Act16.ビジネスホテル

 阿武隈川散策を終えると刹那たちは一旦ホテルに戻った。ツアーも『鬼霊戦記星見会』と記念撮影会を残すのみだ。


 シャワーを浴びて汗を流す。何事も起こらずに終わって欲しい。だが、そう上手くは行かないとネガティブな自分が囁く。


 今は問題を解決することは出来ないし、逃げることも出来ない。なら、やれる事をやるまでだ。


 ハートで乗り切れ!


 刹那はシャワーを水に切り替え頭から浴びる。そして、両手で頬を叩き、次にお尻を叩いて気合いを入れた。


 ユニットバスから出て身体を拭き、念入りにメークをする。


 次の『星見会』では観客が五倍になり、その後はツアー参加者とのポラロイド撮影が待っているのだ。


 ステージ衣装は自前だ。本当は娑羯羅のコスプレをする予定だったが、永遠が継続して着ることになった。


 準備を終えロビーへ向かうと、そこには舞桜と高尾の姿があった。


「せっちゃん……」


 舞桜の顔色は優れない。高尾は「ご迷惑をおかけしました」と深く頭を下げた。


「いいえ、気にしないでください。それより、舞桜ちゃん、だいじょうぶ?」


「うん、ゴメン……」


「いいよ、それより何があったの? 鮎瀬先生とは関係ないみたいだけど」


 舞桜はうつむいて眼を逸らした。


 高尾が何か言おうと口を開きかけた。


「あ、いいよ、言いたくないんなら」


「ううん……せっちゃんには迷惑かけてるし、いずれ知られることだから……ワタシの口から伝えたい……」


 舞桜は高尾を見上げた。彼が渋々うなずくと、舞桜はポツリポツリと話し始めた。


 昨日、刹那はバスを見送る群衆の中に死者の存在を感知したが、舞桜はそこによく知る男の顔を見ていた。彼女の元カレ、すがともだ。


 嫌な予感を覚えた舞桜だが、どうすることも出来ず不安を抱えたままツアーを続けた。


 そして不安は現実の物となった、世界のガラス館で彼からメールが届いたのだ。


「それで呼び出されたの?」


「うん……来なかったらネットに写真を上げるって……」


 舞桜の声が聞き取れないほど小さくなる、間違いなくリベンジポルノだ。彼女はメインキャラの仕事が決まっている、こんな所でつまずいてはいられない。


「行くしかなかった……行って止めてくれるよう頼んだ……

 でも……話なんて聞いてくれなくて……それで……それで……」


 そこで、舞桜は苦しそうに口をつぐんだ。


「もういいよッ」


 刹那は舞桜を抱きしめた。このまま続ければセカンドレイプになってしまう。彼女をこれ以上傷つけたくない。


「もう、いいから、舞桜ちゃんは悪くないわ」


 聞かなくても判る、男は舞桜を脅して関係を強要したのだ。その後で、今度は寄りを戻そうと迫った。弱みを握られた舞桜は、それを拒みきれない。


  なんて卑劣なヤツ。


 刹那は高尾を見上げた。


「写真はどうなりました?」


「天城さんが、削除したそうです」


「警察へは?」


「いいえ……」


 やはり大事にはしたくないのだろう。しかし、データは消去できても人の口に戸は立てられない。言葉だけで拡散される可能性はある。


 鬼多見に依頼すれば、元カレの舞桜に関する記憶を全て消すことが出来るだろうか。そうすれば……


 そこまで考えて刹那はゾッとした。


 鬼多見にさせようとした事は、芦屋満留がしている事だ。いくら下衆でも記憶を勝手に奪っていいわけがない。記憶は奪うことは人生の一部を消し去ることだ。


 こういった心の隙を、人の弱さを突いてくるのが満留だ。


 刹那は己の無力さを痛感した、霊感があっても友達一人助けられない。自分も結局、弱い人間なのだ。


「ごめん、舞桜ちゃん。そばにいたのに、あたし、何も気付かなかったよ……」


 悔しくて涙が溢れる。


「せっちゃん……」


「ごめん、ごめんね。あたしがもう少し、しっかりしていれば……」


「違うよ、せっちゃんが謝ることじゃない。これは身から出たサビなんだ。ワタシが浅はかだから、こんな目に遭うんだ」


 舞桜も頬を涙で濡らす。


 高尾がかける言葉もなく見守っている。


「二人とも、泣くのをやめなさい」


 凜とした声が響いた。


 顔を上げると、そこには沖田沙絢が立っていた。東雲監督を始め、他のメンバーもいつの間にか集まっている。


「もう会場へ行く時間よ、気持ちを切り替えて」


 いつもの沙絢とは思えない厳しい声だ。


「はい」


 刹那は涙をぬぐった、舞桜も同じだ。


 そうだ、自分はプロの声優だ。二百人のファンが待っている、今は個人的な感情に流されてはいけない。


「ごめんなさい、一枚しかないの」


 今度はいつもの優しい声で言いながら、沙絢はハンカチを差し出した。


「ありがとうございます」


 刹那は受け取ると、そのまま舞桜に手渡した。


 すかさず早紀が、もう一枚ハンカチを取り出した。


 刹那は涙を拭いて、盛大に鼻をかんだ。


「すみません。さぁ、行こう」


 舞桜の方を向くと彼女もうなずき返した。


 沙絢は微笑み、先登に立ってホテルを後にした。

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