第4話 アジトにやって来た

 そして、土曜日。


 前日の夜に『十時に駅で』と、簡潔で分かりやすいショートメッセージが届いた。ショートメッセージなんて久しく使っていなかったひよりは、バナーで読んだために返信方法が分からずあくせくした。

 今になって、ショートメッセージを使うことになるとは思わなかった。


「なんでショートメッセージなんだろ……アプリならすぐなのに」


 ひよりは東に、駅に着いたことを知らせようとバッグからスマホを取り出した。すると、そのタイミングで着信が鳴る。


「西です」

「見える場所にいる。そこで待機していてくれ」

「はい」


 東は駅前のロータリーが駐車禁止のため、ひよりが出てくるタイミングを見ながら周回していたようだ。


(ヤクザって、時間厳守なんだきっと。組長さんとか、せっかちそうだもんね)


 テレビでしか知らないヤクザの世界を、ひよりはあたかも知っていると錯覚していた。とにかく東という男は、大物ヤクザに育てられたのだと。


「東さん、こんにちは。駅までわざわざすみません」

「いえ、呼んだのは私ですから。シートベルト大丈夫ですか」

「はい。締めました」


 今日の東はサングラスをかけていない。こうして見ているとヤクザには見えない。目尻は少し下がっていて、年上を思わせるシワは味があっていい。むしろ、この東という男は、その辺の男性よりカッコいい。

 捲ったシャツの袖は、シワなくきれいに折り返されている。この前から髪型が変わっていないように見えるのは、定期的に散髪をしているのだろう。爪も短く切ってあるし、とても清潔だ。


(それに、いい匂いがする)


「何か、おかしな所がありましたか」

「えっ」

「さっきから、随分と熱心に観察しているようで」

「す、すみません! 会社のおじさんたちと違って、とても清潔というか、かっこいいなって。いい匂いするなーって」

「会社のおじさんか。まあ、ひよりさんから見たら、私もおじさんになるのか」

「いえ、そういう意味では!」


 ひよりは二十八歳にもなって、彼氏と呼べる相手がいない。最後に付き合ったのはいつだろうか。気がつけば同期は寿退社して、若い子からはベテラン扱いされるようになった。見渡す男性は、まさにおじさんばかり。


「いいんだよ。別に貶されたなんて思っていません。三十八歳にもなれば、立派なアラフォーってやつですよ。そりゃ、部下も増えるさ」

「お仕事、大変ですか?」


(あー、私、何聞いてるんだろ)


「うちの連中は、血の気の多い奴が多くてね。何というか、その辺は民間と違って気の毒だなとは思うんですよ。仕えてるものが大きいと、仕方がないんでしょうがね」

「ですね……」


(東さんの組って、大きいんだ。ますますヤバイじゃない)


 もう、ヤクザ以外に考えられなくなっていた。




 ◇




 東の車がマンションの地下駐車場に入った。車を停車させるとすぐに、部下らしき二名が走ってやってきた。


「おはようございます!」


 挨拶する声も、頭を下げるタイミングも見事に同じだ。


「すごい……さすが」


 ひよりは思わずそんな言葉を漏らした。


「トランクに荷物が入ってるんだ。頼めるか」

「はいっ。やります!」


 二人の動きは機敏で、無駄な動きはいっさいない。手早くスーパーの袋をトランクから取り出すと、下ろし忘れがないか指差し確認までしていた。


「荷物よしっ! 隊長、全部下ろしました」

「おうっ、助かる」


 若い彼らは、かなり厳しく躾けられているに違いない。ひよりはそんなことを考えながら、彼らのやり取りを聞いていた。


「隊長……?」


(組長とか親分とかじゃなくて、隊長っていうんだ)


「あいつら、いつもの癖で隊長って呼ぶんですよ。隊内の上下関係は厳しいから、体に染み付いてるんです。私も上の者から言われたら、黒でも白にしますしね。その分、幹部がしっかり責任を取ってくれるから、まだマシかな。ひよりさんの会社はどうですか。上司は部下の尻拭いしてくれますか」

「まあ、それなりには……ははっ」


 ひよりは、彼らの仕事に関して深入りしてはいけないと改めて思った。話の端々に聞き慣れない言葉があっても、いちいち過剰な反応はしてはいけないと、言い聞かせた。


「おい、休暇で営外のときは普通にしろって言っているだろう。俺たちはゴリゴリの戦闘部隊じゃないんだ。無礼講ってやつを信じろよ」

「あんまり甘やかさないでください。配置換えになったときの事を考えると、泣きたくなります」

「ばかやろうだなぁ、おまえたちは」


 彼らのグループは、リーダーである東と部下たちとの信頼関係が良いらしい。配置換えになったら、泣きたくなるくらい居心地がいいのだろう。


(ヤクザなのはさておき、上司や部下に恵まれるって素晴らしいことよね)


 ひよりは、ちょっとだけ彼らが羨ましかった。



 ◇



 部屋に上がると別の部下が、二人待っていた。ひよりを見るなり、にかっと笑い威勢のいい挨拶をした。


「おはようございます! 今日はご一緒させていただき、ありがとうございます!」

「あっ、いえ。その、こちらこそ宜しくお願いします」


 あの時の飲み会のメンバーなのか判断はつかなかったが、愛想よく元気な挨拶をされ、ひよりもそれに答えた。


 部下たちは慣れたもので、東に言われる前にレジ袋の中から品物を出し冷蔵庫にしまう。そして、何を手伝えばいいか指示を仰ぐのだ。

 さすがにひよりも、じっとしてはいられなかった。この中では唯一の女性なのだから。


「あのっ、手伝います!」


 すると、キッチンに向かっていた東がにこやかな顔で振り向いた。


「ひよりさんはお客さんだから、座っていてください。テレビでもなんでも、自由にしていて」

「でも……」


 ひよりは、困ったように東のすぐ側で待機中の四人を見る。正直なところ彼らにさせて、自分が何もしないなんて居心地が悪い。


「ああ、そうか。おい、おまえたち。ひよりさんの相手をしてあげなさい」

「はいっ」

「困らせるんじゃないぞ。健全で楽しい会話をしろ。いいな」

「了解です」


 ひよりに向けたにこやかな笑顔とは別に、東は上司らしい引き締まった表情と声で部下たちに言う。そのせいか、部下四人は一斉に右手を額に当てた。


「ばっかやろ。シャバに出た時ぐらい普通にしろって言ってるだろ」

「あ、そうでした。あはは」


(今のって、敬礼? ヤクザも敬礼するんだ!)


 それにしても四人ともきれいな動きだった。


「あ、うまいですね。敬礼」

「えっ」


 ひよりは自分も無意識に右手を挙げていたのだ。それを見た四人は嬉しそうな顔で、ひよりに敬礼を教え始める。


「うまいんですけど、敬礼って本当は手のひら見せちゃだめなんです。肘はこうで、指先は伸ばす。おお! 制服着せたいっ」

「おお、いいな。うちの班に欲しいよな。なんかさ、俺たちの周りって女子いないよな。おかしくないか? 衛生科だぞ?」

「何でだろうな。普通科も特科もいるんだもんな……」

「何が原因なんだ」


 四人の男たちは、自分たちの周りに女性がいないと嘆き始める。ひよりは聞き慣れない言葉に眉をひそめた。女性が増えているなんてことも、信じがたい。


「女性のヤクっ……、女性が本当にいるんですか? ちょっと、信じられないんですけど」


 深入りしないと決めたそばから、質問をしてしまう。


「えっ、けっこういますよ。そうかー、これが民間人の女子の感覚かー。だよなぁ」

「おい、喜んでんじゃねえよ」

「新鮮すぎて、俺もやべえ」

「あの、彼氏さんとかいないんですか?」


 ひよりの「女性がいることが信じられない」と言った言葉に、四人は怒るどころか喜んでいる。しまいには彼氏はいるのかと質問された。


「彼氏は……」


 いないと、反射的に返そうとした時、キッチンから不自然で大きな咳払いが聞こえた。

 それを聞いた四人は顔を見合わせ「やべぇ……」と言う。


「調子に乗りすぎたな、俺たち」

「だな。アレ、やっとくか」

「いくぞ、腕立てよーい」

「始め!」


 いーちっ、にー、さーん、しー……

 突然四人は、ひよりの目の前で腕立て伏せを始めてしまった。どうしてこんな事になっているのか、ひよりは訳が分からなくなる。


「えっ、ええっ。ちょっと、何で」


 キッチンからそれを見ていた東が口を開けた。


「やめーい!」


 その言葉に四人は見事に反応して、静かになった。


「まったく、健全なのはいいけどな、もっと普通にできんのか。ちょっと前までは普通に民間人していただろ? まったく我が組織は恐ろしいよ。さて、もうすぐできるぞ。おまえたち手伝え」

「うぃーす!」


 いちばん恐ろしいと感じているのは、ひよりだ。

 ヤクザのアジトか別宅か分からないが、ここは絶対に来てはいけない場所だった。

 ここにいる全員、悪い人ではなさそうだ。けれど、反社会組織と関わりを持つことは条例で禁じられている。


(もう手遅れかな。私も反社会組織に手を染めてしまったのかな)


 ひよりが絶望感に浸っている中、目の前ではお皿やコップ、箸にスプーンがバケツリレー方式でテーブルに並べられていった。


 これも例の組織お得意の、人海戦術である。

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