夏思いが咲く

夢月七海

1.


 宇宙エレベーターの出入り口は酷く混んでいた。

 三分間箱詰めされていた状態から出てきても、あまりの人ごみにまた息苦しさを感じてしまう。


「父さん、待ち合わせ場所は去年と一緒?」

「ああ、あっちだよ」


 後ろの父さんへ振り返って確認すると、父さんは左の方を指差した。

 言われた通りの場所へ歩いていくと、地上ターミナルの噴水の前で、ライちゃんが待っているのが見えた。


「ライちゃーん!」


 父さんがその姿に気付いて手を振ると、ライちゃんはこちらを向いて、駆けてきた。


「お久しぶりです。長旅お疲れ様です」

「ありがとう。お父さんは、お仕事?」

「はい、日暮れには終わるので、家で待っていると言っていました」


 ライちゃんと父さんが、そんな話をしている。

 僕は、その内容があまり頭に入って来なかった。ライちゃんが、去年会った時よりも大人っぽく感じて、ドキドキしてしまったからだった。


 ライちゃんは僕の顔を見上げると、柔らかく微笑んだ。


「よっくん、背が伸びたね」

「う、うん。やっと、ライちゃんを追い越せたよ」


 僕はこの緊張を気付かれないように、普通の顔をして頷いた。

 だけど、自分の目線よりも下にライちゃんの顔があると意識したら、余計に鼓動が速くなってしまう。


「じゃあ、いこっか」


 ライちゃんがそう言って、歩き出したので、僕らも後に続く。向かうのはライちゃんの家から一番近い、東百四十五番ゲートだ。

 先を歩くライちゃんの髪は、前に会った時よりもずっと長くなっている。たった一年でも、色々変わるんだなとぼんやり思っていた。






   ◇






 ゲートの外にある駐車場で待っていた車に乗り、ライちゃんの家のロボット、スティーブンスの運転で移動する。

 マンションの中にあるライちゃんの部屋についた頃には、すでに日が沈んで、夜の入り口になっていた。


「まあまあ、今年もいらっしゃい!」

「遠路はるばる、お疲れ様」


 ドアを開けると、ライちゃんのお母さんとお父さんが出迎えてくれた。

 二人とも、僕を見て「背が伸びたねー」と言ってくれて嬉しかったけれど、何故かライちゃんに言われた時のような恥ずかしさは感じなかった。


 それから、ライちゃんのお母さんとスティーブンスが作った夕食をみんなで食べた。

 地球の料理は、野菜も生で食べられてとってもおいしい。ちょっとわがままを言って、サラダをおかわりした。


 夕食の後、ライちゃんのお父さんとお母さんは、僕の父さんと一緒にソファーに座って話している。

 父さんとライちゃんの父さんは幼馴染で、ライちゃんのお父さんが地球に引っ越した後も手紙でやり取りして、お互い結婚した今でも交流が続いている。


 僕とライちゃんも、物心ついた頃からの友達同士だ。ただ、一年に一度、こうして会うだけで、すごく仲が良いという訳でもない。

 だけど、二人っきりになっても、気まずくなって話が続かないってことは無かったはずだった。それなのに、リビングのテーブルに残った僕らは、どちらもちょっとそわそわしている。


 毎年開催している、海上から上がる花火大会に、僕と父さんはいつも見に行っている。

 その時はいつも、バルコニーから花火が見えるライちゃんの家に行く。日帰りの旅行だけど、僕らの星では見られない火を使った花火が見られるので、とても楽しみにしていた。


 ……ライちゃん、やっぱり大人っぽくなったなーと、僕は密かにそう思っていた。

 去年よりも服装とかお洒落になっていると意識した途端、さらに緊張して、何も言えなくなってしまった。


「……ねえ、よっくん」

「あ、な、なに」


 ライちゃんが小首を傾げながら尋ねてきたので、僕はさらにどきどきしてしまった。

 自分がまるで自分でないような変な感覚の中、ライちゃんは微笑みながら僕に提案した。


「今年は、外で花火を見ない?」

「えっ?」


 僕はびっくりしてライちゃんの顔をまじまじと見た。

 僕らは未成年で、夜間外出許可も出ていないはずなのに、その提案が唐突で、信じられない気持ちになった。


「だ、大丈夫なの? 父さんたちが、人ごみは嫌だからってここで見るのに」

「うん……でも、スティーブンスが一緒だったら、いいよね?」

『ええ、わたくしも、成人扱いとなりますので』


 ライちゃんが、ソファーの横でワインをグラスに注いでいるスティーブンスに尋ねると、筒型の体はそのままに、くるりと頭をこちらに向けて答えてくれた。

 僕は、いいのだろうかとお酒を飲んで酔っ払っている三人の大人たちの方を見た。


「スティーブンスが一緒なら、安心だ」

「僕たちも随分飲んじゃったからねー」


 ライちゃんのお父さんはそう断言して、父さんは伸びをしながら同意して、ライちゃんのお母さんはとろりと眠たそうな目付きのまま頷いた。


「ね、ほら、行こうよ」

「う、うん……」


 これ以上嫌がったら、ライちゃんが悲しくかもしれないと思い、僕は外へ出ることを決心した。






   ◇






 やっぱり、外は酷い人ごみで混んでいた。

 年に一度の、しかも地球で唯一の花火大会だから、中継とかではなく、実際に見てみたいと思う人が多いみたい。


 僕は毎年ライちゃんのバルコニーから眺めていたら、それはすごく贅沢な事なんだと、人ごみにもまれながら思った。

 いつもなら、目の前でドーンと広がる花火が見れるのに、何故ライちゃんがわざわざ下まで降りていったのかがよく分からない。


『二百メートル先はまだ空いています。そちらへ向かいます』

「ありがとう、スティーブンス」


 僕らが迷子にならないようにと、高く掲げられたスティーブンスの片手を手掛かりに、ライちゃんと並んで歩いていく。

 完全に日が沈み切った夜の地球で、僕たちは海を目の前にして二人と一体、人と人との間の僅かな隙間に立った。


「ここからなら、良く見えそうだね」

「……うん、そうだね」


 こんな人波を掻き分けて進んでいったのは初めての経験だったので、僕は肩で息をしながら答えた。

 一方ライちゃんは、外へ行こうと提案した張本人だからなのか、とても嬉しそうに空を見上げている。


 僕は、夜空ではなく、まるで黒い布を敷き詰めたかのように静かな海の方を眺めた。

 僕の故郷には海がないため、これがすべてしょっぱい水だと知っていても信じられない気持ちになる。


 ライちゃんは、僕が海の方を見つめていることに気付いて、視線を下した。


「私のお父さんね、若い頃は潜水艦に乗っていたんだって」

「へえ。すごいね」


 毎日海に潜る仕事。僕には想像がつかない。


「ライちゃんは、海に潜ったことあるの?」

「うん。潜水艦ツアーでね」

「魚とか、見れた?」

「その時は、ホエールウォッチングのツアーだったから、クジラを見たよ」

「そうなんだ。いいなー」

「今度、よっちゃんも一緒に行く?」

「えっ?」


 思わず、こちらに微笑みかけているライちゃんの顔を見た。

 確かに野生のクジラを見れて羨ましいとは思ったけれど、本当に見に行くなんて思いつかなかった。花火を見たら、すぐに帰るから、この後は無理だろうけれど。


「よっちゃんも、一人で渡航できる許可は貰っているよね? 夏のツアーに行こうよ」

「うん……考えてみるよ」


 ライちゃんがとてもにこにこしながらそういうので、僕も曖昧な返事をしながら頷いた。

 どうしてライちゃんは、僕とクジラを見に行くのにこだわるのだろう。内心首を傾げながら、視線を夜の真っ暗闇に移す。


 丁度その時、花火大会は始まるというアナウンスが響いた。

 周りのざわつきが大きくなり、みんなが海の方を向いた雰囲気を感じる。


「始まる」


 ライちゃんが、緊張感を帯びた声でそう呟いた。

 その直後、水平線の先から、金色の光の線が、垂直に空へ昇っていった。すぐに、赤い花が咲く。ドーン、パラパラと、音が遅れて頭上で鳴った。


 わあっと歓声が広がっていく中でも、花火は次々昇って、様々な色で咲いていく。

 こちらに迫ってくる音と、下から見る大きさとかが、ライちゃんの家のバルコニーから見るのとは全然違っていた。


「……綺麗だね」

「……うん」


 ライちゃんがそう言ったのに、僕は頷くだけで精一杯だった。

 なぜなら真横の彼女が、僕の左手を急に握り締めてきたから。こういうスキンシップは、いつ以来だか分からないくらいで、僕は驚きながらも汗ばむライちゃんの掌を握り返した。


「よっくん……」

「何?」


 しばらく手を繋いだまま花火を見ていたら、その爆発音に消されてしまいそうなくらいに小さな声で、ライちゃんが僕を呼んだ。

 彼女の指に力が入っていることは分かったけれど、僕の目は激しさを増していく花火の数々に向けたままだった。


「好きだよ」

「えっ?」


 パラパラと落ちる火花の音の中から、ライちゃんがそう言ったのが辛うじて聞こえて、僕は彼女の方を見た。

 ライちゃんは、顔を真っ赤にして笑っていた。それが、花火からの反射なのかどうかは分からない。


「……花火のことだよね?」


 僕は天地がひっくり返ったんじゃないかと思えるぐらいに動揺して、そんな最低なことを訊いてしまった。


「…………」


 ライちゃんが何かを言ったけれど、クライマックスの花火の音で、何にも聞こえなかった。

 口の形は、「そうだよ」にも「違うよ」にも思えるけれど、これ以上は何と言えばいいのか分からなかった。


 ……さっきまで、ライちゃんの睫毛まで見えていた明るさは、すっかり消えてしまい、花火前よりも深い闇が僕らを包んでいた。

 花火大会の終了を知らせるアナウンスが聞こえて、人々がそれぞれの家路に帰ろうと動き出している気配だけが漂っている。


『お二人とも、帰宅しましょう』

「うん。ごめんね、スティーブンス」


 スティーブンスに促されると、ライちゃんはあっさりと僕の手を離して、マンションへと歩き出した。

 僕も、その後に続いて歩きだす。頭の中では「狐につままれる」という、習ったばかりの古いことわざを思い出していた。






   ◇






 ライちゃんの家に戻って、僕と父さんと帰り支度をして、エレベーター乗り場行きのゲートへ向かう途中の車内でも、ライちゃんは何にも言わなかった。

 気まずい沈黙を漂わせている僕らとは正反対に、父さんとライちゃんのお父さんは、赤い顔のまま楽しそうに話している。


 ゲート入り口付近は酷い渋滞になっていたので、僕らはライちゃん親子と駐車場で別れることに決めた。

 父さんとライちゃんのお父さんは、名残惜しそうに、握手したまま話し込んでいる。一方僕らは、向かい合いながらも、目を合わせる勇気がなかった。


「ねえ、ライちゃん、さっきの……」

「また来年って、すごく長いね」


 僕は花火大会の時のライちゃんの言葉について訊こうとしたけれど、ライちゃんに遮られてしまった。

 ライちゃんは、困り顔から無理に作ったような笑顔をしていて、僕の胸は苦しくなった。


「今年の夏休みに、絶対来るよ」

「本当?」


 僕は勢いそのままで、そう言い返していた。

 目を丸くしたライちゃんと、全く同じ表情をしていたと思うけれど、そう約束せずにはいられなかった。


「待ってるよ」

「うん」


 僕たちは、笑顔で手を振って別れた。

 それからしばらく歩いて、父さんと、エレベーター行きのゲートに並ぶ人の列に加わった。

 

「また、宇宙ステーションまでのエレベーターの中で箱詰め状態かー」

「そうだね」


 嫌そうな父さんの言葉に、上の空な返事をする。

 三分間箱詰めでも、僕はあまり苦しくないだろうと思っていた。


 それよりも、またライちゃんに会える夏休みに、なにをしようか、どんな話をしようか、色々考えるのに一生懸命だったから。

 もう、ライちゃんと呼ぶのも子供っぽくて、止めた方がいいのかもしれない。帰ったら、一度手紙を書こうかな。






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