逢魔時、雨

菅原 龍飛

第1話

 見知らぬ町を空の買い物袋片手に一人で歩いていた。朝に見た天気予報によると、今日は酷暑らしかった。その言葉の通り、四時を過ぎてもなお強く照りつける日差しが、日焼け止めを塗ったまだ白い肌を焼いていく。溶けるような蒸し暑さに嫌気が差し、歩き疲れたのもあって、ふと立ち止まり空を見上げる。ソフトクリームみたいな形の、空の半分を埋めつくすほどの巨大な入道雲。それがブルーハワイのような色をした果てしなく青い空に悠々と浮かんでいた。よくある、見慣れた景色。


 どうやらしばらく眺めていたらしく、気づけば雲は太陽を覆い隠してしまっていた。最近、そんな風に思考の糸がぷつりと切れたように時間を過ごしてしまうことがある。そういうときには、あ、時間が飛んだな、と思うようにしている。そうでもしないと、私が私の意思でここに立っているのか不安になってくるのだ。


 ……さて、と。


 買い物袋を肘にかけ直して、うっすらと汗の浮かぶ額をハンカチで軽く何度か叩いて汗をとり、まだ人通りの多くない商店街を歩き始めた。


 ここの通りに来るのは初めてだった。どこにどんなお店があるかなんて分からない。でも、この町に住む美里から託されたメモを頼りになんとか買い物を済ませた。八百屋で人参と玉ねぎと卵、肉屋で鶏肉、その他、美里に頼まれたものを商店街にいたいろんな人と話しながら買い集めた。


 どうやらこの商店街では美里は『元気で明るい大学生』ということで有名らしく、顔が似ていると言われる私を見て「美里ちゃんのお姉ちゃん?」とあちらこちらで言われた。「そうです。今日は熱を出してて」と答えると、みんな口を揃えて「珍しい!」と言った。


 愛されてるんだな。私はそう思った。


 小さい頃から面倒を見ていた。今日もわざわざ遠くにいる私を呼び寄せて自分の看病をさせるんだから、やっぱり私がいないとダメなんだな、なんて思っていた。だけどそんなことはなく、美里は私だけの妹じゃなくて商店街の娘のようになっていた。どんどん私から遠ざかっていくような、もう私が頭を撫でてあげなくてもいいような子になってしまったような、寂しさにも似た、でも寂しさとは少し違う、なんとも不思議な感覚だった。


 とはいえ大学生なんだから独り立ちしてくれる分には構わないのだけれど。……ただ、世話を焼く人が変わっただけで、独り立ちできているのかも分からないけれども。


 太鼓のような音が聞こえた。腕時計を見ると、五時半を回ろうとしていた。時間を使い過ぎてしまった。商店街の人と話すのがくすぐったい感じがして、居心地が良いような感じがして。早く戻って食事の用意をしないと風邪っぴきに怒られる。最後に、先ほどから無性に冷たいものが食べたかったのでカップアイスを二つ買った。


 商店街を後にして家に向かう。だけど、ここで変な冒険心が出てしまった。


 回り道をしよう。そしてせっかく来たこの町を楽しもう。


 脇道に逸れて、物静かで人通りの少ない道をゆっくりと進んでいく。白く無機質な建物が立ち並び、民家と工場と事務所が混ざり合って下町のような印象を受ける。印刷所から漏れ出る引っ掻くような高い音。工場というには小さな工場から聞こえる機械の低い音。バイクが走り去るエンジン音。それに混ざって再び太鼓の音が聞こえる。さっきの音よりも近づいているような気がした。もしかしたら祭りかなにかの練習をしているのかもしれない。


 そう思った矢先、凍えるような冷気が白い町を流れ支配した。空を見上げると、灰色の雲が全てを包み込み、青空なんてものはかけらさえ見ることができない。


 頬に冷たい一雫。思わず目を瞑った。


 雨だ。


 その一雫をきっかけにするように滝のような雨が降ってきた。


 辺りを見渡すが雨宿りができそうなところはない。私は頭を守るようにして急いで駆け出した。どこに行けばいいかなんて分からないけど、とにかく屋根のあるところへ。


 どこをどう通ったのか、瓦屋根の小さなバス停のようなものを見つけた。迷ってる暇はない。そこで雨宿りをすることに決める。小走りでなんとかそこへたどり着き、ひと息つく。買い物袋を長椅子に置いて自分の服を見る。やはりひどく濡れてしまっていて、スカイブルー単色のワイドパンツが紺色のまだら模様になっていた。服が肌に張り付き、靴の中がぐしゃぐしゃになって気持ち悪い。そうは言っても出来ることはないから、とりあえず腰を下ろすことにする。


 椅子に座ってため息をつく。途方にくれて辺りを見渡した。焦っていて気づかなかったが町の雰囲気が変わっていた。先ほどまでの下町のような町並みはなく、白と黒とで作られたモノクロの田舎町のシャッター街のような感じだった。それに、人の気配が全くない。この町はたしかに人が多いわけではない。だけれど、活気だけは他に劣らないと買い物のときに印象付けられていた。下町感溢れる脇道だって生活感があった。だからこそ、このような生気のないところがあることに驚いた。まるでさっきまでの町じゃないような感じがした。


 ここはどこだろうと思い、立ち上がって時刻表を見る。


『逢間』


 そう書かれていた。分かってはいたけれど聞いたことのない場所だった。でも、少し靄が晴れた気がして再び座り直す。


 ざあぁぁぁ、と人気のない通りに忙しなく反響する雨音は、決して心が安らぐような優しいものではなかった。


 うっすらと寒さを感じ、濡れた自分を抱いて身を丸める。しばらくそうしていた。そうしていたかった。

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