いつか、君とこの街を。
橘 志依
第1話
「退屈な街だなぁ」
それが、俺の口癖。
俺、深川一樹は何の魅力もないこの街で、退屈な毎日に嫌気が差しているくせに、特に引っ越そうとかも考える訳でもなく、ただぼんやりと毎日を過ごしていた。
街を歩けば、行き交う人は楽しそうに笑っている。仮面をつけたように、同じような笑顔ばかりが見える。
―――気持ち悪いんだよ。
そんな人々を見て、そう思った。
28年間も生きてきて、相変わらず好きになれないこの街。
何か自分に大きな転機が訪れる訳でもなく。
普通の会社で、平均的な給料を貰って、無難な人生を歩む。
世の中で目立って活躍している人達に憧れはあった。
けれど、自分がそうなれるとも思ってない。
一時は、色々なことに手を出したけれど、長く続くものは何もなかった。
他人は苦手。
話していて面白いなら話すけれど、退屈な相手と話すのは苦痛でしかない。
人混みも嫌い。
周りの音が煩くて、歩きづらいだけ。
ずっと人混みにいると気持ち悪くて、頭痛がしてくる。
そんな俺が、今なぜこの街の中心部とも言える大きな駅を歩いているのか。
理由は簡単だ。
唯一ともいえる友人との待ち合わせをしているからだ。
地下鉄を降りて、駅の中を歩いていく。
開発ばかりでどんどん道が変わるから、たまに来るだけの地元人でも迷えような駅。
階段を上がって、一度外に出てから待ち合わせ場所に向かう。
待ち合わせ場所の時計前には、既に友人が立っていた。
こちらを見付けて、片手を上げ存在を示してくる。
俺もその姿を見つけて彼の方へ歩くが、人が多すぎて思うように歩けない。
友人が立つ位置までは数メートルなのに、何度も人にぶつかりそうになる。
見かねた友人の方から来てくれた。
「相変わらず、歩くの下手な」
友人の柳瀬修二が笑いながら言う。
修二は人混みを何のことなく歩いてしまう。
「この街は歩きづらいんだよ。修二は何で、そんなに簡単に歩けるわけ?」
自分よりも少しだけ身長の高い修二を見上げて、眉間にシワを寄せる。
「そりゃ、28年間も住んでたら慣れるだろ」
まだ慣れていない自分は一体何なんだ、と顔をしかめると、修二は心配そうな顔をした。
「顔色、悪い。人混みに酔ったか? とりあえず、人が少ない方へ移動しよう」
修二はいつも、こうやって顔を見ただけで体調や気持ちを読み取ってしまう。
俺もそれに甘えてしまっている所があるのは、いつも申し訳なく思っていた。
修二のあとをついて歩いていると、少し人が少なくなった。
外に出て、大きな信号を渡って裏道へ入ると、あまり人通りもない。
「こっちに穴場の喫茶店を見つけたんだ」
修二が振り返り、向かっている方角を指差した。
彼が働く会社の方だと、直ぐにわかった。
「ここの駅は人が多すぎ。よく毎日通えるな」
ようやく人混みを抜けて楽に呼吸が出来るようになって、修二に話しかけた。
「通勤電車はキツいけど、そんなに悪い会社でもないからね」
修二はこの駅にある会社で働いている。有名な企業ではないけど、それなりに待遇はいい会社だって、前に話していた。
「一樹だって、田舎で働いてるわけじゃないだろ?」
修二からの問いかけに、言葉が詰まる。
俺が働く会社もまた、所謂主要駅の一つが最寄りだ。通勤電車は満員だし、朝は歩きづらい。
「この街自体、田舎みたいなものじゃんか。都会でもなく、自然に囲まれた田舎でもない。中途半端なんだよ」
つい、街に対する悪態を吐いてしまうが、修二は笑ってその答えに同意する。
「それは否めないな。ここは田舎でも都会でもない。何でもあるのに、何もない。退屈な場所だよ」
修二がそう言ったとき、丁度目的の喫茶店へ到着した。
人が少なくて、静かな店だった。
コーヒーの香りが店一杯に広がっていて、店主が一人で経営しているのか、カウンター席といくつかのテーブルがあるだけ。
店に入ると「いらっしゃいませ」という、店主の低い声が聞こえて、修二は慣れた様子で窓際の端の席に向かっていく。
慌てて追いかけると、修二は先に座って待っていた。
「先に行くなよ」
修二の向かい側に座って、何となく小声でそう言うと修二はまた笑う。
「初めて来る場所で挙動不審になる28歳の男とか、普通は気持ち悪いからな。童顔だから許されてるだけ」
修二の言葉に顔を背けて、不機嫌になったとアピールをする。
「童顔は、お互い様」
年齢よりも若く見られることは、よく有ることだった。目の前に座る修二も、28歳のくせに大学を卒業したくらいに見える。
「まぁ、新卒社会人に思われることはしょっちゅうだけど、コンビニで身分証明書求められた一樹には負けるよ」
楽しそうに話す修二を睨み付けるが、彼は気にしていない。
慣れたものだ。高校からずっと友人関係を続けているくらいには、お互いのことはわかっている。
店主が注文を取りに来て、無難に本日のコーヒーを注文する。
「それで、なんでわざわざ呼び出したわけ?」
用件を聞くと、珍しく修二が口ごもった。
「あー、うん。実はさ……」
修二は基本的に話すことを頭の中で整理してからしか相談をしないから、こうやって口ごもるのが珍しいのだ。
「頼みがあって、ちょっと、うん」
修二からの頼み事。その言葉に嫌な予感がした。
過去の経験から、彼の頼み事は大体俺が苦手なことばかりなのだ。
「小説読まない?」
修二の言葉が、一瞬理解できなかった。
小説を読むなら、一人で勝手に読めばいい。むしろ、本はそういうものだ。
「……は?」
一樹は理解ができずに聞き返す。
「いや、だからね。小説を……」
もう一度同じことを言おうとする修二を止めて、怪訝な顔をする。
「勝手に読めばいいだろ」
そう言うと、修二は俺が理解していないことがわかったようで、なぜ、そういう話になったのかを説明し始めた。
「実はさ、最近人に薦められて本を読んだわけだ。小説をね。短編だったから読みやすくて、話も面白かった。それから色んな小説を読むようにしてるんだけど、元々あまり本を読まなかったせいで、面白い作品ってのがよくわからないワケだ」
頷きながら修二の話を聞いていた。
確かに、修二はあまり本を読まない。昔からだから、よくわかっている。
「一樹はかなり本を読むじゃん? だから、お薦めを聞こうと思ってたんだけど。でも、絶対俺読みきらないじゃん?」
それは、容易に想像ができた。
読み始めたばかりの時はいいけれど、集中力が続かないというか、映像や音声がない本の内容を想像力でカバーするのが苦手というか。
とにかく修二は一冊の本を読むのに時間がかかる。期間を空けて読むから内容を途中で忘れてしまう。
「そこで、思ったわけだ。だったら一樹に読んでもらおうって」
「なんでだよ!」
思わず声を上げてしまった。静かな店内だから、なるべく静かにしていようと思っていたのに。
恥ずかしくなって少し俯くと、修二はそれを笑いながら見ていた。
「相変わらず、人目を気にするな。誰もいないし、そんなに大きな声じゃなかったから大丈夫だって。丁度コーヒーも届いたから、一旦落ち着こう」
誰のせいで、こんな恥ずかしい思いをしているのか。
原因である目の前の男を軽く睨むと、運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。
それで、少し落ち着くと先程の続きを話始める。
「なんで俺が読まなきゃいけないわけ? 他の人に頼んだり、ネットで探したり、いや、むしろ自力で読めよ」
そう言うと修二は苦い顔をして丁寧に答えていく。
「ネットの無料で聞ける範囲のやつだと、音質が悪かったり、発音が変だったり、聞きづらかったりして内容が頭に入ってこない。本を読んで欲しいなんて、他の人に頼めるわけがない。自力で読むのは諦めた」
確かに、ネットで探すと発音がおかしいものや読み間違いばかりのものが多い。
音質が悪いものもあるし、オーディオブックとして聞くなら有料のものにしないとクオリティは低い。
「だったら有料のものを使えば?」
正論で返すと修二はまた首を横に振る。
「一冊とかで聞くのやめたら勿体ない」
彼はこういう男だ。
よくわかっている。だからこそ、断りたい。
「大の男に読み聞かせとか、絶対嫌だ。気持ち悪い」
拒否をすると、修二は少し考えて「だったら録音して、そのデータちょうだい」と言うのだ。
「自分の声を録音とか、嫌だ。恥ずかしいし、他の人が聞いたら笑われる。修二が聞いても笑いそうで嫌だ」
必死に断るが、修二は何度も頼み込んでくる。
なぜ、ここまで頼み込んでくるのか。その理由はあっさりと教えてもらえた。
「本も読まないのかって、会社の奴に馬鹿にされた。俺も、一樹にたまに聞くから色んな本の概要だけは知ってるけどさ。読んだことがないものばかりなわけ。なんか悔しくなって読もうと必死になったんだけど、無理だった。だから色々考えて一樹なら面白い本を知っていて、遠慮なく頼めるかなって」
下らない理由だった。
だけど、本当に、真面目な男だなと一樹は思った。
苦手な読書で馬鹿にされて、相手はそんなに気にしていないだろうけど、克服しようと努力するところは、修二の好感が持てるところだ。
思わず笑ってしまうと、今度は修二が不機嫌な顔をして一樹を睨む。
「笑うな。それで、なんかお薦めの本とかないの?」
話を逸らそうしているのが解って、一樹も頭の中でいくつか本のタイトルを思い浮かべる。
「それ、よく聞かれるけどさ。各ジャンルにお薦めの本ってあるわけだから答えるのが難しいんだよ。まず、どういう本が読みたいのかを教えてくれ」
そう聞くと、修二も少し考えて「難しくないやつ」と答えた。
「ミステリーとか、恋愛とか、純文学系がいいのか、ライトノベル系が良いのか、色々あるだろ。ちなみに、恋愛とライトノベルは絶対にお断りだから」
男一人で恋愛ものを音読するなど、拷問でしかない。
ライトノベルは登場人物が多すぎる。
断る理由を上げて、それらのジャンルを却下した。そして、スマホを取り出すと、電子書籍の本棚を修二に見せた。
「これ、今読んでいる本と読み終わった本。積ん読はあまりしないから、未読本はない。大体の内容は覚えているから、気になったタイトルがあれば教えて」
修二はスマホを受け取ると、その本の多さに顔をしかめた。
「うわ、こんなに読んでるの? え、暇人?」
その修二の反応に「いいだろ、別に」と顔を背ける。
「俺以外に友達いないの? 休日とか、何してるわけ?」
少し言葉に詰まった。
実際、友人と呼べる存在は修二だけだ。休日は引きこもって読書。そう答えたら、修二はきっと呆れた顔をするだろう。
「たまに誘われたら遊びにいくこともあるけど、そんなに遊ぶわけないだろ」
必死に考えて出した答えがこれだった。
友人と言うほどでもないが、遊びに誘ってくれる人は数人いる。
「自分から誘って遊ばないよね、一樹は」
昔からそうだったと修二が笑った。
「友人になった瞬間にコミュ障発揮するの、なんとかならないの?」
修二の指摘は昔から言われていることだった。
人付き合いが苦手で、初対面の相手だと無難な対応を出来るけれど、一定以上仲良くなると途端にどう対応すれば良いのか解らなくなる。
高校時代、修二と仲良くなった頃に言われたことだ。
「別に、特に困ってないし」
嘘だ。本当は直したい。
けれど、今さらどうすることも出来ないと、諦めている部分でもあった。
要は、仲良くならなければ無難に対応出来るのだから、問題はない。
そう、自分に言い聞かせている。
「全く、本当に子供がそのまま大人になったみたいな奴だよね。生きづらくない?」
生きづらい。
その答えを修二に返すことは出来ない。
修二は大事な友人だから。心配をかけるようなことは伝えたくなかった。
「気にしてないから、問題ない。それより、本は決まったか?」
話をそらして問いかけると修二は慌てて本を選び始める。
その姿に少し笑い、窓の外を眺めた。
本当に、生きづらい。
人が近くにいるだけで、ストレスが溜まってくる。
職場にいても、街を歩いていても、気持ちが悪い距離に人がいる。
家で一人になると、一番落ち着く。
やりたいこともないし、興味を持てるものも少ない。
「じゃあ、これ」
少し、考え事をしていたせいで、突然差し出されたスマホに驚いてしまった。
修二の方を見ると、スマホを差し出して一つの本を表示させていた。
その本は、夏目漱石の『こころ』だった。
「なんで、この本なわけ?」
理由を聞くと、修二は「有名じゃん」と軽く答えた。
「微妙に長いし、やめろよな」
そういいながら、別の本を探そうとしたが修二は「これがいい」と言って聞かない。
「時間掛かっても良いからさ。頼むって」
修二があまりにも頼むので渋々了承して、その日は別れた。
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