ヤクザに医官はおりません

佐伯瑠璃(ユーリ)

第一部

第1話 ヤ◯ザの家で目が覚めた!

 爽やかなはずの朝の目覚めを、見知らぬ男性と迎えたら、あなたはどうしますか。まず、自分になにが起きたのか確かめたくなりますよね。目覚める前の、眠りに落ちる前の自分の行動を思い出そうと足掻くはずです。

 そして、心に決めるのです。

 二度と、酒は飲むまい……と。



 西ひより、二十八歳の会社員は、突然そういう状況下におかれてしまった。


「ん、んーっ。あ、れ?」


 パリッとしたシーツに包まれたまま、ひよりは目が覚めた。目に映った景色はどう考えても自分の家ではない。程よく反発するベッドのスプリングに、高級感を感じた。


(私、どこにいるんだろう! 確か昨夜は会社の飲み会だったはず)


 ひよりは慌てて起き上がって辺りを見渡した。大きなテレビが目の前にあって、右側には閉ざされた厚いカーテンがある。その下に二人がけのソファーがあり、そのソファーの上に自分の服と思われるものが散乱していた。


(うそ……私、まさか)


 ひよりは恐る恐るシーツをめくった。そして、思わず両手で顔を覆う。


「うわぁ。裸で寝てたぁ」


 ひよりは、自分は酔ってしまい帰るのが面倒になり、気持ちも大きくなってホテルに泊まってしまったんだと思った。ブラジャーもショーツも脱ぎ捨てて、開放感に任せ、まさかの真っ裸で寝ていたのだ。


「とにかく、服をっ。いっ、たたたた」


 やはり飲み過ぎた。動いた拍子に、ひよりを激しい頭痛が襲った。


「やはり、ハングオーバーになったか」


 突然、男の低い声がひよりの耳に届いた。反射的に声のする方に目をやると、そこにはガタイのいい大柄な男が首からタオルを下げて、半裸で立っていた。


「ひっ、いやー!」


 驚きと恐怖で、ひよりは悲鳴をあげた。そしてまた、激しい頭痛がひよりを襲う。


「うっ、あうっ」


 男はひよりの悲鳴に動じることなく、悠々と歩いて近づく。そして、ひよりの手首を掴んだ。


「きゃっ」

「静かに。うむ、異常なしだ。どれ、目を見せろ。少し赤いな。まだ酒が抜けてないのだろう。完全に二日酔いだ。さてと、どうするかな」


 ひよりはされるがままでいた。下手に抵抗をして、男を怒らせてはいけない。

 ひよりは、昨夜のことを思い出し始めていた。会社の飲み会で、隣の部屋にいたグループのことを。


(私、まだ死にたくないよ。どうしよう、どうしよう)



 ◇



 遡ること、約十二時間前。

 その日ひよりは、会社の飲み会に参加していた。ひよりは管理部で働いており、年に一、二度だが、会を開いて結束を固めようという目的で飲み会をしていた。

 一番下っ端なひよりは、係長や課長の間を行ったり来たりと忙しかった。

 おじさんの多い部署なので、とりあえず生ビールが終わると焼酎や日本酒に切り替わる。

 グラスが空きそうになるタイミングで、次はなにを飲むか聞き、水割り、お湯割り、ロックなど慣れた手つきで作った。

 まるで管理部専属のホステスだ。


 ひよりは、いい具合に出来上がったおじさんたちを冷めた目で見ながら、自分もやっとグラスに口をつける。

 氷はすっかり溶けて、ほとんど水になった烏龍茶が、ひよりの喉を慰めた。


(早くお開きにならないかなー。帰りたい)


 話題は営業部のいい加減な提出物の話に移った。毎回、営業部が口撃の対象になることにひよりはうんざりしていた。


(そんなに困るなら、ガツンと言えばいいのに……)


 ため息をついていると、隣のグループの話し声が聞こえてきた。大広間で衝立で仕切られているので、それぞれのグループの話は筒抜けになってしまう。彼らの話はサラリーマンのそれとは少し違っていた。そのせいか、ひよりの耳は完全にそちらに向いてしまう。


「おまえら本当に遠慮しねえな。普段通りにやれって言っただろうが」

「これが普通であります」

「ったく。まあ、仕方がないか。久しぶりのシャバだもんな」


(待ってよ、いまシャバって言った⁉︎ しかも、久しぶりのシャバって!)


「大先輩の奢りは一滴も無駄にしません」

「バカヤロウ。そろそろ俺も弾切れだぞ、残弾なしってやつだ」

「補充するなら、確かコンビニが」

「貴様ら根こそぎ持って行く気か」

「あざーすっ」


(弾切れ……残弾)


 ひよりは聞いてはならないことを聞いてしまったと思った。シャバだの、弾切れだのと聞けば頭に浮かぶのはひとつだ。


「すみません。ちょっと、お手洗いに」

「おう、行ってこーい」


 頼りにならないおじさんたちに見送られ、ひよりは席を立った。そして、通りすがりに隣のグループを横目で見る。

 人数は六人ほどで、全員男性だ。大型で肉厚な男たちが窮屈そうにあぐらをかいて座っている。服装は一般的なズボンやジーンズにシャツ。派手ではなく、どちらかといえば地味な色合いだ。髪は異様に短く、横を刈り上げていたり、坊主だったり。眉はカミソリで整えているのか鋭さがあった。

 外回りの仕事なのか日に焼けている。会話も普通の若者よりは堅苦しい。


「自分、飲みます!」

「おい、無理はするな。おまえ、酔っているだろう。やめておけ」

「いえっ、異常なしであります!」

「ほらできたぞ。我が連隊伝統のスペシャルジュースだ。準備はいいか」

「準備よーし」

「準備よーし。状況開始っ」


 訳の分からない合図とともに、男たちはお酒を煽っていた。ひよりはますます恐ろしくなった。彼らはきっと反社会勢力の人たちだ。


(やばいって、この人たち絶対に……ヤクザ!)


 その時、その中の一人と目が合ってしまう。ひよりは分かってしまった。その男はこのグループで一番偉い人だと。

 大柄で、首は太く肩はガッチリしている。そして二重で大きな二つの瞳、一人だけ小洒落た着こなし。なによりも、堂々としたその雰囲気にひよりは生唾を飲み込んだ。


 男はそんなひよりを見て、ほんの少し口角を上げる。


「っ!」


 思わず声を出しそうになり、慌てて手で口を押さえた。ひよりは逃げるようにその場から離れ、お手洗いに駆け込んだ。


「やばい、やばい。お店の人知ってるのかな……警察の見回り、来てくれないかな」


 とはいえ、いつまでもトイレに籠るわけにはいかない。自分はなにも見てない、何も知らないのだと言い聞かせて席に戻ることにした。

 戻る途中に店の予約表が目に入った。手書きでよく見えないけれど、自分の会社の下に第なんとか師団、なんとか連隊衛生隊という字が見えた。


(やっぱり、暴力団の集まりだ!)


 核心したひよりは、急いで席に戻った。戻る時は彼らを絶対に見ないように早足で通り過ぎた。


「か、課長。そろそろ、です」


 まだ予定のに時間は経っていないけれど、酔っ払ったおじさん方は分からない。

 よろよろと立ち上がり、次の店はどうするかと二次会に行くつもりだ。


「お会計、してきますね。二次会は個人持ちですからっ」


 ひよりも二次会を誘われたが断った。物分かりの良いおじさんたちは、快くひよりを解放した。


「お疲れ様でしたー」


 全員を順番にタクシーに押し込んで、ひよりの役目は終わった。あとは早く自宅に帰るだけだ。もう一台、タクシーの追加をお願いした。けれど残念なことに、出払ってしまい呼んでもすぐには来ないと言われてしまう。

 しかも外は雨。小雨から、本降りに変わり始めていた。


「最悪ぅ。雨なんて聞いてない、傘持ってきてないよ。はぁ……どうしよう」


 走って駅まで行くには少し距離がある。まさか電車にずぶ濡れで乗るわけにはいかない。コンビニで傘を買えばいい。しかし、コンビニも周辺に見当たらない。


「お店に、傘を借りようかな」


 そんなことを考えていた時だった。うしろからぞろぞろと例のグループが出てきたのだ。ひよりは慌てて彼らに道を開けるために、脇に避けた。


「門限なんて、クソ喰らえー」

「うるせー。懲罰くらいたいのかよ、行くぞ!」

「班長、自分は何も怖くないです!」

「でたー。こいつほんと酒癖わるいな」


 酔っ払っているのか、男たちは肩を組んだまま雨の降る中に出て行く。雨なんて降っていないかのような素振りで、彼らは闇に消えていった。


「雨、なのに。うそでしょ……」


 酔っていても威勢がいい。精神共に、かなり鍛えられた人たちなのだろうと、ひよりは感心した。そんなとき後ろで、大きな気配が動いた。


「そこに立っていると濡れますよ。足がなくてお困りなら、少し私と飲んで行きませんか。そのうち雨も止むでしょう」


 ひよりはその問いかけは自分に言われたのか、確かめるためにそっと振り向いた。声をかけてきたのは、あのグループの偉い人だった。ひよりは心臓が止まりそうなほど、驚いた。


「えっ? わ、わ、わたしっ、ですか」

「ええ。他に誰が? 幽霊でもいれば別ですが」


 ひよりは自分の運のなさを恨んだ。もう逃げられそうにない。こんなことになるのなら、二次会に参加すればよかったと後悔が押し寄せる。それに、下手な行動に出たら殺されるかもしれない。


 だからひよりは男に答えた。


「雨が止んだら、帰りますので」


 男は頬を緩めながら、言った。


「ええ、もちろんです」

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