第11話 誤解は突然やってくる

 東に連れられて、ひよりは一般に解放された隊員食堂に入った。ここは当然、普段は関係者しか利用できない。

 入口に手洗い場があり、アルコール消毒液なども置かれ、衛生面には気をつけていることが分かる。

 広々とした食堂にテーブルと椅子が並び、セルフサービスでご飯やおかずをとるようになっている。


「社員食堂と変わらないですね」

「メニューは基本的には全員同じ。でも、アレルギー源の少ないおかずで、かつローカロリー定食なんかもあるよ」

「そうなんですね!」

「食事は健康をもっとも左右するからね。とはいえ、部隊や駐屯地によって対応は異なる」


 今日は特別に一般開放しているためか、部屋の端にキッズスペースが設けられていた。マットを敷き詰めて、ローテーブルをいくつか並べ、子供たちが飽きないように折り紙や塗り絵まで準備されていた。


「あっ、ふふふっ。塗り絵も自衛隊っぽいのだ」

「ん? ああ、折角の自衛隊を知ってもらう機会だからね。子供たちにも広報活動だ」

「将来、なりたいって子が出てきたらいいですね」

「期待している」


 そんなことを話しながら、二人は奥のテーブルに座った。ひよりは、東に渡されたお弁当をゆっくりと広げた。


「うわぁー! 豪華すぎませんか。運動会みたい」

「運動会? 間違っちゃいないね。日頃の訓練の成果を発表する日だしね」

「私なんて、涼しい所で見ていただけなのに……申し訳ないです。あれ⁉︎」

「どうかした?」

「なんで私が、安達さんと一緒にいるって分かったんですか」

「あはは。まあ、それは……たまたまだよ。招待席にいなかったからね。巡回している部下に聞いたら当たりだったってわけさ」

「そういうことですか」

「うん。さあ、食べよう」

「いただきます」


 まさか初めから、安達がひよりを見守っていたなんて思わないだろう。東はひよりに良からぬ虫がつかないよう、手を回していたりする。

 ここは男だらけの駐屯地。一般開放しているとは言え、若い独身隊員は彼女や嫁というものを渇望している。早くパートナーを見つけて、外の世界で暮らしたいのだ。しかし、安達がそばにいれば、そうは簡単に近づけない。なんせ、体力徽章にレンジャー徽章を付けた陸曹長だ。顔にもなぜそこにと、思うくらい絶妙な場所に傷がある。


「部下でよかったよ……」


 こんな素晴らしい逸材が、自分の配下にいることに東は心から感謝した。心の中で「安達さん、ありがとう!」を何度も唱える。


 そんな東の様子を見たひよりは、申し訳なさでいっぱいになった。こんなに素晴らしい機会を与えられたのに、自衛官になりますとは言えないからだ。お弁当まで作ってもらったのに、東の期待に応えられないひよりはそっと箸を置いた。


「東さん」

「ん? どうしたんだい。もしかして苦手なものが」

「あのっ! 私、やっぱり自衛官にはなれません。ごめんなさい」

「んんん?」


 東は、またしても想像していなかった言葉をひよりに投げかけられて思考回路は混線だ。

 何がどうなって、自衛官になれないのだ。いや、それよりもなぜ自衛官になろうと思ったのだと。


「東さんから、こんな素晴らしい行事に招待いただいたことはとても感謝しています。自衛隊のことを知らずに大人になってしまったのが、今はとても恥ずかしいです。国民を想う皆さんの熱い心に、私はとても感動しました」

「えっ、あ、うん。ありがとう」

「先日おっしゃってましたよね。自衛隊が何かを分かったら、東さんからお話があるって」

「うん? そう、だけど。え、今? ここで?」

「ですが、私にはまだ自衛官になる心構えが何もできていないんです。だからっ」


 ひよりは唇を噛み締めた。悔しさでいっぱいだったからだ。

 自分より若い女性が警備に立ち、しかも背中には小銃を担いでいた。警備だけではない。先ほどの戦闘訓練の中にも、数名の女性隊員がいたのだ。


(私にはできない。気持ちも、体力も、何一つ揃っていないの。私には、日本を守れない!)


「えっ、ちょっと待ってくれ。ひよりさん、一旦、思考を停止しよう。はい、先ずは水を飲む!」

「お水……あ、はい。いただきます」

「飲んだら、深呼吸して」

「ふぅー」


 ひよりはとても素直だ。東に言われるがまま話を止め、水を一口飲んで深呼吸をした。そうしてから改めて顔を上げると、ひよりの視界には優しい東の顔が現れた。


「ひよりさんは素直ないい子だね。本当に俺なんかには勿体無いかもしれない。けどね、この駐屯地……いや、この自衛隊という組織には渡さないよ」

「は、はあ……え?」

「あのね。私はひよりさんに自衛隊に入らないか? なんてことは言わない。もし、ひよりさんがなりたいって言うなら考えるけれど、そうじゃないならなる必要はないよ。職業選択の自由がある。ひよりさんは、ひよりさんのやりたいことをするんだ」

「私、てっきり自衛官になりませんかって、スカウトされるのかと」

「あー……参ったな。そっちに思考が行っちゃったか。これはまた、あははははっ」


 突然笑い出した東にひよりは驚いた。それもそのはず、周りにいた隊員もびくりとして、立ち止まるくらい東は盛大に笑ったのだ。


「まったく、ひよりさん。よし! 決めた。今夜、ディナーに行こう。そして、そこで私の気持ちをお話するとしよう。もう、二度と、誤解しないためにもね」

「ここではお話できないのですか?」

「できないね」

「そ、そうなんですね……」


 きっぱりと、ここでは話せないと言われた。では、東はいったい何をひよりに話すというのか。しかも、ディナーをしながらという。


「とにかく、自衛官になる必要はないよ。さあ、ひよりさん食べよう」

「はい」


 新たな疑問を抱えたひより。

 けれど、東の料理がおいしくて、今は考えるのやめようと思い始める。


「この肉巻き美味しいですー。ご飯がすすむ危険な味ですね」

「それは良かった」

「ああ、もう全部おいしい……」


 いや、東の料理に夢中で、他のことなんて考えられなくなっているのが正解だ。




 ◇



 夜の待ち合わせ場所を決めたので、あとは来た時と同じようにバスに乗って帰るだけ。東はひよりをバスの発着場まで送ると言う。

 すぐそこなのにと思いながらも、ひよりは東と並んで歩けることが嬉しかった。


(だって、東さん。かっこいいんだもん)


「ごめん。ちょっとATMに寄りたいんだ。すぐ隣にコンビニあるから、そこで待ってて」

「コンビニ? 了解です」


 どんなコンビニが入っているのかと目をやると、それはひよりがよく知っているコンビニだった。

 東が来るまでの間、中を覗いてみることにした。基本的にはよく見るものが売られているけれど、やっぱり普通のコンビニとは違っていた。


「駐屯地土産? 戦車の絵が書いてあるのに、中身はクッキーだって。あ、これって自衛官さんが使う物?」


 日用品コーナーを除くと、自衛隊の色であるモスグリーンや迷彩柄の手袋やハンカチなどが売られてある。速乾性シャツ、消臭率99.9パーセント靴下なんかも目についた。


「ベルトに小物入れだ。もしかして、訓練で使うのかな。きっと、消耗品なのね」


 興味深げにそれらを見ていると、なにやら奇妙な会話が聞こえてきた。営内に住んでいる若い隊員のようだ。


「おーい。おまえが使ってるメイク落としシートって、これか?」

「おお、それだ。拭いたあと、肌ががさつかなくていいんだよな。低刺激らしいぞ」

「んじゃ、俺も買っとくか。来週から山籠りだからさ」

「そう言えば、山口がストッキング切らしてるから買っといてくれってよ」

「分かった。俺の分入れて三つだな」


(えっ! メイク落としにストッキング……なんで!)


「こないださ、彼女のストッキングくすねたらめちゃくちゃ怒られた。なんか、いいやつだったらしい」

「いいやつなら、使い心地もよさそうだけどな」

「穿かなくなったら教えてくれって、言っといた」

「ま、俺らのは基本、破れたやつでいいもんな」

「そうそう。買うの馬鹿らしいからな」


(彼女が穿いたやつを、使うの⁉︎ しかも、破れたものって。メイクして、ストッキング穿いて何してるの……嘘だ、嫌よ。気持ち悪い! 変態!)


「先輩から受け継いだ技だからな、それよりいい方法は今のところないね」

「だなー」


 ひよりの、頭の中は大変なことになっていた。

 国民のために命をかけて働く自衛官たちは、なんと、女装をしていたのだ!

 いや、本当はそんな事のために買っているのではない。しかし、ひよりが彼らの事情を知るわけがない。


「ひよりさん。お待たせ」

「東さんっ」

「どうかした?」


 ひよりは用を済ませた東に助けを求めるようにすがった。そして、若い隊員を指さす。


「あの人たち、変質者です!」

「なんだと。おまえたち、何をした!」


 コンビニ内が、一瞬にして凍りついた。

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