第5話 正体が明かされた?
「よーしっ、全部行き渡ったかぁ」
「全部行き渡りました!」
男たちはテキパキと動き、ひよりが呆然としている間にランチの設定を終わらせてしまった。ひよりが我に戻った時は、東がにこやかに椅子を引いてくれているところだった。
「どうぞ」
「あっ、すみません。なんだか、呆気にとられていて。何もお手伝いできなくて申し訳ないです」
「言ったでしょう。ひよりさんはお客さんだって。仕事はこいつらに任せておけばいいんです。見てください。喜んでいる」
「え……」
言われてみると、四人はとても嬉しそうな笑顔でひよりを見ていた。これぐらい朝飯前だと言わんばかりの勢いだ。
「そうだ。自己紹介はしたのか。おまえたちのことだから、いきなり腕たせ伏せ見せつけたんだろ」
「自己紹介してもいいんですか!」
「俺はそこまで心は狭くないぞ。ほら、ひよりさんに名を名のれよ」
東がそう言うと、四人の男たちは横一列に並んだ。そして、ほんの少しだけ頬を赤らめて自己紹介を始める。
(な、なんなの。何でこんなに、かたいの)
椅子に座りかけたひよりも、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「
「
「
「
あまりにもの勢いに、ひよりは思わず一歩下がってしまった。部屋の中なのに風圧を受けたような気分だ。
「おまえらぁぁ……。違うだろが。はあー」
東はそんな四人の自己紹介に呆れたのか、大きなため息をついてうな垂れた。ひよりは相変わらず驚いて言葉が出ない。
(なんて言っての? さんとう、さんとうりく……以下略しか聞き取れなかったんだけど!)
「まあいいさ。飯だ、飯。おかわりはセルフだからな。いいか、ここは駐屯地じゃない。がっつくな、急ぐな、よく噛んで食え」
「ういーっす」
やっと、着席した面々は、手を合わせて「いただきます」をした。ひよりはきちんと手を合わせる彼らを見て、そういうところは会社のおじさんよりもお行儀がいいかもしれないと思った。
それはさておき、ひよりの心臓はここに来てからずっとドキドキしている。それは決してときめきでドキドキしているのではない。なにか事件でも起こりはしないかと、常に構えた状態なのだ。ちょっと変わったことがあるたびに、ドッキリしてしまう。
そして、緊張と驚きで、喉も乾きっぱなし。
(さんとう何とかさん? みんな名前が同じだった気がする。まさかね。それに、ちゅうとんって何!)
引き続き脳内は大混乱だった。もう彼らを鼻からヤクザだと思い込んでいるので、たくさん出てきたヒントや答えに気づかない。
「うまいっす! 隊長の料理は、いつ食ってもうまい」
「山から降りてきたら、特に有り難いよなぁ」
「通常任務の間に入る山はしんどいよな」
「野戦組よりはマシだけどな」
うんうんと頷きながら、またしても並ぶ物騒な単語にひよりは箸を止めた。
(野戦って、言った……怖いんですけど!)
ひよりの様子に気がついた東が、声をかける。
「ひよりさん、どうかしましたか。口に合わなかったかな。野郎に合わせ過ぎたかもしれない」
「いえ、違うんです。とっても、とーっても美味しいんです。私はここまで本格的なお料理を、家で食べたことないです」
「でもここ、難しい顔になってる」
「へ?」
東がひよりの眉間を指した。ひよりは眉間にしわを寄せていたのだ。美味しいの言葉とは真逆の表情に、四人の部下たちも箸を下ろした。
「すみません。自分たちの話ばかりしてしまいました」
「つい、仕事の愚痴を。すみません」
膝に乗せた手はグーにして、「すみません」としょんぼりしてしまった。まるで先生に叱られた男子生徒のようだ。
「私こそすみません。その、皆さんのことを理解したいと思うんですけど、接したことのない世界だったので。どう受け入れたらいいか、分からなくて。軽蔑してるわけじゃないですから。ただ、ちょっとだけ、怖いなって。ごめんなさい」
なぜか、反省会のような空気になってしまった。黙って聞いていた東が、静かに諭すように話し始めた。
「別に、おまえたちが謝ることでもないぞ。一般の人と我々の仕事は、日常で交わることもすれ違うこともない。むしろ、そういう事がない方が平和なんだ。それから、ひよりさんが怖いと思う気持ちも理解できる。今までが閉鎖的だったし、広報も大人しかったからね。でも、我々は怖い集団ではありません。ひよりさんと同じ普通の日本人ですよ」
ひよりは東の言葉を聞いて反省した。ひとえにヤクザと言っても、社会に貢献しようと頑張っている人たちもいるのだと。
「そうですよね! 社会は広いですから、偏った目で見ちゃダメですよね。皆さんが命がけだって事は理解しました。ただ、一般の人たちは巻き込んでほしくなくて」
ひよりがそう言うと、部下の一人が口を開いた。
「自分らは、そんなことしません! 絶対に巻き込まないように、国民の命が危険にさられないように訓練しています。それだけは理解して欲しいです」
「もちろんです。私は、皆さんを信じます。悪い人ばかりじゃないって、今日知りましたから。でも、怪我のないように気をつけてくださいね」
ひよりは精一杯の理解を示した。例え反社会組織だとしても、そうでない人たちもいる。まっとうな人生を歩いて欲しいけれど、彼らには彼らの信念があるのだろうと、かなり譲歩した状態だ。
「大丈夫です! なんたって、俺たちは衛生科です。隊員の命は俺らが救うんで!」
「東隊長なんて、医官ですからね! しかも戦える医官です。すごいんですよ、うちの隊長。怖いもの無しです」
さっきまでしょんぼりしていた四人は、目を輝かせながら熱く語った。ひよりもだんだんその熱がうつってきたのか、顔に自然な笑顔が戻る。
「東さんは尊敬されてますね。でも、戦えるイカンってなんですか? 私、恥ずかしいことにヤクザさんのこと全然知らなくて……」
ひよりはすっかり緊張がほぐれて、初めてヤクザという言葉を口にした。お互いの理解が深まったので、安心から気持ちが緩んでしまったのかもしれない。
「えっ」
「ちょ」
「なっ」
「マジですか……」
熱さを取り戻したはずの男たちが、唖然とした顔でひよりを見る。ひよりはそんな視線を向けられて、急に背中が寒くなった。
(やっぱり、ヤクザって言っちゃいけなかったんだ! どうしよう!)
そのとき、東が静かに席を立った。とても真剣な顔をして、ひよりに近づいてくる。
ひよりはそれを見て、終わったと思った。調子に乗り過ぎた自分がいけないのか、彼らに出会ってしまった自分の運のなさがいけないのか。
どちらにしても、悪いのは自分だと悟る。
「ひよりさん。もしかして、我々のこと」
「ごめんなさい! でも、わたしっ……死にたく、ない」
最後は震えて小声になってしまった。ひよりはぎゅっと目を瞑った。もう、潔く諦めるしかないと。
◇
「ぶはははは!」
咎められることを覚悟していたひよりの耳に飛び込んできたのは、東と四人の部下たちの笑い声だった。
一瞬、なにが起こったのか分からなかったひよりは、瞬きも忘れて彼らを見ていた。
「うはははっ、いひひひひ……」
「やっべ、くははっ。腹いてぇぇぇ」
全員が腹を抱えて、床に転がって笑っているのだ。
(なに! どうしたの? なんで、笑ってるの⁉︎)
ひよりからしたら、その光景は恐怖しかなかった。ある意味、踏んではならない地雷を踏んでしまったのだ。
「マジか……三十八年生きてきて、こんな誤解で爆笑する羽目になるとは。イデデデ、腹筋攣った」
「ご、誤解っ。え、誰がなんの誤解を?」
「ちょっと待ってくれ。もう少し、笑わせてっ……くれ。ぶはははは」
「あ、の。だい、じょぶですか」
それからおそよ五分後。彼らは目尻の涙を拭きながら、ようやく起き上がった。
「ああ、疲れたな。おい、冷蔵庫からビール持ってこい。おまえたちも飲んでいいぞ」
「了解です」
東は部下が持ってきたビールを開けて、一口ゴクリと飲んだ。そして、ひよりの前にもビールが置かれた。
「さて、ひよりさん。俺の話を聞いてくれるか」
「はい」
「まあ、飲みながらでも。ビールでいいかな。酎ハイもあるけど」
「ビールで大丈夫です」
ひよりもプルトップを開けて、ゴクリと一口喉に流し込んだ。今度こそ、腹を決めて。
「ひよりさんは、大変な勘違いをしていた。おそらく、出会ったときから今まで」
「勘違い、ですか」
「我々はね、ヤクザではありません」
「はっ、えっ。じゃ、じゃあ……皆さんは」
(ヤクザじゃなかったらなに⁉︎ 暴力団とか、マフィアとか‼︎)
ひよりの怯えた問いかけに、一瞬静寂が訪れた。そして、東はこう言ったのだ。
「我々は……」
思わずひよりは生唾を飲み込んだ。心臓がバクバク鳴って、耳にうるさい。ひよりは堪らず右手を胸に当てた。
「我々は、自衛隊です」
その言葉を聞いたひよりは、そっと目を閉じた。そして、何度もそのフレーズを脳内で繰り返す。
―― 我々は、自衛隊です……自衛隊です……自衛隊です
「じ、じっ。自衛隊って! 自衛隊ですか!」
意味をなしそうで、なさない言葉を叫んでいた。
そう、確かめるように。
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