第9話 まるで想像していたのとは違った
「名残惜しいが、そろそろ時間だ。ひよりさん、暑いから無理をしてはいけないよ。時々、日陰に退避、水分補給はしっかりするんだよ」
東はひよりにそう告げると、同じ迷彩柄の帽子を被った。ひよりはそんな東をぼうっと見つめる。本人は気づいていないが、すっかり恋する乙女の目をしていた。
「今日は天気が良すぎるな。若いのが何人運び込まれるかな」
「え、倒れたりするんですか? みなさん逞しそうですけど」
ひよりは毎日訓練をしている自衛官が、暑さで倒れたりするのだろうか。普通の人たちより断然鍛えられているはずだと心の中で思う。
そんなひよりの心を読んだのか、東は言う。
「確かに毎日訓練しているし、一般の人よりは鍛えてある。しかし、全員が強靭な体の持ち主じゃないよ。入隊したばかりの教育隊の連中は、体がまだできあがっていないからね。そんな彼らのケアをするのが私の仕事だ」
「そうなんですね。では私は皆さんが倒れないように祈りながら見ています。東さんも気をつけてください」
「うん」
ひよりは東と別れて、受付で案内された席に向かった。そこは階段状になったていて、関係者や家族が優先して座れるようになっている。一般の来場者にも席は作られているが、そこに収まりきれずにグランドの周囲に人だかりができていた。
「こんなに人、来るんだ……」
グランドに目を向けている人だけでもかなりの人数だが、模擬店などで買い物をしたり、日陰で休む人もいる。
「お祭りと同じだ」
かき氷を頬張る小さな子供、日陰にシートを敷いてのんびりする家族。ここは公園なのかと錯覚してしまうほどだ。しかし、その前を大勢の自衛官たちが通り過ぎる。
ひよりにとって、こんなコラボレーションは初めてだった。
(もっと、怖いところだと思ってた。騒いだら捕まえられちゃうのかなって、思ってた)
◇
グラウンドには各部隊の迷彩戦闘服を着た集団が集結した。ひよりは、何百人という陸上自衛隊員を目の前で見るのはこれが初めてだ。
掛け声一つで乱れる事なく同じ動作をする彼らは、どれほどの訓練を重ねた事だろう。
戦闘服にブーツ、ヘルメットと見るからに重みが伝わる。照らす太陽の光はますます厳しくなり、座っているだけのひよりも口で息をしたくなるほど暑かった。
それでも隊員たちは、静止したままピクリとも動かない。
(あっ、倒れたっ)
部隊旗を持った人の後ろで、一人、ばたんと地面に体を打ち付けた。これが先ほど、東が言っていた光景なのだ。日々の訓練で疲れているであろう彼らが、倒れてしまうのも無理はない。
(大丈夫なのかしら。あれ、もういない)
倒れた隊員は二名の隊員に両脇を抱えられて、素早く後方に退いた。抜けた隊員のあとは、何もなかったように他の隊員が立っていた。
(倒れた人がいるなんて、誰も気づいてないみたい。みんな、壇上の方を見てる)
偉い人たちが交代で、挨拶をしていた。
(東さんが治療してるのかな。ちゃんと、診てあげてね)
そんな事を思いながら、式典と観閲行進は終わった。この後、模擬戦闘の展示を行うという。
それにしても、暑い。
ひよりは見晴らしの良い席に座らせてもらっているが、屋根がない。頬も頭もだんだんと熱くなってきた。
(すこし、日陰に入ろうかな……)
帽子をかぶっているし飲み物も飲んでいるけれど、普段運動をしないひよりにとっては、とても過酷な現場だった。
ひよりは招待席から降りて、木陰に入る。
持ってきていたタオルで汗を拭いて、お茶をひと口飲んだ。
「ふぅー。暑い……」
その時、ひよりは一人の自衛官から声をかけてきた。ひよりの体調を心配して来てくれたようだ。
「大丈夫ですか。救護テントにお連れしましょうか?」
座ったまま声のする方を見上げると、そこには大きな無線機のようなものを背負った安達陸曹長が立っていた。
「安達さん! こんにちは」
「覚えてくださっていましたか。その様子だと大丈夫そうですね。でも、随分と顔が赤くなっていますよ」
「大丈夫です。でも、ちょっと逃げちゃいました。ちゃんと見るつもりでいたのに」
ひよりは頬が赤くなり、明らかに体内で熱がこもっている状態だった。けれど、周りを見ても自分のような人はいなかった。子供なんて走り回っている。
(こんなことじゃ、自衛官になんてなれない。私みたいなのが志願したら、足手まといすぎる)
ひよりは東に自衛官になりませんかと、言われると思い込んでいるのだ。眉間にしわを寄せて、期待に応えられそうもない自分を責めた。
そんなひよりを見た安達は、なにを思ったのかこんな事を言う。
「西さん。招待客用にもう一つ席があります。もしよろしければ、案内させてもらえませんか。ちなみに、ここよりは涼しい場所です」
「えっ、でもお仕事中ですよね」
「来場されたお客様の案内をするのも私の仕事です。それに、今日の主役は若い隊員なので正直暇なんですよ」
「そうなんですね。では、お願いします」
ひよりが安達の提案を受け入れると、安達は背負っていた機械で誰かにコンタクトを取りはじめた。
しばらくすると、別の隊員が走って来てその機械を受け取った。
「あとは頼んだ」
「はっ!」
任務を交代したようだ。
「では、西さん。行きましょう」
「はい」
安達もまた腕に赤十字の腕章をつけていた。東が言っていた通り、安達も衛生隊の一員だったのだ。そして、安達の左胸にも東がつけていた物と同じものが光っていた。
◇
ひよりが安達に連れてこられたのは、グラウンドを真正面に見ることができる建物の中。大きな窓があり、そこから訓練の様子がよく見えた。
「うわぁ! 全体がよく見えますね。あれ? 私だけですか?」
「あとから来るかもしれませんが、今は貸切ですね。みんな近くで見たいからここは人気がない」
「私には助かります。ありがとうございます」
窓からグラウンドを見ると、自衛隊車両が土埃をあげて走りこんでくる。それが停止すると、中から隊員が降りてきて素早く武器の設置をした。
放送では、仮想敵から奪われた陣地を奪還するという設定らしい。
今度は来場客がこぞって空を見上げた。
ひよりはいったい何が起きたのか、同じく視線を空に移した。すると、ドドドドと低いエンジン音がして、ヘリコプターが飛来してきたのだ。
「ヘリコプターだ!」
「OH-6D連絡観測ヘリコプターです。小型で卵のような形をしているのが特徴です。機動力に優れているので敵の偵察も兼ねています。あのヘリコプターから得た情報で、作戦の確認をします」
小さなス卵型のスケルトンヘリコプターが、ひよりの目の前を飛行した。途中ホバリングをしながら、敵の様子を伝達している。
『敵は南より五百メートルまで接近』
『こちら中隊長、了解した。レンジャー出動!』
今度は少し大きめのヘリコプターがやって来た。ドアは開いた状態で、中から数名の隊員が体を乗り出して外の様子を見ていた。すると、なんとそこからロープで降下し始めた。
『レンジャー降下! 降下!』
瞬く間もなく数名のレンジャー隊員が降下して、走って建物の陰に消えてしまった。続いて、グラウンドの端からバイクに乗った隊員が現れる。
『偵察小隊出動!』
バイクに跨った隊員は背中に小銃を背負っており、先頭を走る小隊長の合図でハンドルから手を離し銃を構えた。
―― パパパン! パパパン!
その光景を見たひよりは、ぽかんどころではない。もう、窓にへばりつくようにしてみいっていた。
(すごい……なにこれ。めちゃくちゃカッコイイ!)
目の前で繰り広げられる戦闘訓練は、臨場感たっぷりだ。無線から敵が侵入してきたと連絡が入ると、偵察小隊はあっという間に消え、今度は大きな車輌が代わりに並んだ。その車輌は150ミリりゅう弾砲という武器を牽引しているものだ。
「わっ、あれって! パンフレットに載ってた。もしかして、ここで撃つんですか⁉︎」
小銃なんて比じゃない。どこからどう見ても破壊力のある武器だ。あの砲口から弾が出たら、訓練どころではなくなるではないか!
「安達さん、駐屯地が壊れちゃいます!」
大慌てなひよりとは対象に、安達はとても落ち着いていた。そして、無言でひよりの耳を塞いで視線を外に向けさせた。
次の瞬間!
―― ドン!
「ひっ」
お腹に響くほどの音がした。
幸い安達がひよりの耳を塞いだので、音はかなり抑えられていた。それでも窓枠が軋むほどの衝撃があった。
「あそこに立っている隊員が、赤い旗をあげたら耳を保護してください。ちなみに弾は空です。音だけなので安心してください」
「空っぽ! よかったですぅ。でも、火は出るんですね。もういろいろと凄すぎます」
「怖いですか?」
安達はひよりが自分たちのことをヤクザと勘違いしていたことを知っている。あの日の帰り道、部下から報告を受けていたのだ。
安達は考えていた。こんな場面を見せつけられて、一般の女性ならば、自分たちはヤクザよりも恐ろしい集団であると思われたかもしれない。
それよりも、東がひよりに想いを寄せているのを知ってしまった。それ故に、今回の招待が吉と出るか凶とでるか不安でならなかったのだ。
「怖いですよ。あの攻撃で多くの人が死んでしまいますから」
「そうですね」
「でも、それ以上の多くの人を守ってくれるんだなとも、思います」
「ほう」
「こんなこと言ったら不謹慎かもしれないのですが」
「なんでしょう」
ひよりは窓の外を見ながら、安達にこう言ったのだ。
「カッコイイです。めちゃくちゃカッコイイです!」
安達はひよりのその言葉を聞いて、強張った表情を緩めた。安達の想像をひよりは見事に裏切ったからだ。
「まだまだこんなもんじゃない。もっと素晴らしい場面をお見せしますよ。我々、衛生隊のね」
「えっ!」
「さあ、始まる」
人殺しの集団と言われなくてよかった。安達は心の中でそう、思っていた。
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