第7話

 白いチョークで汚れた手を払って、クラスメイトに向かう。表面だけが木製の机に頬杖をつく女子や、欠伸をするぼさついた髪の男子、スライド式の窓からは、電線に止まる鳩が気怠そうに身震いしているのが見える。


 期待されてないな、と思い、クラスメイトではなく、後ろに並ぶ鼠色のロッカーに向けて声を出す。


「前田将吾です。よろしくお願いします」


 俺の無難な自己紹介には、疎らな拍手が返ってくる。転校生と言っても、アニメやドラマとは違い、リアルな反応なんてこんなものだろう。


 自己紹介を終えると先生に「それでは席に着くように」と促された。自分の席はどこかと見渡す。席は、六列のところ、最後尾だけ七列に並んでいる。無理くた作られたのか、隣との間隔が狭く窮屈そうだ。みんなに申し訳ない気持ちになりながら、窓際にある唯一の空席に座る。


「じゃあ、教科書15ページを開いて」


 席に着くと、朝一からこのクラスのようで、担任の先生は授業を始めた。俺は鞄から新品の教科書を取り出して、先生の指定したページを開く。 


 結局あの後、職員会議を終えて出て来た先生に「僕は転校初日で、彼女とは関係ありません」と知らぬ存ぜぬで突き通した。その後、めんどくさいものは、三十年のベテラン先生に押し付けて、俺は担任の先生から指示を仰いだのだった。


 それにしても、あの女は何だったんだ? 赤兎馬って言ってたよな……。


 せっかく、日本で普通の学園生活を送れるというのに、初日の朝から気が重い。ダメだ、できるだけ気にしないようにしよう。


「ねえ」


 ふと、隣からくぐもった声が掛けられた。


 顔を向けると、金髪の女の子が授業中にも関わらず、タバコのようにポッキーを咥えていた。ギャルっぽいメイクをバッチリに決めており、長いまつ毛がついた瞳は、黒板へと向けられている。机の上には、さも筆箱ですよ、と言わんばかりにポッキーの箱があり、それを抱えるようにして、寝そべっている。ちょうど、前の学生の陰で隠れるように器用に食べていることに感心しつつも、そこまでして食べるものかとも思う。


「ねえってば」


 くわえたポッキーを揺らしながら、返事を催促してくる。一瞬、前を見ているせいで、俺に聞いてるのか分からなかったが、彼女の眉間にシワが寄ったのに気づき、慌てて返事する。


「な、何ですか?」


 ―――カリ、ポリ。


 催促され、返事したというのに、ただただ小さくポッキーを齧る音だけが返ってくるばかりである。なんだよこいつ、そう思わずにはいられない。

木のようなチョコでコーティングされてない部分が、紅い唇に吸い込まれる。それからゴクリと飲み込む色っぽい音が聞こえた。


「教科書見せてくんない?」


「はあ?」


「教科書見せて」


「いや、聞こえてるよ」


「じゃあ、早く見せてよ」


 普通、在校生が転校生に見せるものだろう、とも思ったが、相手はギャル。カースト上位の職業。これからの学園生活を円滑にする上では必要。そんな三文が頭の中に浮かび上がり、俺は机を寄せ、間に教科書を挟んだ。


 しかし、呆れた声が返ってくる。


「はあ?」


「はあ? って何ですか?」


「いや、私が見せてって言ってんのよ?」


「はあ」


「だから、私が見せろって言ってんのよ?」


 ギャルの伝えたいことが分からず、はあ、とため息が出そうになる。もしかして、教科書を貸せというのは丸ごと渡せという意味なのだろうか。いやいや、転校生から奪うような真似はすまい。


 俺が理解してないことを感じ取ったのか、ギャルは怪訝な顔をする。


「もしかして、あんた、この学校に入るのに聞いてないの?」


「聞いてないって?」


「この私、東奈緒(あずまなお)のことよ!」


「あ、俺は前田将吾です」


「そうじゃなくって!!」


 東は、顔を赤くして叫んだ。勿論、先生から叱られ、別の意味で顔を赤くする。相当頭に来ているのか、鼻息を荒くし、わなわな震え、

「――あ、あんた。二度と舐めた口聞かないようにしてやるから、放課後空けておきなさい!」

と、精一杯押し殺した声で脅迫してきた。


 転校早々、何故こうも悲劇が続くのか。ただただ泣きたくなった。



***



 昼休み。俺は、早々に教室を抜け出した。というのも、真っ隣に不機嫌な女がいたから。東はただ唇を尖らせるだけで、休み時間になっても話しかけられることはなかった。他の生徒もまた然りである。どうやら、東は予想通りカースト上位らしく、他の生徒は東に目をつけられるのを嫌がったってとことだろう。


 まあ、そんな事情があって、転校早々、教室にいるのが居た堪れなくなり、逃げの一手を打ってみたわけだ。


 でも、どこへ行こうか。廊下には、初めて見る顔の学生達が、賑やかな声を上げて、ぞろぞろと歩いている。肩を寄せ合い弁当の包みをもつカップル、楽しそうに談笑しながら固まって歩く男子、きゃっきゃ言いながら走っていく女子二人組、皆は階段を降りて行く。


 下に食堂でもあるのだろうか。そう思うと、自然、階段を上っていた。


 階段を一段上って、次の段に足を踏み込む。上を向くと、屋上のガラス扉から差し込む光が、埃をキラキラと輝かせていた。俺は炎に釣られる虫のように階段を上る。最後の段を踏み越えると、ガラス扉の前に立った。扉には黄ばんだ張り紙があり、立ち入り禁止、と書かれている。


 普通、屋上を開放する学校なんて中々無いよなぁ、と思いながらも、取っ手に手を掛けて引く。すると、ぎぃぎぃ、とバッタの鳴き声みたいな音をたてて開いた。隙間からは心地よい風がなだれ込んで来て埃が舞う。


 あれ? 開いたんだけど……。


 簡単に開いてしまった扉に拍子抜けする。このまま屋上に出れそうではあるが、すぐに扉を閉めた。


 転校初日、しかも午前だけで、問題ばかり起こしているのに、これ以上何もやらかしたくない。大人しくしていれば、いずれ先生も東も俺のことを気にしなくなるだろう。そしたら、理想の普通の高校生活が送れるはずなのだ。


 さあ、今度はどこに行こうかと振り返る。降りようと階段の下に目を向けると……見たくないものが視界に映り込み、急いで踵を返す。


「見つけましたよ! 赤兎……あっ!? 待ってください!」


 屋上に行く以上に厄介な事になるのを恐れ、急いで扉を開き屋上へ出る。そしてすぐに、後ろ手で荒く扉を閉めた。

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