佑佳の短編集
佑佳
chirping a Love-song from C-LOVERS
「おかしい」
数分前に、依頼人が事務所を出ていったのは目視確認済み。だから「終わったんだな」と覚って、事務所に戻ってきたのでありますよ。依頼人が出て行って私が戻るまでの間、誰も事務所を出入りしていない。だからいま現在事務所にいるのは、家主の柳田さんただ一人。
「の、はずなのに」
扉の奥から聴こえてくるこの鼻歌は、はたして誰が発しているものだ?
ついつい扉に張り付いて聞き入ってしまうほど上手くて、歌うメロディラインには迷いがない。あまりメジャーではないけれど、鼻歌の主にとって相当慣れ親しんだ曲なんだろうことは数小節聴けばわかる。ただ、片想いをしている女のコのチクチクソワソワしたような気持ちを謳った恋愛ソングってところが、歌い主を惑わせる。
でも冷静に考えたら、『あの』柳田さんが鼻歌なんか、しかも恋愛ソングなんつー縁遠そうなジャンルを歌うわけないよなぁ。
ていうかそもそも、柳田さんて歌上手いの? 歌うイメージもないし、歌っているところなんか一度たりとも見たことない。柳田さんがニコーッと笑うのを見たことがないくらいにはレア度が高い。
「あーそっか、これYOSSYさんか」
あの『明るくキラキライケメンスマイル』がトレードマークのYOSSYさんなら、鼻歌だってチクチクソワソワソングだってお似合いだし納得だ。きっと、私が見ていないほんの一瞬の隙に事務所に忍び込んで、フンフン言いながら『可愛い可愛い弟くん』を待っているんじゃないのかァ? グヘヘ。
おうおう、途端に信憑性が増したぜ、若菜ちゃん名推理! きっと蜜葉となんかあったんだな、それをご機嫌で柳田さんに話したいんだろうよ。そうだよ、絶対そう。私もニヤニヤ聞いてやろう、うっへっへ!
「いらっしゃいませYOSSYさーんっ。もー、いつ来たん――」
バーン、と元気に扉を開けると、そこにいたのは『なぜか』柳田さんその人だった。吸いかけのタバコを左手に、入ってきた私を振り返って固まっている。
「――あれ?」
てん、てん、てん、の思考停止時間。
あ、いやいや。家主だからな、わかってる。柳田さんがここにいるのは当然なんだよ。そうではなくて。
「……っと。いまって、柳田さんお一人ですか?」
「そう、だけど」
「ええーっとォ、YOSSYさんは? ここにいなかったです?」
「いや、いねぇけど……」
ええー?! 若菜名探偵の名推理どこいったー?!
「――って、オイ」
びっくりして腑抜けていた顔から一転、いつもの柳田さんのあのギンと睨みつける顔になる。しかも、左手の吸いかけタバコを近くに置いてあった灰皿でぐにぐにと消したあと、大股の一歩でゆーっくりと近付いてきた。
「ぬゎーんでアイツが
「い、いや、別に特には? 理由などありませんが?」
「目ェ逸らしてんじゃねーか。テメーが都合
「ぐぬ、見抜くようになっていやがる……。そ、それを言うなら柳田さんだって、なーんで耳赤くしてんですか? 謎に照れてるじゃねーですかっ」
「ばっ! 違っ、て、照れてなんかねーッ、バーカッ!」
「プフー、輪をかけて語彙力なくなってますよォ? ほーん? ええー? なに慌ててんですかァ? 慌てなきゃなんないよーなことしてたんですかァ?」
「てててテメーがアイツのことばっか気にかけ……じゃなくてっ。とにかくノックして入ってこいっつってんだろ、ボケナスッ」
「ぬっ。ボケナスはどっちですか、平和ボケしてフンフン歌ってたくせに。しかも片想いの恋愛ソングなんてよく知ってましたね。柳田さんでも片想いのジレジレドキドキハラハラみたいな感情を共感することあるん――あ、しまった」
と、口を押さえたけれどももう遅い。ニヤニヤしていた私の顔がサァーッとしどろもどろとした苦笑いへ変わっていく。
「て、テメー……、さては結構長ぇこと耳澄まして聴いてやがったな?」
ズモモモモ、と効果音が聴こえるくらいの鬼の形相。見事な形勢逆転。わああ、うっかり口滑らすクセどうにか治んねーもんかねぇ、私?! 「い、いやぁ、それはそのぉ……」と両掌を構えつつズリズリのすり足であとずさり。
「や、だだっ、だってそのっ、べべべべらぼうに上手かったから! つ、ついつい聞き入っちゃったんですよ、ねへへ」
「……あン?」
「ででででも柳田さんが、ねえ。鼻歌フンフンなんて、ありえませんもんねぇ! あは、ははは……」
「アイツより――」
「へ?」
唐突にしおらしさの滲む声色。柳田さんの情感の乱高下にこっちが風邪をひきそう。
「――俺のが歌、ウメーかんな。昔から」
俯いて目を逸らした柳田さんを覗き込む。「……はい?」と細く訊ね返す。
「あ、アイツ、何でもできそーに見えっからいちいち腹立つけどな。昔っからヘタクソだからっ、う、歌うのだけは」
「……それで?」
「だっ! から、だな、その。歌う技能は、俺のがすんげー上、なんだよ。だだ、だ、から俺様が歌ァ上手いのは、と、トーゼンつーかだな」
ぐるんと背を向けてダンダンと三歩進み、開けっ放しになっていた『偵』の窓の前まで戻る柳田さん。しおしおのタバコを懐から取り出していつものマッチで火を点ける。スパアスパアと一服し始めて、私はつい顔面が歪んだ。
え、なに。もしかして嬉しくなっちゃったの? それでこの反応? いつもより照れ隠し激しくない?
もしかして、YOSSYお兄ちゃんよりも勝っているものを褒めてくれてありがとう的な? ええっ、なんかおもしろ……てか柳田さんってどこで歌って上手くなったわけ? えーっ、超気になるじゃん! もしかしてここで独りで歌って練習してたとかァー?!
プーックスクスクス最高におもしろいよ柳田さんっ! いつも無駄にカッコつけて怒ってる雰囲気全開にしつつ人寄せ付けないように振る舞ってんのに、アーティストレベルで歌が上手いなんて!
「柳田さん」
無駄に広い照れた背中へ、ニヤニヤの顔面をほぐしながら近付いていく私。「あ?」だけでまだ赤みが引いていないことを察知する。
「遠慮したり照れる必要なんか、ないじゃないですか」
浅く私を振り返るも完全に顔を見せてはくれない。一歩一歩と近付いて、その高いところにある左耳へコソコソと告げる。
「もっとここで歌ってくれていいんですよ」
「う、歌わねーよ」
「またぁ。なんならサムエニ呼んでカラオケ大会したっていいんですよ」
「バッ……やんねーよ」
「このあと一緒にカラオケ行きませんかっ? まぁ柳田さんの奢りですけど」
「い、や、だっ」
とか言いながら。とか言いながらですよ。忘れた頃に柳田さんはまたここでフンフン歌うんだよ。
フッフッフ、見てろよ柳田良二。次は一曲ごとにたっくさん褒めて、むちゃくちゃ持ち上げて、タバコの代わりに鼻歌歌うような状態にまで仕掛けてやるぜ。
―――――――――
お題……どう見ても両思いなのにツンツンor顔を真っ赤にしてケンカしている二人
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