かまいたち
賢者テラ
短編
(浩太)
今年30歳になる浩太は、彼女イナイ歴が人生の長さと同じだけである。
彼は確かにイケメンではない。かといってブ男でもない。
養護老人ホームに非常勤職員として勤める彼は、経済的には確かに『甲斐性がある』とは言いにくかった。でも、彼と似たような境遇の男たちなら世にごまんといる。
では、彼に足りないものは何か。
実際のところ、浩太は純粋で素朴。人柄だけで言えば善人の部類に入った。
しかし、世の女性はそれだけでは彼を評価しないのが、この世の難しいところである。
ちょっと内気で、自分に自信がない。人の気持ちが読めない。
人とつるんでいるよりは、一人で自分の好きなことに打ち込んでいるほうが心が落ち着く。
お洒落にも気を使うほうではないし、何より自分から女性に声をかけるなんて、とてもではないができない。
浩太は、実10年前、ネットのメールサイトで知り合った女性と、三回ほどデートをした経験があった。
当時はまだ 『出会い系』というものの黎明期で、比較的出会いやすい時代ではあった。
現在では多分カモにされるだけだが、当時は浩太のような人間でもまだ『出会うことができた』。
大病院の内科のナースをしている、年下のちょっとした美人であった。
初回でははしゃいでいた彼女も、二回目、三回目と回を追うごとにそのテンションが下がっていった。
彼女を見る最後となった舞台の喫茶店では、明らかに不快そうな様子をしており、一刻も早く帰りたそうであった。浩太は実に悪気なく人を、特に繊細な生き物である『女性』を怒らせてしまう名人、でさえあった。
だから彼は、自分をいましめる厳粛な意味合いをもって、この人物を『過去カノ』とカウントはしていないのだ。
「どうしてボクは、いつもこうなんだろう……」
気がつけば、もう35歳になってしまっていた。
性体験もない。つまりは童貞であった。
まぁ、彼女自体ができたことがなかったのだから、当然といえば当然である。
……・最終、風俗しかないか。
浩太は、30過ぎても彼女ができなければ、なんとか少ない給料からやりくりしてソープランドにでも行ってみるか、と考えていた。でも結局、35になった今も、思い切れず実行できていない。
ボーナスの出る独身正職員なら年に何度かはできるゼイタクだろうが、非常勤の浩太には無謀な出費であった。
でもやはり、それは何だか虚しさの残る最終手段であった。
避けられるものなら、避けたい——
浩太は考えた。
元手もなく、面と女の子に向かわなくてもきっかけができる方法——
彼は『出会い系』サイトのことは、知識としては知っていた。
無料サイト、というところなら苦労はするだうがチャンスはゼロではないはず。
ある日そう思い立った浩太は、仕事がひけてからさっそく自宅のPCで探してみよう、と計画した。
(香織)
香織には、大した考えがあってのことではなかった。
彼女がそのアルバイトに手を染めたのは、大学の友人の紹介であった。
バイト情報誌を片手に悩む彼女に、こう告げる友人がいたのだ。
「めっちゃ楽に、そこそこ稼げる仕事があるんよ。近々辞める子おるから、なんやったら紹介してあげよか? あ、心配せんでも水商売ちゃうから安心して」
確かに、すること自体は本当に楽であった。
あまりきれいではない、雑居ビルの3F。
エレベーターすらなく、薄暗い階段を上がったそこに、『S・E企画』という会社はあった。
小さな職場には、6台のPCが並んでいる。香織は、そのうちの一台に向かう。
この会社は、世にいう『出会い系サイト』というものを運営していた。
香織の仕事とは……そう。『サクラ』 であった。
香織が暗躍するのは、「出会いTAI め~る」という完全無料サイトである。
一応、無料という言葉にウソはない。
本当にこのサイトの利用域を出ない限り、一円たりとも利用者に負担が行くことはない。
しかし、そこにはからくりがあった。
実は、このサイトの女性会員はほぼ『サクラ』であった。ホンモノの素人女性は僅かしかいない。
沢山登録してくる男性会員たちに、それらしいメールを送ってその気にさせるのが、香織に与えられた 『仕事』である。
香織が頭を痛めて考えなくても、『テンプレメール のパターンが沢山用意されていて、適当に選んで送信するのだ。
「T市に住む21歳の大学生です。保育士やってま~す。映画とかドライブに連れて行ってくれる優しい人だったらいいな。あなたのこともっと教えてくださいね」
「最近、彼氏と別れて寂しくしてます。仲良くなれたら、お話たくさん聞いて欲しいな。お返事まってます。」
とまぁ、そのエサに、沢山のかわいそうなモテナイ君が釣られてくるのである。
そして、それに対する返信の展開まで、テンプレ化されているのである。
香織は、愚かな男たちの夢を背負ったそのメールに対して、無感情でテンプレ回答を送信し続けるのだ。
もちろん、出会い系サイトが全てそうなのではない。
ただ、この社に関してだけ言えば、まぁインチキと言ってしまってもよかった。
ほとんど出会えないのに、サイトを運営するその目的は何か?
S・E企画というのは、実はある大手有料サイトの子会社なのだ。
サクラたちは、あの手この手で会員達を有料サイトに誘い込むのだ。
「ここだと直メ教えにくいし、キケンだから…『らぶらぶMAX』っていうサイトに来てくれる? そこでメアド教えるね~」
……という具合である。
もちろん、教えたからといって会う気はさらさらない。
話を引き伸ばして、ポイント(つまりお金)を使わせるのだ。
親サイトにはサクラだけではなくちゃんと素人女性もからんでいるから、男は「今回はたまたま悪いのに当たったんだ。続けていればいい子に会えるかも」と、怪しまずに利用し続けてくれる。
それこそが、この会社の思うツボなのだ。
他のバイトの子は全くやる気がないので、ちょっと警戒をしてサクラメールかどうかを見分けるような変った質問をしてきたりする男性会員がいても、どこ吹く風で適当なテンプレをポイポイ送信していた。
ネットには、男性側が 『サクラ』 と見分けた女性の一覧を、サイト別に載せたホームページを作成して、注意を呼びかけているところもある。香織が検索したら、「出会いTAI め~る」は悪徳サイトのランキングに入っていた。
それでもこの商売が成り立つのは、そのようなサイトをチェックもせず、彼女らの毒牙にかかる男が沢山いるからである。
まさに、情報は命。いわゆる『情弱』は弱肉強食のこの世界でカモにされるのである。
確かに、来たメールに適当なテンプレ回答をコピペして送信し続けさえすれば文句も言われない。
PCの前でそれを繰り返すだけ。
それだけで、ファーストフードやコンビニなどでバイトする時給をはるかに上回るお金を手にできた。
香織は何かこころに引っかかるものを感じはしたが、労働の割りに高い時給のために、心を無にして、無表情にPCを操作し続けた。
彼女は知る由もなかったが、たった一週間の彼女の働きで30人近い男が有料サイトに誘い込まれ、総額で100万近い金額を落としていった。
(浩太)
アダルトサイトを巡ると、出会い系サイトの情報はごまんとあった。
どれにするか迷った浩太は、いつもアダルト動画をダウンロードするサイトの管理人が 『オススメ!』 として紹介しているサイトを選び、さっそくメルアドとプロフィールを入力して会員登録した。
そして、一時間かけて一生懸命考えた一言メッセージとともに、男性用の掲示板 (それを女性会員が見る)に投稿した。
一時間半、落ち着かない心理状態でテレビを見て時間を潰したが、メールの受信ボックスにはまるで反応がない。業を煮やした浩太は、女性掲示板から10人の女性にメールを送ってみた。
すると、30分後。一通のメールの受信音が鳴り響いた。
それは、掲示板の情報では 『25歳・販売業』となっていた。
送信者:美幸
件名:メールありがとう!
内容:うれしいです! 私は百貨店で、化粧品の販売をやってます。接客業って、ほんとストレスがたまるんですよぉ。私の話、これからも聞いてくれますかぁ? あ、退屈だったら言ってくださいね~w
浩太は、胸が躍った。
……美幸ちゃん、かぁ。
化粧品の販売かぁ。
浩太は、資生堂とかそのへんのコマーシャルを思い浮かべた。
想像をたくましくした浩太の心には、綾瀬はるかの笑顔が踊り、その背後に花びらが散っていた。
彼は、仕事上のストレスにさらされているであろう美幸を心の底から気遣って、心を込めたメールを打った。
余りにも想いの溢れた浩太は長すぎる文章を打ってしまい、字数制限に引っかかった。
そして、文章を要約するのにさらに20分をかけた。
そうして渾身の一通を書き上げた浩太は、神様仏様イエス様マホメット様……などとまるで節操のない祈りを込めながら、送信ボタンをクリックした。まぁ、大川隆法が入らなかっただけマシというものか。
果たして、その日のうちには美幸からの返信は来なかった。
「明日にはきっと来る!」
そうポジティブに発想した浩太は、いつにないワクワク感のうちに就寝した。
彼は知る由もなかったが、その気になって検索しさえすれば、「美幸」なる人物はサクラとして数多くの情報がネット上に寄せられ、注意が呼びかけられていたのであるが——
次の日。浩太は寄り道もせずまっすぐ家に帰った。
スマホでもサイトにアクセスして新着メールをチェックしたり送信したりはできたのだが、少々完璧主義なところがある浩太は、「ちゃんと落ち着いてメッセージを打てる環境じゃないと、ベストなものは送れない!」と考え、座って落ち着いて考え事ができる自宅PCのある部屋に着くまで、我慢したのだ。
はやる気持ちを抑えつつ、PCの電源を入れる。
ウインドウズ10が立ち上がるその時間が、バカみたいに長く感じられた。
「あったぁ!」
美幸からは、
「接客だとね、イヤなお客にも笑顔で丁寧に応対しなきゃいけないの。浩太さんだったら、そんな時どうやって乗り越えますか?」
と、アドバイスを求めるメールが。
老人ホームで介護をする浩太は、ある意味究極の接客業のエキスパートだったから、さっそく字数制限のあるメールをわざわざ三通に分けて、美幸に送信した。
(香織)
香織も、ある意味不器用な女性であった。
「私ったら、いったい何やってるんだろ——」
彼女の悩みの始まりは、ある一通の男性会員からのメールがきっかけだった。
普通のバイトの子は、男性のメールの文章など真面目に読んでいない。
まぁ、読まないで適当な対応をするから、サクラだと見抜かれるものなのだが。
例え読んでも、『バ~カ』という嘲笑とともにその純な気持ちは泥靴で踏みつけられる運命になるのである。だって、サクラには初めっから出会う気なんてないのだから。
でも、香織はなかなか他のバイトの子のように割り切れなかった。
『浩太』というハンドルネームで送られてくる、あきれるほど気合の入ったメールの対応には、特に心が痛んだ。
普通に考えれば、『世間知らずの純情バカ』であるが——
香織には 『損をしているだけの、いい人』 とも見えた。
気付いたら香織はテンプレ回答を避けて、それなりに自分の気持ちに沿った内容を送信していた。
……しかし、私いつまでこんなこと続けるんだろ?
そうなのだ。いつまでもこの関係が続くわけがない。
相手もそのうち様子を見て、話をすすめてくるはず。
香織の社のマニュアルでも、そろそろ会う約束をチラつかせて有料サイトに誘い込むべき段階にすでに入っているのだ。
経済状態はよくなったが、香織は私生活での歯車が狂ってきた。
つまらないことから彼氏と口論になり、冷戦状態が続いた。
このままでは、別れ話を持ち出されるか自然消滅のどちらかは必至であった。
大学が遠くなかったため、自宅から通っていたのだが、両親は最近の彼女を見てこう評した。
「……あんた最近、妙に余裕がないっていうか、ギスギスしてきたねぇ。学校でなにかあったの?」
私は、人の弱みにつけ込んでまでオカネを稼いでいる。その自覚が、香織の心を次第にむしばんでいった。
そんなことをしている人間が私生活では幸せになろうなんて、ムシがよすぎるのではないか。
世界は、この宇宙の法則はそんな風にはできていないのではないか?
なぜか、香織はそう思うのだった。
香織はついに決心した。
この仕事を、何と言われようがスッパリ辞めることを。
最後の勤務の日。
厳かな決意をもって、香織は浩太なる人物に向けて最後のメールを書いた。
……ごめんなさい。私はサクラだったんです。
どんなに謝ってもゆるしてもらえないかもしれません。
でも、私も自分自身のために、これを最後にします。
ウソだと思われるかもしれませんけど、メールのやりとり、本当に楽しかったです。
それでは。あなたのこれからに幸せがありますように。
世界のどこかで、陰ながら応援しています。さようなら——
世界広しと言えども、自らサクラであることを告白したサクラは滅多にいないだろう。
これは、香織にとってのけじめのつけ方であり、償いであった。
……そう、私は 『かまいたち』 。
姿を見せることなく、気が付かないうちに相手を斬りつけ、血を流させる。
送信後、すかさずPCの電源を落とした香織は、職場の責任者に「お世話になりました」と挨拶して、二度と来ることもないであろう魔の巣窟に別れを告げた。
(浩太・そして香織)
午後の講義に遅刻しそうだった香織は、駅前通りの歩道を必死で駆けていた。
五分後の下り列車を逃したら、確実に遅刻という状況が、彼女を焦らせていた。
そのため、脇の路地から現れた男性の姿に全く気付いていなかった。
「キャッ」
加速がついていた香織は、したたかその男性の肩にぶつかり、しりもちをついた。
男性の抱えていた封筒が地面に落ちるのが、視界に入った。
「す、すみません! 気がつかなくて……」
リクルートスーツ姿のその男性は、アハハと笑って封筒を拾った。
「僕のほうは大丈夫です。逆にあなたの方が心配なくらいです。お怪我はありませんか?」
「ええ、なんとか」
香織は立ち上がって、スカートのほこりを払った。
そして、挨拶の後別れるのが普通のはずだが……
なぜか香織は、相手の男性に不思議な興味を持って聞いた。
「これから、お仕事ですか?」
そんなことを聞かれると思っていなかった男は、ドギマギして言った。
「まぁ、ちょっと違いますがね。実は、今まで非常勤の職だったんですが、今回正職員の採用に挑戦しようと思いましてね。残念ながら仕事ではなく、これからが面接なんですよ」
「へぇぇ。それは是非、頑張ってくださいね。採用になるといいですね」
見ず知らずの男ではあったが、香織は心からそう思った。
「ありがとう」
男は少しズレたメガネを人差し指で持ち上げて、こう言った。
「やっぱり、何でも自分の力でやらなくちゃね。二本の足でしっかり立たないとね。最近、色んな経験からそう思わされたんです」
「それ、私も同感です」
香織は、遠い目をして微笑んだ。
時間にして二分もしゃべっていなかったが、二人は心を通わせあった。
軽く挨拶をし合って、二人は別れた。
道でぶつかっただけの、ただの他人同士として。
当然、連絡先など交換しない。
別れれば、もうそれっきり会うこともないであろう二人。
浩太と香織はそれぞれ、反対方向の人混みの中に消えていった。
かまいたち 賢者テラ @eyeofgod
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