カラヴィンカの祝福:解題あるいは覚え書き、あと外伝

鍋島小骨

(鳥の歌)

空に還る日

 落ち雛の姫と呼ばれた日々も遠く過ぎ去り、日は巡り夜は重なり、この世はじりじりと過去を堆積させながら、歩みを止めることはありません。

 世界は誰も行き先を知らぬ盲目の船。誰もかじを取らぬかに思われている巨船。本当は誰もが皆少しずつその舵に触れているのに、自分がわずかばかり未来を、世界を変えたのだと気付くことはない。

 未来は見えないから、なのでしょうね。

 遠くのことは見えない。とりわけ、時のはるか先で起こることは。

 わたしたちは皆、死すべき運命さだめの存在だから。それよりも遠い先のことは、知り得ないはずだから。

 無いところから奇跡の泡のように生まれ、また無に還っていく。その仕組みからは誰も皆、逃れ得る者はありません。

 それがたとえ、あの子でも。



 わたしの部屋には、子供時代に生き別れた弟の髪で編んだ腕輪がずっと置いてありました。

 あの子の髪は燃えるおきのように赤く、波打って炎の小川のように輝き、わたしは切っても切ってもすぐ伸びるその髪をいたり編んだりするのが大好きだったのですよ。

 腕輪は、わたしが弟に教えて、弟の髪で編んでもらったものでした。あの子は細かい仕事が上手な方でしたからね。内緒で教えたのです。大人たちは私にしか教えないつもりだったようですけれど、弟にも権利はありましたもの。


 いつも、いつも、その腕輪に触れるのは怖かった。この腕輪に触れ手にはめるだけで、あの子がまだ生きているかどうかわたしには分かってしまうからです。

 祈るように持ち上げ、手に通したものです。

 何年も。何十年も。

 そして、今も。


 あの子は生きている。

 この世界のどこかで。同じ空の下に。



 ねえ、イール、もうこんなに長い時間が経った。

 わたしのことを覚えている?


 わたしはおまえを決して忘れはしない。

 おまえがどこかで生き延び、わたしには決して辿り着くことのできない遠い未来で、幸せになることを祈っています。

 イール、今、おまえの世界はどんな風?

 少しはいいこともあった?

 待っていて、やがてもっと大きなさいわいが訪れるのを。わたしは知っているの。わたしがのですから。

 あの細い未来の糸を運命の広大な織物から選び出して掴むのが、当時のわたしにできる精一杯だった。

 これでもずいぶん頑張ったのよ。わたし、どうしてもおまえの呪いを引っくり返したかったんですもの。おまえが周りのせいで自分を呪い続けているのが耐えられなかったから。

 力に、善いも悪いもありはしません。力はただの力。

 呪いと見るから呪いになるのよ。

 方法が、きっとあるはずだと思ったのです。


 ねえ、イール、おまえは小さいときから頑固な子でしたものね。そうしてしまったのはおまえを取り巻く人々のせいでもあった。あれほどかたく焼き締められたような呪いを壊す道も裏返す道も、なかなか見つからなかったわ。

 このわたしが、天唱鳥カラヴィンカのわたしが、あんなに毎日毎日、おまえは悪い子じゃない、と言い続けてもだめだったのですから。


 だから。

 わたしの言葉でだめならば。

 わたしの声だけでは足りないのならば。

 そう、元々奔流のような祝福に喰われながら生きているおまえを捕らえた強い強い呪いが、ただの、その場で呟く祝福などで裏返せるはずがなかったのです。

 だからわたしは、もうひとりの天唱鳥カラヴィンカを呼んだのよ。おまえとぴったり補い合うことができる、特別な雛を。



 イール、生きているわね。

 そのまま、そのままどうか、待っていて。


 おまえはいつか、歌えないうろ天唱鳥カラヴィンカと救い合うの。

 そして独りぼっちではなくなる。


 そのときわたしはおまえと再び巡り合うことができる。時を越えて、生死の因果を越えて。

 どんなことをしてでもおまえを守ってみせる。

 わたしが死んでもわたしの祝福はおまえの上に生きる。

 いつかそうなるとわたしは信じる。この生涯をかけて、強く信じると決め、そうしてきました。

 信じるほどにそれは、きっと本当になり、おまえを守るでしょう。

 その瞬間を、わたし自身が見られなくてもいい。それでいい。

 わたしが報われるためにおまえを愛し祝福したのではありません。

 わたしはそんなものを求めはしない。

 けれどもわたしの言葉が、祝福が辿り着いた先で、わたしの魂のかけらがきっとおまえに出会うでしょう。

 幼いあの頃のように。



 元気でね、イール。

 そして、未来でおまえがわたしの言葉に会えますように。

 わたしの夢がおまえのもとに実現しますように。


 おまえの身体に虹の翼が差しかけられますように。



 その時までわたしは、こうして。


 懐かしいおまえの、この真っ赤な髪と一緒に、



 眠っていましょう。





 ……………


 …………………





 ああ、見える、



 見える、


 あの日の糸の先が。



 出会えたのね。


 泣かないで、可愛い、わたしの、大切な、



 お帰りなさい、悪夢イール


 おまえの赤が悪しき血ではなく、

 地にる実、

 天の炎の色であるように。



 さあ、掴んだその手を決して離さないで。


 旅は続くのだから。




 いい子ね、イール、





 イール……――――





 ……………










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