「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと審判として確認してきます!」


 顔に焦りを浮かべたカシラが、一目散に駆け寄ってきた。俺の目の前まで来るとしゃがみこみ、耳に手を当ててくる。


「どういうつもりですか赤兎馬!?」


 ひそひそと耳打ちして来るカシラに、こちらも声を潜めて言い返す。


「足が痛いんだからしょうがないだろ」


「絶対嘘じゃないですか!」


「なんで嘘だと言い切れるんだよ」


「嘘じゃなくてもやってください! あなたは奴隷ですよ!」


「知らん! 正直に言っておく! 確かに仮病だ。だが、お前も八百長してるじゃないか」


「あなたを勝たせるためですよ!」


「俺は負けたいんだよ!」


「全力で戦うって約束したじゃないですか!」


「勝ったら同じだから約束は無しだ!」


「横暴です! 非道!」


「いいか。教えておいてやるぞ。約束ってのは、その人に利益がなくなれば、効力を失うんだよ」


「わかりました。そこまでいうなら、赤兎馬は鬼畜だということをバラします」


「え」


 カシラの脅しに、言葉を失う。


 嘘を吹聴されればどうなるだろうか。今までの様子を見る限り、カシラはそれなりの信頼を周囲から得ていた。まず間違いなく、カシラの言葉を妄言だと切り捨てる良識な人間が大勢にならないだろう。その時点で俺は変な眼差しを受けることは確定している上、二つ名については事実であるので、証明しようとすれば簡単にできる。そうなってしまえば、俺は公園バトルの人認定を受けるに違いなく、妄言にも信憑性が出て、信じる人がさらに増える恐れがある。


 今度は、このバトルでもし勝った場合を考える。勝因は明らかに運なので、それ程影響はないかもしれない。カシラに騒がれる以上の面倒なことにはならないだろう。


「……約束の効力ってまだある?」


「もちろん」


 カシラはニコリと笑い「転校生は、続行の意を示しましたので、試合を続けます」と言って、スキップで元の位置に帰っていった。


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