LUNG
三つ組み
第1話 邂逅
その間、俺は夕霧村へ帰ったことはないし、引っ越しの理由もあまり会う時間のなかった両親が死んだためで、因縁が無くはないし、死んだことを聞いた5歳の時には物心がついていた。思うところが無くはないのだ。
夕霧村にいた頃も親戚の叔父に育てられていたし、引っ越したあとも叔父や祖母が生活の面倒を見てくれていた。あえて夕霧村の話をすることは無かったし、それでいいのだろう、と俺も納得していた。
それが、だ。普通に高校生として暮らしていたところに、叔父から一言「この夏、夕霧村に帰らないか?」と言われ、断る理由もなかった俺はホイホイついて行き、湖を望む霧煙るその村へと、軽トラに乗っけられて、その湖から流れる川沿いに広がる田園の畦道を走っていた。
「ユート、そろそろ着くぞ」
「おお、もう着くのね」隣で運転する叔父に肩をしきりに叩かれ、俺は寝惚け眼で伸びをした。「うわー、やっぱ田舎だ」
田んぼの周りには電線も電灯もなく、そろそろ日が沈む夕暮れ時はどんどんと暗くなって行く。
「田舎ってお前な、そういうことは言うんじゃないよ」深い皺が刻まれた目尻を細め、俺に強い口調で語りかける。「お前も良い歳だ、そろそろ帰って、村の事を知ってもいい頃合いだろう」
「村の事って何よ? 具体的に言ってくんないとわかんないわ」
「俺から説明すんのも野暮っつーか、わかるやろ? 色々込み入ってんだよ、お前の親父と母ちゃんの事とか、ホラ」
「口下手だから説明はできないってことね。まあいいけどさ。俺の両親の事もだし、夕霧村って変な話いっぱいあるからさ、心配にはなるじゃん、俺としても」
雑木林が茂る道沿いに、トラックを走らせて行く。「……変な話、な」何やら沈黙の後、声を渋らせる叔父。「お前が知ってるのはどんな話だ? 俺から言ったこと無いだろ、それ」少し語気が固い気がする。
「婆ちゃんから聞いたんだよ、ほら、キリバミ、だっけか」
「あぁ、
「そう、それ。」
「その話も含めて、実家に着いたらしてやる」と、叔父は運転に意識を戻す。
「はいはい」俺はめんどくさくなったので、背もたれに体を預けダラダラと窓の外を見ることにした。
のだが、何かおかしい。
夕暮れ時の田舎っつっても、こんなホラゲのオープニングみたいな怪しげな靄のかかりかたするか? どんな演出だよ。まあホラゲ嫌いだから偏見だけど。
「……なあおっちゃん。夕霧村ってさ、こんな霧濃かったっけ? 霧が出やすいとは聞いてたけど」窓の外で木々が白く霞んでいる。
「いやー、今日は特別濃いかもな」叔父はヘッドライトをつけ、ハイビームに切り替える。霧の中に光の筋が生まれ、それが一瞬、陰る。「……っ! 逃げろユート!」
「うおっ! なにするんだ」突然のかん高い急ブレーキに、ベルトの締め付けを感じながら横を見ると、叔父が焦りに顔を歪ませ、前方をまっすぐ見据えている。
視線に促され俺も前を見ると、二つの影が、確かに俺の目にも写った。「ん? なんだアレ?」その立ち姿は動物のものではない。まるで、人のような……
「早くベルト外せ、ほら、とっとと出てけ」
俺は言われるままに焦る叔父に軽トラから追い出され、雑草が茂る地面に尻餅をつくその視界に、勢いよくトラックへ突っ込んだ一つの影により、叔父の乗る運転席が潰される。
トラックが派手に壊れる音の中で、赤い飛沫と、「っ! がぁぁあっ !!!」と、喉を絞るような叫び声が。いい歳したおっさんにあんな人でないような声が、そう出せるとは思えない。そう思わせる、悲痛な叫び。
「なっ……」
俺に、戸惑う間なんて与えられない。
「あーもう、ダメじゃん助けちゃ」バキバキと、大男の影がトラックの運転席をひっぺ剥がし、気軽な様子でぐちゃぐちゃになった叔父を摘まみ出す。
じゅくじゅく、と。傷と呼ぶことさえ許されない叔父の重態が、治って行く。「あ、がガ……逃ゲロ」喉が治らないままに叔父は不自然な声色を上げる。
スポーツウェアとスーツという男二人組が、こちらへと冷たい視線を注ぐ。「あーあ」とスポーツウェアの大男が叔父をこちらへ投げて寄越すと、叔父は再生がてら眼前で受け身を取る。
「んー、イヤだね、逃げるなんて」
たぶん、殺す気なのだろう。
だとしても、育ての親を置いては行けない。「ホラ、逃げても捕まるだろうし、足震えて動かないし、さ」
俺は不自然に頬をつり上げ、無理矢理に明るく振る舞おうとする。見え見えの嘘かもしれないが。
「察しが良いな、少年。君の言う通り、逃げても無駄だよ」スーツの男が、眼鏡を拭きながら言ってくる。こちらから視線を外す気は一切感じられない。
「この子も、ユートも殺すつもりなのか? あれはお前たちの不手際だということで結論が出ている。だから、この里を出て行った筈だ」下半身を再生させた叔父が、口を挟む。
「蒸しっ返すようで悪いけど、君らも悪いでしょ、アレはさ。そこに転がってる坊主を里に入れたのは、あんたらだぜ?」
と、スポーツウェアの男が。
「
「そーだな、落ち着くよ
「……は?」
「この里に、お前を入れるわけには行かない。だから、殺す。死にたくなければ逃げろ。それが儀式になる。」
「ふざけるな! 今ここで儀式を始める必要がどこにある! この子に纏い付く
黙れ、と静かにスーツの男、宇舘が血相を変え叫ぶ叔父を制し、続ける。「解らないなら言ってやろう、この夕霧村は、
嫌ならば霧を食め。霧の中で生きるには、
そろそろ、息がキツいだろう?
宇舘は眼鏡スーツと言うビジュアルとは思えない、獰猛な哄笑を浮かべている。
「あ、」確かにそういえばそんな気が! と気づいた瞬間、目眩が。呼気荒く喉が焼ける。霧のためなのかそれとも脳味噌に血でも回っていないのか、視界が不明瞭になっていく。「ぐっ……がぁぁっ!」
感覚なんて、自分が無様にジタバタとのたうち回るしかないところに、構わず叔父が駆け寄ってくるのを感じる。「おい、ユート、ユート落ち着け! 思い出せ!──」
浮き世から離れ、霧を食み静かに生きる鬼、霧食と言う化物が昔この地にいたのだ、と縁側でぐーたらする幼き俺に、祖母は語ってくれた。あぁ、懐かしいなぁ。
霧食の食う霧は、濃い。と言うかそもそも原義の霧とは別物で、人間にとっては毒。夕霧村に昔っから湧いていてそれを求め鬼が集まった、とか人が霧に慣れた、とか。
ん? 慣れた?
「──だからユート! なんでお前は5歳までこの村で暮らしてこれたんだ?」確かに。そう言えばそうだった、と気付いたとき俺の呼吸がふと、楽になった。
「ったく、殺せるならそれが一番なんだ、気づかせる必要などなかった。」宇舘は軽薄に笑みを浮かべる。
「チッ 糞っ……」畜生、汗でびっしょりだ。
「解った。逃げられないことも、死なないためにはその“儀式”を受けなきゃならんことも。だが、疑問がある。
おっさんとかあんたらが言ってるアレってのはなんだ? 俺の出自に関係あるのは何となく解る。と言うか俺じゃないんだろ?
問題は俺の両親にある。合ってるか?」
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