3.落日、夕闇、吹雪

3-1.昔の話①

 白い光が見える……ぱちぱち、パチパチ。

 爆ぜる銃火マズルファイア。ちかちか、チカチカ。空を眩く切り裂く曵光弾。どんどんと空を細切れにして、やがて覆うように。

……否。これは、一面に瞬く流星。'あの日'の空、終末の日。砕けた月の輝きの中で天を衝く軌道電磁投射砲ケイロンの矢の勇姿。

 誰かの気配を感じてふと振り向くと、青い空、白い雲。打ち寄せる白い波頭……海。今はもう凍てついた、思い出の中の懐かしい青。遮られる──冬霞の黒曜石オブシディアンの瞳。

「どうしたんですか、ぼうっとして」

 冬霞の強烈なデコピン・・・・にはっとして周囲を見回す。砂浜は純白雪原、青い海は遥かな氷河の青に、舞い上がる入道雲と思ったものは地吹雪か。瞬く間に冬の嵐に飲み込まれ、鋭い冷気に悶える。肩に燃えるような熱……突き立った氷柱ツララ。痛い、痛い、痛い──転げ回って訳もわからず伸べた手が何かを掴んだ。氷のような細い手に、力強く引き起こされる。

 冬霞の瞳が目の前に……息が掛かるほどに近く。繋いだ手が万力のように強さを増す。冷たさが、諦観に満ちた視線が骨にまで染み込んでくる。黒曜石の瞳が、海洋蒼マリンブルーに変わっていく。口がぐわりと開いて、短剣のような鋭い牙がぎらりと光る。ざっくりと切り裂かれることを想像して、瑞穂は苦し紛れに言葉を紡ぐ。

「……らしくない、落ち着いて」

「……ちゃんと守ってくれなかったくせに。何も知らないくせに」

 氷柱と反対の手……首輪チョーカーにゆっくりと伸べた手を払い除けられ、身構える間もなく刃物のように鋭い牙でざっくりと噛みつかれる。

 冬霞は突き立った氷柱にも手をかける──力いっぱい引き裂かれて服も皮膚も剥ぎ取られる。エル組織で代替した薄黒い右手がむき出しになる。シルトが震える。

「思い出せ、瑞穂」

「何のことだよ……ッ」

 ホルスターに手をかける/そのまま引き金を引く。無思慮に解き放たれた爆圧が冬霞の脇腹を抉り取る。冬霞はゆるゆると人の姿に……愛すべき後輩の姿に戻って崩れ落ちる。赤いものがバケツを倒したような勢いで広がる。もうもうと立ち上る湯気は、失われる命の温度に等しい。

「知って……ますか……?」

 ごぼりと血の塊を吐いてから、にたりと冬霞は嗤う。奈落の底を映したような、黒い瞳がきゅ、と収縮する。

「人殺しになると……鬼に……食べられるって……」

──フラッシュバック。冷たいコンクリートの上で動かなくなった、同い年くらいの少女。震える手、立ち上る硝煙と鉄のにおい。生きるため、あるいは身を守るため。何人も、何十人も……

「罪を償うといい」

 右腕に口が生じる。にたりと笑う無数の口。シュヴァルツシルトは帯の姿を取って、体を駆け上がって来る。肩の傷に潜り込む。めり込んで体を侵食していく……細胞レベルで肉を食い破られる痛みに、神経が焼き付く感覚に絶叫する。

「あああああああああああ!!ああ


──────


あああああああああ!!!!!?」

 阿左美 瑞穂アザミミズホは飛び起きる。ぜえぜえと喉を鳴らし、辺りを見回した。白い部屋は物音一つなく、降り積もる雪の音さえ聞こえるようだ。

 熱感を伴いだした肩の痛みに耐えかね、瑞穂はベッドに身を預ける。寝ぼけ眼で外を見、月明かりに照らされて眠る街を、そして遥か彼方、東都──かつての首都に聳える軌道電磁投射砲ケイロンの矢を一瞥した。

「……またここか」

 市の北部にあるエキゾチック生体研究所に収容されていることを瑞穂は理解した。手首から伸びるいくつもの点滴管、枕元で静かに生命兆候バイタルを記すベッドサイトモニタ=集中治療の痕跡。その右手──エル組織とないまぜになった手が、手袋を剥ぎ取られて顕になっている。

 しばしの躊躇の後、瑞穂はその右手に頭の中で呼びかけて、掌の上に直方体モノリスを形成してやる。

「ずいぶんと良く寝たな」

「……食べる?」

「食べる?何をだ」

 いつも通りの口調。瑞穂はほっと息をついた。

「なんでもない。どのくらい寝てた?」

「さぁな。俺も良く解らん」

 その時、ドアの外から話し合う声が漏れ聞こえてきた。

 やがてそれが静かになると、一人の女が姿を表した。

「冬……」

 後輩の名を呼びかけて、瑞穂は口を噤んだ。強い意思を感じさせる目元にはしかし、一種退廃的ダウナーな印象を与えがちな色素の沈着がなく。その髪は腰まで伸びていて、眼鏡も掛けていない。身に纏っているその服は戦闘用とはまた違う、なんというか……人々の前に立つための重厚さを纏っている。襟元には議会のバッジが誇らしげに輝いている。冬霞ではない。しかして、他人というにはその顔立ちはあまりに似すぎてもいた。

「あなたは……?」

「私は佐渡 雪華サワタリ セッカです」

 その名前に覚えがあった。……施政官?市の意思決定機関、議会の一員……最高権力者。寝惚けた頭に徐々に血が巡っていく。関わり合いになりたくない。眼前で舞い上がる火の粉を認識して、瑞穂は身を強ばらせつつも姿勢を正した。

 その眼前で雪華は施政者にふさわしい優雅な動作で頭を垂れた・・・・・。瑞穂は、目の前で起きる意味不明な事象に硬直した。

「な、な、何をされて」

「妹の冬霞がお世話になっております」

 私と同い年にして市のトップに座する女。……冬霞はその妹?瑞穂の脳内で冷凍乾燥フリーズドライされていた情報が一斉に膨れ上がる。瑞穂の狼狽を気にも留めず、ふわりと頭を上げてはにかむ雪華。

 出自の話はしたことが無い。略奪の時代を経たこの街にとって、過去の話とは暴力か、血か。逆に、そうでなければ格差故に眉を顰める者もいる。あの時代の怨嗟を清算しようとする者、封じていた絶望的な日々を思い出すもの。阿鼻叫喚の末に、人々の過去は封印される事となった。故に瑞穂が見ることのできる他人の履歴は、ここ数年のものだけだった。

 ……瑞穂とて、その名字に引っかかるものが無かったわけではないが。嗅ぎ回るのも野暮だろうと思ったのが運の尽き。瑞穂はめまいを起こして、ベッドに身を委ねた。

「入院中に押しかけてすみませんが、少しお話をしても?」

「ええ、ええ。大丈夫ですが……つかぬことをお伺いしますが、貴女達の御母堂は」

 雪華ははぁ、と溜息一つ。

「やはり何も言ってないんですね、あの子は……。ええ、お察しの通り、母は佐渡零華です」

 つまり冬霞は……一代にして都市を立て直した伝説的指導者の娘であり、現施政官の妹……と。ベッド脇のバイタルモニタは、瑞穂の心臓が早鐘を打っていることを示していた。まぶたを手で覆って、深呼吸。神よ。

「貴女が負傷した戦闘の事を伺いたいのです」

 瑞穂は知りうる限りの事を話した。踏みとどまる判断を下した事。結果的に冬霞の人間離れした力に頼ったこと。それがなければ、おそらく死んでいた事。

「責任は私にあります」

 瑞穂は意を決して宣言した。金で釣ろうとした事は言っていない気がするが、どちらにせよ役満である。しかしそれを雪華は手で制した。

「落ち度はこちらにあります。場所を移して、説明させてもらえませんか」


//////


 退院はあっさりと許可された。肩口を貫いたはずの傷跡も、強い力場の影響も、どういう訳かきれいさっぱり無くなっていたからだ。激痛は精神的なものだろうと、老医師は言う。

シュヴァルツシルトのお陰だろう。大切にしたまえよ、あと自分の体もな」

 念押しこそされるが、その目には諦観が浮かんでいる。どうせまた運び込まれてくるんだろう?という視線に申し訳なさそうな表情を作って、瑞穂は病院を後にした。

 吹き付けた真夜中の突風が身を切るようだ。適温の病棟ですっかり体のなまった瑞穂は、思わずコートの襟をきつく締めた。そこへロータリーでアイドリングしている車が短く警笛クラクションを鳴らす。雪華だ。運転席からひらひらと手を振っているのを認める。冬霞と同型の、332i型コンパクト•セダン。'黒塗りの高級車'には当たるだろうが、年代物クラシックのこの車種は公用車といった趣でもない。むしろ……助手席に滑り込むと同時に、違和感の核にたどり着く。

運転手ドライバーは雇われないのですね」

「ええ。"せっかくの移動時間"を無駄にしたくないですから。さ、シートベルトを」

 四輪が圧雪をかきわけて軽やかに走り出す。ハイテク産業や研究施設の密集する北部から、南部行きの高速道路ハイウェイへと軽やかに駆け上る。

「瑞穂さん。ここからは一個人としてお話させてもらってもいいかしら?……さ、どうぞ」

 雪華はドリンクホルダーに缶コーヒーを置く。もてなし……に見えるが、確実に雪華のフィールドに引き込まれつつある……。

「どうも。……どういうことです?」

「職権を濫用するということよ」

 ごふっ、と瑞穂が吹き出す。コーヒーを口に含んでいたらアウトだった。

「誰かに聴かれたらどうする気ですか!?」

 その時はその時よ、と言って雪華は続ける。

「それで瑞穂さん、友達は多い方かしら?」

「いえ、全く」

 ごまかす理由もない。正直に答える。

「噂話は?」

「聞くだけなら」

「口は堅い?」

「塞げと言われれば、もちろんできますよ」

 ふむ、ふむと雪華は頷いて、さらに続ける。

「あの娘は気に入りました?」

「ええ。向こうがそう思ってるかは知りませんが。ただ……」

「ただ?」

「僕よりよほど優秀ですよ、彼女は。それがストレスにならないといいですが」

「それは大丈夫よ。あの子は大概のことは自分でどうにかできるから。むしろ……前よりも元気になったように思うわ。さ、着いたわ」

 雪華に謝礼を述べて降りるとそこは、古い洋館であった。


//////


「ここは……?」

「バックアップの指揮施設の一つですよ。公にはなっていませんが」

 デスクでキーボードを叩きながら雪華が答える。古びた洋館、その一室。豪奢なビロードのカーテン、装飾の施された頑丈そうな本棚、いくらするのか見当もつかない一枚板のデスク。どれも高価なものであったことが伺えるが、日に焼けたりささくれだったりしている。瑞穂はすぅ、と息を吸い込む。

「このカビ臭さも、隠匿のために?」

「本物の洋館の流用だけど……そうと言えばそうね」

 なるほど、と答えて瑞穂は思いっきりくしゃみをした。それで埃が舞い上がって、瑞穂はさらにくしゃみをする。

「っえくしょん!!……はー。その話、聞いていいやつなんでええぇっしょい!!」

「あまりよるしくないけど、仕方ないわ……さ、こっちへ」

 答えずに雪華は立ち上がると、まずモナ・リザの額縁の裏のスイッチを押し、それから電灯のスイッチを上から順に入・入・切にすると、3つ並んだ本棚の一番右から本を引き抜いて奥で何かを入力する。すると中央の本棚が床下に飲み込まれ、隠し扉が現れた。

「バ、バイオハザード……」

 両開きの扉の中央に、生物汚染を喚起する印が大きく描かれている。傍のリーダーに雪華がIDカードを触れさせると、扉が開く。エレベーターか。

「あまり余所見をしないでくださいね」

 ごう、と扉が重々しく閉じて、地下へと降下していく。……深い。何十mと云う深度に至り、ようやく扉が開く。まず瑞穂の目に入ったのは、白。壁も床も照明も純白に染め抜かれた清浄な通路。そして薬品の匂い。

「ここは一体」

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず……そういう研究の場です」

 かつかつと歩を進めながら話す雪華に、瑞穂はそろそろと付いていく。壁には目立たない様にプラグドアがあり、廊下のところどころにガラスが嵌っている……その向こうに、微かな気配を感じる。電子カーテンか、あるいはハーフミラー……見えない目線を感じた気がして、瑞穂はぶるりと身震いした。ふと雪華が立ち止まる。突き当りだ。そこに通路目一杯に巨大な扉が立ち塞がっている。異様な扉だった。おそらくはどの扉も封印としての性格を持っているのだろうが、この扉はそれを隠せないほどに強固に封印されている。例えば、電柱ほどの太さもある合金製と思しき閉鎖機構。……確実に封印されているという事実を見せることで、周囲の人間に安心を与える為のものではないか。などと考えている内に多重の封印ロックが取り除かれ、鉄塊のようにぶ厚い扉が手前に跳ね上がって開いていく。動力が喪われれば自重によって自然に封鎖されるような機構……周到。脳裏にふと、エルをバターのように易々と両断する冬霞の姿が浮かんだ。

「この中に冬霞が?」

「ええ」

「この防壁は?防護服はいらないのです?」

「飾りですからね」

 目を見開く瑞穂に雪華は続ける。壁や防護服で防げるものではなし、私達によって汚染されるような繊細なものでもなし。そう言って唇に人差し指を当てた。

「何かあったら死ぬ、という事です?」

「壁の外に居てもね。だから"危険ではない"わ」

 ある種論理的な帰結に、瑞穂は思わずむぅと唸った。

 部屋の中は存外小さく、堅牢さを誇示するように合金製の内壁が剥き出しになっている。天井を這い回る配管、吊り下げられた水銀灯から投射される冷たい煌めきに、瑞穂は思わず身震いした。その背後で扉が重々しく閉まった。

「あれは?」

 瑞穂は目で部屋の中心を指しながら、問うた。エキゾチック物質対応の生体培養槽、バイタルモニタ、縁日の面もかくやと大量に吊り下げられた点滴類。愚問、大愚問である。しかし瑞穂にとっての冬霞とは、可愛い初めての後輩だったから。

「驚かないで聞いてほしいのだけれど……」

 雪華が歩み寄ってコンソールを叩くと、円筒形の槽が不透明さを失って、その中が露わになる。安らかな顔で彼女は浮かんでいる。

「……冬霞ちゃん」

 その表情がわずかに歪んだ……気がした。なんて細い。この骨と筋ばかりの身体のどこから、あれだけの力が湧き出しているのか。しかし最も目を惹くのは、右腕に刺々しく露出したままの白いエル組織だ。

「冬霞は……第四種よ」

「……」

「……驚かないの?」

「……はい。…………え?」

 瑞穂は困惑した。第一種は末端組織が僅かにエル化したもの。

 第二種は四肢や眼球などを侵されたもの。瑞穂自身もこれだが、この段階でも精神や生命維持に変調を来すものは多い。

 第三種は体組織の過半までもが置き換わったもの。

 そして第四種は……中枢神経系を含む肉体の全てをエル組織化した者。これは掃いて捨てるほどいる。そう、ご存知……

「……エルそのもの?」

「臨床上、そうとしか言いようがない。これを機密に当たるとはいえ伝えなかったこと、そして冬霞に封印の解法を知られていたこと。これが市の……私の落ち度です。貴女が再封印をしてくれていなかったら、どうなっていたか……」

「身を守るためでしたから……それより、何がそんなに問題なのか、今ひとつわからないのですが。特異な存在とはいえ、只のエルでは?」

白いエル。その実在をこの人施政官が認めることが……否、それを知ってしまうことが何を意味するか、わからない瑞穂ではない。しかしその脳裏では、さっきの夢の言葉が反響していた。何も知らないくせに。

「……わかりませんか?」

 瑞穂はやや苛立っていた。何も言わなかった冬霞に、それ以上に、何も知ろうとしなくてよいと思っていた自分に。こうなってしまった以上は、根まで掘り返してやろうと思った。今度こそちゃんと、年上の人間として立たねばと。

「わかりませんね」

 雪華はふぅ……と息をついて、ぽつぽつと過去の話を始める。どうにも相当に根深い話らしかった。そして雪華はどことなく楽しげに見える。不思議と。なんでだろうな、と瑞穂は思ったが、気のせいだろうとじっと耳を傾けた。


 知らなきゃよかったと思うのは、大概どうにもならなくなった頃である。今その事に気がつけるほど、瑞穂は聡くなかった。

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