第8話 初めての駐屯地
結局、東がひよりを一人で駅まで歩いて行くことを許さず、酒が完全に抜ける夜まで留まることになった。東はというと、機嫌よく夕飯の準備を始めてしまった。
昼食を、お腹がはちきれるほど食べたので、夕食は胃に優しい温かいうどんが出された。
どうして東はひよりにここまでするのだろうか。ひよりはまだ分からない。
(これじゃあ断れないよね。自衛隊に入るの。さんとうさんたちが、女性が足りないって言ってたしなぁ。会社辞められるかなぁ。その前に体力に自信がないんだけど)
ヤクザになれと言われるより、自衛隊の方がぜんぜんいい。でも、体力がないから不安だ。そんな方向にひよりの思考は移っていた。
◇
そして、ある日の日曜日。
東が働く自衛隊の駐屯地記念行事の日がやってきた。東に駐屯地最寄りの駅から、無料シャトルバスが運行されるので、それに乗って来るように言われた。
バスの運行は八時半からで、式典は十時から始まる。ひよりは東からバス待ちの列が長くできるから、早めに並ぶようにと言われていた。
ひよりが駅前のバス停に着いた頃には、すでに十数名の人の列ができていた。ひよりがこの列であっているのか迷っていると、モスグリーンの制服を着た自衛官から声をかけられた。
「おはようございます。駐屯地記念行事に行かれますか?」
「はい」
「では、最後尾はこちらになりますのでお待ちください。それから、これどうぞ。パンフレットです」
「ありがとうございます」
そう、今回はきちんと自衛官だと認識できていた。ひよりはあれから猛省したのだ。
反社会組織と国を守る自衛隊を間違えてしまったこと、自分の偏った知識と思い込みを振り返ると、今でも穴があったら入りたい。けれど、ひよりは東にチャンスをもらったのだ。自衛隊がどんなことをしているのか、自衛官は何のためにあるのかを、自分の目で見ることができる。
パンフレットを見ると、今日のタイムスケジュールと催し物などが書かれてあった。写真から見るに、訓練の様子も見せてもらえるようだ。
(うわっ、これ大砲? 火が出てる!)
観閲行進、祝賀飛行、訓練展示、自衛隊車両展示、祝賀会と見慣れない文字が並んでいた。
「お待たせしました。奥から順番に詰めてください」
「あ、バス来た。見た感じ、普通のマイクロバスね」
普通のバスと違うところは、運転手が自衛官だということ。席に座ると真っ先に目に入ったのが「弾帯外せ」という注意書きだった。
(弾帯って……あ、下にgun beltって書いてある)
「えっ、ガンベルトっ」
いわゆる、銃弾を連結したものを身につけるためのベルトだ。ある意味ヤクザより強烈だ。
(東さんたちもつけるのかな。でも、医官さんだからそれはないよね)
まだ文字しか見ていないのに、そういうものをつけなければならない仕事がこの世にあると知り、胸が痛んだ。国を守る、国民を守るということは、そういう事が起こり得るという事だからだ。
バスは十分ほど走って、陸上自衛隊の駐屯地の門に入った。降りたら全員、持ち物検査をしなければならないらしい。テロ対策の一環だろう。
持ち物の中身を見せた後、金属探知機を使ったボディチェックがある。小さい子供や女性には、女性自衛官が対応していた。
「はい、大丈夫です。ご協力ありがとうございました」
自分と同年代か、それよりも若い女性自衛官を見て、ひよりは考える。彼女たちも国を守るために入隊したはずだ。何が彼女たちをそうさせたのか、とても気になった。
ひよりにとって、これまで自衛隊という言葉すら頭の片隅になかったからだ。
(どこで、何がきっかけで自衛官になったんだろ。あっ……スカウト?)
東が自分を誘おうとしているように、彼女たちもスカウトされたのかもしれない。ひよりの、ちょっと斜め上な思考は相変わらず健在だった。
無事に持ち物検査を終えたひよりは、東に言われたように関係者受付で名前を名乗った。すると、関係者用のパスを首からかけられた。
「西さん! 十時から開会式が始まりますので、あちらの席でご観覧ください。出入りは自由です」
「ありがとうございます」
「暑いので水分補給や日陰での休憩をおすすめします」
「はい!」
「あっ、すみません。もう一点」
受付の隊員がひよりに駐屯地内の見取り図を渡した。そして、小声で「こちらで、お待ちしているそうです」と指をさしたのは救護テントだった。
「あっ、ここに。分かりました。ありがとうございます」
東はここに居ると言われたのだ。赤十字マークが目印だと聞いて、ひよりはさっそくそこへ向かった。
◇
営内はまるで古い国立大学の敷地を歩いているようだった。大きなグラウンドと、駐車場には自衛隊のトラックが整列し、古びたコンクリートの建物がいくつも建っている。そして、それぞれの部隊の看板がかけられてある。食堂やコンビニ、娯楽施設もあり自衛官の生活を垣間見ることができた。
ひよりが歩いていると、記念行事を見に来た多くの一般客とすれ違った。小さな子供を連れた家族もいるし、若い女性のグループもいた。それに、お祭りで見るような模擬店まである。
(まるで、お祭り! かき氷、唐揚げ、うどん、焼き鳥……ガチャまである!)
それは、ひよりが想像していた風景とは全く違っていた。もっと、緊張感に包まれているものだとばかり思っていたからだ。
営内の見取り図を見ながら、ひよりはようやく東がいる救護テントまでやってきた。赤十字のマークの下に「救護所」と看板に書いてある。テントの隣には同じく赤十字マークをつけたトラックが停まっていた。
テントの入り口は、まだ閉まっている。
「おはようございます。あの、誰かいらっしゃいますか?」
恐る恐るひよりは、テントの入り口の隙間から声をかけた。しかし、誰もいないのか中から返事はない。どうしようかと悩んでいると、後ろから声を掛けられた。
「あ、西さんですね! おはようございます」
振り返ると、迷彩服を着た隊員が立っていた。腕には赤十字の腕章を付けている。
「はい、西と申します。おはよう、ござ……あ! さんとうさん!」
ひよりは東の家で食事を一緒にした、部下の一人だということに気がついた。
「三等さんって……くははっ。間違ってはいないですけど。自分、三等陸曹の河口と言います。三等は自分の階級ですね。略すならば三曹かな」
「えっ、階級! わー、すみません。失礼しました。河口三等陸曹さん」
「いえいえ。でも、西さんは自衛官ではないですから、階級までは言わなくて大丈夫ですよ。それにしても新鮮だなぁ。あっ、東隊長ですよね。中にると思いますけど……隊長! いらっしゃいましたよ」
河口三曹は、テントの入り口をめくって通る声でそう言った。ひよりが後ろから覗いてみるけれど、中は薄暗い。
(本当に居るの? 居ないと思うよ)
「おぅ、いらっしゃい」
「わっ。お、おはようございます」
陸上自衛隊の迷彩服が、薄暗いテントの中に溶け込んでいるせいで、東の姿に気づかなかった。
「すみません。準備をしていたので気づかなかった。さて、入り口を開けておこうか。ひよりさん、よく来たね」
「ご招待くださり、ありがとうございます。初めてなので、ちょっとドキドキしています」
「今日はね、地域の方に我々の日々の訓練の成果をお見せして、自衛隊活動に理解してもらうための行事なんだ。だから、ドキドキしなくて大丈夫。ここは、ヤクザの本部じゃないからね」
「あっ、もう忘れてください。ちゃんと自衛隊って、認識しましたから」
「あはは。安心したよ。ではもう一歩踏み込んで、自衛隊が何をする組織か、そして自衛官とは何者かを知ってください」
「はい」
それでもひよりはドキドキしていた。それは、あまりにも東がかっこよかったからだ。
他の隊員も同じ迷彩服を着ているというのに、東だけはなぜか特別に見えた。腕には赤十字の腕章をつけ、左胸にはなにやら立派なものがついている。
(そういえば東さんの階級って、なんだろう)
「あの、先ほどいらした河口さんは三等陸曹さんらしいんですけど、隊長の東さんもあるんですよね? 階級が」
「あるよ。自衛官は階級制だからね」
「ちなみに何等ですか?」
「私はね二等陸佐です」
「陸佐……?」
「一応、幹部ってわけだ。さて、ひよりさん体調はいかがかな。そこに座ってください」
「えっ」
「一応、形だけでも……ね」
「あ、了解しました」
東は健康チェックという理由で、ひよりに中を見せてくれるというのだ。ひよりは小声で返事をして、テントに入った。
テントなのに、小さな町医者くらいの設備が揃っていた。簡易ベッドもある。
「パイプ椅子だけど、どうぞ」
「失礼します」
「とまあ、こんな感じで仕事をするんだ。普段は医務室だけどね。野外ではテントを張って、怪我や病気の治療をしている。手術だって、できるんだ」
「えっ、外で、ですか!」
「うん。我々は戦闘地帯での治療も想定している。戦闘中は救急車なんて呼べないし、そういう場所は市街から離れているからね」
「医官さんも、戦うんですか?」
「衛生隊は救うのが任務です。その訓練を今日お見せしますから、まずは見てください」
「はいっ」
ひよりの知らない世界がここにはある。国民を守るために日々訓練に励む自衛官たち。
その自衛官たちの命を救う衛生隊。戦場を想定していると聞くと、やはり恐怖が生まれる。
「あのっ、死なないでほしいんです」
「え?」
「あ、えっと。すみません。まだ見る前からこんなでごめんなさい。まだ、怖くて」
「ひよりさん。怖いかもしれないけど、見て欲しい。目を逸らさないでくれませんか。私はあなたの事も、絶対に守ります。信じてください」
「東、さん」
東の大きな手がひよりの頭を引き寄せた。気がつくと、硬い生地に頬があたっていた。東がひよりを抱き寄せたのだ。
(えっ、えっ、えっ!)
どうしてこうなっているのか、ひよりは分からない。ただ、ドキドキしていた心臓はバクバクに変わっていった。
「ひよりさん」
「あっ、東さんっ」
なんだか、ちょっといい感じになっているけれど、ひよりはまだまだ混乱中だ。
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