御手洗弾の青春

千歌と曜

第1話

「御手洗~」

「帰ろうぜ~」

「おう」

 放課後。

 授業から解放されて、自由が始まる時間。

 県立伊勢岡高等学校一年一組の御手洗弾は、友人と一緒に帰ろうとする。

 その視線は、自然とクラス一の美少女・流川紗枝に引き寄せられる。

 さらさらの黒髪、優しくて気の利く性格、母性溢れる胸は、男子の注目を集めてやまない。

 健全な男子高校生なら、夢でもいいから付き合いたいと思う美少女である。

 同じクラスになれただけで、毎日顔を見れるだけで幸せだと言う男子も多い。

 高嶺の花。

 まさに、そんな言葉が似合う幻の美少女である。

 そんな美少女をチラ見しながら友人と一緒に帰ろうとした御手洗は――否、御手洗を含む男子達は――


 驚愕の事実を目の当たりにする。


「御坂くん、帰ろう」

「――う、うん」


 クラス一の美少女が……

 クラス一目立たない男子を誘い――一緒に帰る。




 ………………………………………………は?




                  は?









は?








 その光景を目の当たりにした男子生徒全員が思った。

 クラス一の、いや、学園一の、いや、この御料町一の美少女が……クラスの中でも目立たない、冴えない男子の代表格・御坂誠を誘う……だと?

 教室中に動揺が走る。

 もはや、意味がわからない。

 目の前で繰り広げられている現実が理解できない。

 そうこうしている内に、ふたりは……仲睦まじげに、教室を後にした。

 ばっ、と。

 教室の出入り口から、窓から、身を乗り出し、ふたりの姿が見えなくなるまで見送る男子達。

「……おい、御手洗」

「なんだ、田中」

「あれはいったいどういうことだ?」

「……」

「御手洗?」

「いや、すまん。あのふたりが一緒に帰る理由を考えてみたんだが……なにもわからん」

 騒ぎ始める男子達。

 一緒になって、論じ合う。

「委員会が一緒だったか?」

「いや、違ったはずだ」

「わかった。流川さん、今日は眼鏡を忘れたんだ。相手を間違えたんだよ、きっと」

「流川さん視力めちゃくちゃいいはずだよ、たしか」

「あれじゃね。実はふたりは姉弟だったとか、そういうんじゃね?」

「同い年だろ」

「……わからん」

「なんなんだ、さっきのはいったいなんなんだっ」

「おい、みんな、冷静になれよ」

 ……!

 クラス一の秀才、河合空太が発言する。男子全員が視線を向けた。


「いったい、なんの話をしているんだ?」


「――え?」

「いや、だから、さっき、流川さんが御坂なんかを……」

「ははは、みんな、よく考えなよ」

「……」

「そんなこと、ありえない。ありえるはずがないんだ。……つまり」

 男子達は、河合の言いたいことを理解する。

「幻、覚……?」

「は、はは」

 男子達の間に、希望の光が生まれる。

「そうか、幻覚だったんだ、幻覚だったんだよ、さっきのは」

「俺達、集団催眠にかかってたんだよ」

「なんだ、そうか。あはは」


「あのふたり、付き合ってるんだよ」


 !!!!!!!!!!!!!!!!!!


 声のした方を振り向く。

 そこには、クラスメイトの女子・葵澪がいた。

 ……。

 固まったままの男子達に、もう一度、告げる。

「付き合ってるんだよ、流川さんと御坂くん」

「……付き合ってるって、誰と誰が?」

「だ・か・ら」

「……」

「る・か・わ・さ・ん・と・み・さ・か・く・ん」

「「「「「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」」」」」

「うわっ」

 男子達の絶望の叫びが木霊する。

 葵だけではなく、クラスにまだ残っている女子たちも驚く。

「な、なに?」

「さっきからなに騒いでるの?」


「んなわけねーだろうがっっっ」


 御手洗がキレる。それは、もう、キレる。

「いや、事実なんだけど」

 対して、葵は冷静である。

「あの世界一の美少女が、よりにもよってあんな地味メンとつき合うわけねーだろうがっ」

「そうだそうだっ」

「ふざけんなっ」

「ちょっと男子、葵いじめないでよっ」

 葵の親友、相川香織が出てくる。

「いや、いじめてるわけじゃなくてだなっ」

「別にいいじゃない、ふたりは好き合ってるんだからっ、御手洗達には関係ないでしょっ」

「あるわっっっ、流川さんは俺たちの希望星太陽なんだぞっっっ、それがどうしてあんな奴とっっっっ」

「流川さんの相手が御坂くんじゃ、そんなに納得できないの?」

「当たり前だろうがっ。百歩、いや、一億歩譲って流川さんが誰かとつき合うとしてもだっ、その相手は、たとえば、三組の橘とか、そういう奴なら納得できるっ」

 橘一。県立伊勢岡高等学校一年三組。どうしてこんな普通の高校にいるのか理解できないレベルの完璧超人。家がお金持ち、イケメン、性格最高、運動神経抜群、芸術の才能もあり、まるで漫画の主人公のようにモテまくる美少年。

「あいつなら、仕方がねえ、そりゃあそうかと納得できらあっ、でもな、御坂だぞ、御坂っ、暗い、しゃべらねえ、地味、とっつきにくい、運動神経もダメで、勉強もダメだろうがっ、御坂を選ぶくらいなら『俺でもいいだろっ』て話になるだろっ」

「サイテー」

「ちょっと、ないなー」

「御手洗くん、ひどい」

「きも」

 いつの間にか、他の女子たちも集まって御手洗を非難し始める。

「うるせーぞ、お前らっ」


「現実を教えてあげた方がいい」


 クラスが、静まり返る。

 それまで沈黙を守っていたクラスメイトの女子、淡沙織。

 彼女は、引き出しの中から、一枚の紙きれを取り出した。

「?」

「なんだ、その紙」

 男子達は、いぶかしむ。

 みんなが見守る中、淡はその紙を御手洗に渡す。


「これ、この前女子の間で開催した、このクラスの男子の人気投票の結果」


 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


「マジかっ」

「女子、いつの間にそんなことしてたのかっ」

「御手洗っ」

 禁断の、人気投票。

 このクラスの女子の総意が、この紙の中にある。

 男としての、価値(・・)が、クラスの女子によって、決められている。

 クラスの男子の人数は、ちょうど、十五人。

 つまり、一位から十五位のランキング。

 喉が、鳴る。

 御手洗は、ゆっくりと、その紙を開く。

 他の男子達も、ハイエナのように、群がり、紙を覗く。


一位 大道寺薫


「おお」

「まあ、そうだよな」

 今、ここにはいない男子の名前。彼はサッカー部所属で、今は部活に励んでいる。

 納得の声が次々あがる。

「まあ、大道寺ならしょうがない」

「当然の結果か」

「つ、次は」

 二位 井上達夫

「な、なるほど」

 三位 西園寺昇

「いよっしゃああああ、俺の名前があったあああああああああ!」

 一人、男子が喜びの声を上げる。

「マジかよっ」

「お前何気に三位かよっ」

 男子達の嫉妬の声。

 女子たちから評価の声が聞こえる。

「西園寺くん面白いからね~」

「うんうん」

「ありがとう、ありがとう」

 選挙に受かった政治家のように、女子たちに握手して回る西園寺。

「く、くそおっ、俺の、俺の順位はっ」

「僕はっ?」

「うおお、マジかっ」

「しゃっ、七位いいいいいいいっ」

「俺の名前まだねえええっ」

 悲喜こもごも。

 喜ぶ男子もいれば、悲しむ男子もいる。

 ……そんな中、一人だけ、なんのリアクションも見せない男子がいた。

「……御手洗」

「お前、まさか……」

 一位から十四位まで、すでに確認し終わっている。

 最後の、十五位の部分だけ、紙が折り曲げられて、まだ確認できないようになっている。

「……御手洗」

「よせ、田中」

 御手洗に差し出されようとした手を、林が止める。

 手を止められた田中は、くっと、涙をこらえた。

 開く。

 御手洗は、そこに記された名前を見た。


 最下位 御手洗弾


「それが、現実」

 淡が、容赦なく現実を突きつける。

「淡いいいいいいいい」

「お前には、人の心がないのかああああっ」


「調子に乗ってる男子、潰す」


「この悪魔あああああああああ」

「いいんだ、みんな」

 ……。

 みんなの視線が、御手洗に集まる。

「はは、これが、現実か。まさか、あざ笑ってた奴より自分が下だったなんてな」

 御坂誠は、六位。

「いいきっかけになったよ、淡」

「うん」

「これを機会に、俺は生まれ変わるわけねえだろうがあああああああああああああっ」

「落ち着け、御手洗っ」

「暴力はいかん、暴力はっ」

 突如豹変した御手洗を、男子達が抑える。

「淡さん、危ないからこっち来て」

「う、うん」

 女子たちが、淡を守る。

「なんだこりゃ、こんなもん信じられるかあっ」

「ちゃんとした投票の結果だよ」

「淡が一人で作ったんじゃねえのかよっ」

「違うよ、わたし、ちゃんと投票したし」

「わたしも」

「は~い、わたしも」

 その場にいる女子全員が証言する。

「……じゃ、じゃあ、何か……この結果、マジなのか?」

「うん、マジ」

「御手洗くん最下位wwwww」

「おおいっ、なんでだよっ、なんで俺が最下位なんだよ、しかも御坂が六位とかありえねえだろっ」

「ありえるよ、御坂くん、可愛いし、優しいし」

「口下手だけど、ちゃんとみんなのこと想ってくれてるよね」

「それに引き換え、御手洗くんは自己中だしすぐ怒鳴るし」

「下品だし、いつもふざけてるし」

「歯止めが利かない男子っていやだよね~」

「自制心が足りない」

 女子たちから滝のように雪崩のように批判が飛んでくる。

 その全てが、御手洗の心に突き刺さる。

「やめろ、やめろおおおおおおおおおおおっ」

「お前ら、御手洗の精神を破壊する気かあああああああああっ」

「たしかに御手洗は自己中だけどな、俺たちの大切な仲間なんだよっっっ」

 ぱん。

 クラスメイトの女子・幾星スバルが手を鳴らす。

「ま、とりあえず、話はこれでついたでしょ。そろそろ、帰らないと」

「教室の掃除、まだやってない」

「わたしも部活」

「ほんじゃ、みんな、またねピロ~☆」

 三々五々、散っていく女子たち。

「お前ら、御手洗をこのままにしておくつもりかっ」

「ひどすぎるっ」

「あはは、また来週~」

「いこ、淡ちゃん」

「う、うん」

 そうして、ほとんどの女子が帰った。

 残っている女子は、さっさと教室の掃除をしている。

「だ、大丈夫だ、御手洗」

「たとえ女子にモテなくても、お前には俺たちがいるっ」

「青春は恋愛だけじゃないっ、俺達には友情があるっ」

「御手洗っ」

「……ありがとよ、お前ら」

 その声には、力がなく、覇気もなかった。

 悪い意味で、何かを悟った聖人のように、その心はからっぽだった。

「……帰り、どっか寄ってくか、御手洗」

「そうだな、ゲーセン……カラオケとかっ」

「俺、おごるぜ」

「悪い、みんな……今日は帰る」

「……御手洗」

「また明日な」

 教室の扉が閉められる。

 男子達は、誰一人、かける言葉を見つけられず、追いかけることもできなかった。

 高校の放課後。

 廊下ですれ違った生徒は、御手洗の涙を見た。



 週が明けて、月曜日の朝。

 御手洗の親友・後藤と鈴木は、信じられないものを見た。

「やべえな、俺今日傘持ってきてねえよ」

「いや、雨で済むレベルか? ……もしかして、今日、地球が滅ぶ?」

 親友ふたりのボケに答えることなく、御手洗は……勉強していた。

 何かにとりつかれたように、朝のホームルーム前の時間に、ガリガリ問題を解いている。

まだこれから、地獄の授業が待っているというのに……。

「御手洗っ」

 たまりかねて、後藤が御手洗の肩を掴んだ。

「無理すんなよっ、無理すんなよ御手洗っ」

「後藤の言うとおりだっ、そんなのお前じゃないだろっ」

「……悪いな、ふたりとも」

 悟りきったその声に、後藤と鈴木は、言葉を失う。

「俺は、生まれ変わることにした。生まれ変わって――女子にモテたい」

「いや、生まれ変わってねえよ」

「何も変わってねえよ、お前は」

「悪いな、俺はこれからガリ勉になって国立目指すから、もうお前らと遊んでいる時間はない」

「お前、マジかよ」

「起きている時は教科書が友達だ」

「おい、もういいよ後藤。好きにさせとこう」

「でも、鈴木」

「どうせ、すぐに飽きるよ」

「……まあ、そうだな」

 親友ふたりは別のところで駄弁り始める。

 御手洗は再び勉強に戻った。



 ――その日一日、みんなが困惑した。

「ええと、今日はどうかしたんですか、御手洗くん?」

 授業中、真面目にノートをとり手を挙げて質問までする御手洗に驚く数学教師。

「あ、御手洗くんの双子のお兄さん?」

 現実逃避をする英語教師。

「御手洗、俺は、俺は信じていたぞおおおお」

 感動する国語教師。

「御手洗くんどうしたの?」

「……昨日のあれが効いたんじゃない?」

 噂をする女子たち。

 そんな周囲の反応にも応えることなく、御手洗は、その日一日、勉強し続けた。

「御手洗、帰ろうぜ」

「悪い、俺、図書室寄ってくから」

「お前、昼飯も教科書見ながらひとりで食ってたろ」

「無理すんなよ」

「今日からこれが俺の普通だ、じゃあな」

 ひとり、図書室へ向かう御手洗。

 図書室の席につくなり、勉強を始めた。

 ……彼は、今までで一番勉強している。

 受験の時でさえ、ここまで真剣にやらなかった。

 勉強嫌いのはずの彼は今、全身全霊で、勉強と向き合っている。

 そう、勉強が、死ぬほど嫌いで、教科書を見るだけで吐き気を催す彼が、全身全霊で、勉強に挑んでいる。

 そう、勉強するくらいなら死んだ方がましだと思っている彼が……。

「……」

 図書室で勉強を始めて一時間ほどした頃だろうか……悲鳴が聞こえた。

「きゃああっ」

「先生、先生っ」

「ど、どうしたのっ?」

 司書の先生が、驚いて声を上げる。

「御手洗くんが、御手洗くんがっ」

「死んでますっ」

「ええっ」

 ――御手洗弾、享年十五歳。勉強アレルギーにより、死亡。

「御手洗くんっ、大丈夫っ?」

「しっかりしなさいっ」

「……無理だ」

 この時、彼の心は折れた。



次の日。

「あれ?」

「なんであいつが……」

 その日、後藤と鈴木は、信じられないものを見た。

 サッカー部が朝練をしている……中に、御手洗の姿がある。

「どゆこと?」

「……さあ」

 朝のホームルームで、そのことを問いただすと、

「勉強はダメだ、俺には合わない。女子にモテるなら、やっぱりスポーツだろ」

「……」

「……」

「俺は今日からサッカー部で全国目指すから、もうお前らと遊んでいる暇はない」

「なあ、後藤、賭けるか。俺は明日にはもう辞めてると思う」

「……俺は、四日――は、もつと思う」

「わかった。じゃあ、負けた方がジュースおごりな」

「おう」

「おい、おめーら、失礼にもほどがあんぞ」

 昼休み。後藤と鈴木の誘いを断り、サッカー部の釘本たちと飯を食べる御手洗。

 放課後はサッカー部の練習に参加し、青春の汗を流す。

 家に帰ったのは、いつもよりだいぶ遅い時間だった。

「ただいま~……うぅ、体中がいてえ」

「おう、おかえり、弾」

 出迎えたのは、御手洗の父、御手洗榊。

 だんご屋みたらいの七代目。

「今日は遅かったな。なんかあったのか?」

「ああ、まあね。疲れたから、寝てから夕飯食うわ」

「そうか」

「あ、おかえり~、お兄ちゃん」

 居間の方から妹が顔を覗かせる。

「おう、ただいま……ああ、あと、親父」

「ん、なんだ?」

「俺、団子屋継ぐのやめるわ」

 ――。

 言葉を失う父と妹。

「今日からサッカー部で全国目指すから、店手伝ってる暇ないわ。じゃ」

「……ちょ、ちょっとお兄ちゃんっ」

 小さい頃から家の団子屋を手伝い、将来は家業を継ぐと言っていた兄――の突然の変わりように、妹は焦る。

「お兄ちゃん、どういうこと、ねえってば」

「――葉月」

 父が、娘の名を呼ぶ。

「でも、お父さん」

「いいんだ。――あいつに、だんご以上に夢中になれるものが見つかった……それだけのことだ」

「……お父さん」

 寂しくないはずがない。

 悲しくないはずがない。

 それでも、嘆くことなく、騒ぐことなく、ただ息子の考えを受け入れた父に、葉月は感動する。

「大丈夫だよ、お父さん。わたしに任せて。ウチのだんご屋さんを継いでくれる人をお婿さんにもらうから」

「はは、楽しみだな」

 娘の思いやりある言葉に、父は嬉しそうに笑った。



 次の日も。

「はあ、はあ、はあ」

 その次の日も。

「く……はあ、ぜえ、はあ」

 そのまた次の日も。

「ぜーーー、ぜーーー」

 御手洗は、サッカー部を頑張った――が、

「んぎぎぎ…………いや、もう、無理だ」

 ジョギング中。

 ぶっ倒れる御手洗。

 仰向けに、大の字に、寝転がる。

 そんな御手洗を置いて、他のサッカー部員は走っていく。

 乱れる息。

 見上げる空が青い。

 ……。

「――やめるか」

 その日、御手洗はサッカー部を退部した。

 元々、中途入部が認められていないサッカー部。

 サッカー部の釘本に無理を言って、顧問の先生に口を利いてもらい、強引に入部したにも関わらず四日目で退部――ちょっとだけもめたけどそれでも御手洗は退部した。



 ――次の日。

「すげえな、鈴木」

「自分でもびっくりだわ。ていうか、御手洗にびっくりだわ。ジャスト四日目で退部、おめでとう、御手洗」

「せーな」

「勉強もやめて、運動もやめて……どうやって女子にモテるんだよ、御手洗」

「せーよ」

「ていうか、どっちも中途半端でやめた御手洗の評価が、女子の間で下がりまくってる件について」

「だから、うるせーよっ、ほっとけよっ」

「ウエイウエイウエイ(待て待て待て)」

「どうどうどうどうどう(落ち着け)」

「やかましいわっ」

 親友二人に散々からかわれた御手洗は、その日一日不機嫌なまま学校を終えた。



 次の日の土曜日。

 なんだか早くに目が覚めた御手洗は、店の厨房に立っていた。

 幼い頃から店を手伝い、団子を焼いていたおかげで、今ではもう一人で仕込みができるようになっている。

 一人、黙々と仕込みを続ける。

 そこへ、御手洗の父がやってきた。

「お? どうした、弾。サッカー部はいいのか?」

「ああ、やめたわ。やっぱ、俺、だんご屋継ぐわ」

「……」

 一度決めたことを簡単に投げ出し、ころころと信念を変える息子……そんな息子に父として何を言うべきか考えた末……あることに思い至る。

「なあ、弾」

「ん~、なに?」

「お前、クラスの女子の間で行われた男子の人気投票で、最下位だったんだろ?」

 がらんっ、がらがらがら……。

 ボウルを厨房の床に落とす御手洗。

「で、女子にモテるためには勉強だと思って猛勉強したけど、一日で挫折したろ?」

「……っ」

「で、女子にモテるのはやっぱりスポーツマンだろってことで、スポーツ系の部活に参加したけどそれもすぐにやめたろ?」

「……親父、いつからエスパーになったんだ?」

「なに、簡単な話だ」

 御手洗の父は、不敵に微笑む。

「高校時代、父さんもまったく同じ経験をしただけのことだ」

「遺伝子――――――――――っ!」

 御手洗は叫んだ。

「遺伝子じゃねえかっ、遺伝子のせいじゃねえかっ、てか、親父のせいじゃねえかっ」

「まあ、落ち着け、弾。いいか、父さんの話をよく聞け」

「な、なんだよ」

「いいか、弾。たとえ、十人、二十人、百人の女にモテなくてもな……たった一人、とびっきりいい女に好いてもらえる……そんな奇跡が、たしかにこの世にはあるんだよ」

「……ああ、まあ、母さんのことか」

「そうっ」

 御手洗静。御手洗の母。こんなポンコツ親父になぜ惚れた? と誰もが思うほどの美人。優しくてお淑やかで清楚で……。当時、冗談じゃなく学園のマドンナで、誰もが彼女とつき合いたがり、告白やラブレターの嵐を巻き起こしていたらしい。

「ずっと不思議に思ってたんだけど……なんで母さんは親父なんかに惚れたんだろうな?」

「オーイ、息子っ」

「なになに、何の話?」

 そこに、ひょっこり顔を覗かせたのは、御手洗の妹・葉月。

「いや、どうして『女神みたいな母さん』が『通行人Bみたいな親父』に惚れたのかなって話」

「オーイ、息子っ」

「あれじゃないかな、きっとお母さん眼鏡かけ忘れてたんだよ、告白する相手間違えたんだよ」

「オーイ、娘っ」

「それか、じゃんけんで負けた罰ゲームで親父に告白する羽目になったとか……」

「それか、突然目の前に現れた神様が『この冴えない男と結婚しないと地球が滅びます』って言ったから、みんなのためにお母さん……」

「オーイ、二人とも、いい加減にしろ」

「あらあら、何の話?」

「あ、お母さん」

 そこへ現れたのは、御手洗の母・静。もう中学生なのに、母に抱き着き、甘える葉月。

 ちょうどいいとばかりに、御手洗が母に問う。

「母さん、どうして『聖母みたいな母さん』が『二十七番目の脇役』みたいな父さんと結婚したんだ?」

「オーイ、息子、オーイッ」

「ふふ、実はね、母さん、眼鏡かけ忘れてたの」

「オーイ、我が愛する妻ッ」

「告白する相手間違えちゃった」

「オーイッ」

「本当なの、お母さん?」

「ふふ、ごめんなさい、嘘よ。本当はね、じゃんけんで負けた罰ゲームだったの」

「我が愛する妻、始めから話聞いてたよねっ?」

「じゃあ、お母さんは、罰ゲームで今もお父さんと一緒にいるの?」

「そうなの」

「オーーーーーイッ」

「ふふふ、冗談よ」

 笑いながら、御手洗の母は父の肩に手を置く。そうして、微笑みかける。

「好きよ、あなた」

「っ……お、おう」

「あー、お父さん、紅くなってる~」

「ひゅーひゅー」

「ははは」

 妻から愛を告白され、子供達から冷やかされ、父は笑う。

「お父さんは、引っ込み思案で、口下手で、おとなしい人だったけれど……優しくて、思いやりがあって、素敵な人よ」

「はは、いや~、照れる」

「あの頃はまだ高校生だったけれど……お父さんを一目見た瞬間、『あ、この人なら、わたしの子供を大切にしてくれる』て思ったの。だから、お父さんと結婚したのよ」

「え~、じゃあ、一目惚れだったの、お母さん?」

「ふふ、そうね」

「いや~」

 照れまくる御手洗の父。

「母さんの口からきいてもまだ信じられねえ……母さん、その時風邪ひいてたんじゃねえの? インフルで四十度くらい熱があったとか」

「オーイッ、息子っ」

 まだ納得できず、父をいじる御手洗。

 母は笑いかける。

「弾。人気投票で最下位だったからって、落ちこまなくても大丈夫よ。いつか必ず、弾のことをわかってくれて、大切にしてくれる子が現れるわ。――弾がとっても素敵な男の子だってこと、母さんが一番よくわかってるんだから」

「……母さん」

 御手洗の心に、じ~んと、感動が押し寄せる。

 クラスの女子達にわかってもらえなくても……いや、世界中の女の子にわかってもらえなくても……母さんにわかっててもらえるならそれでいい。……そんな風に、思えた。

「ありがとう、母さん。母さんにそう言われたら俺、なんとかなるような気がしてきたよ」

「そうだぞ、弾。お遊びの人気投票なんて気にするな。父さんが母さんに出会えたように、いつかきっと、素敵な人に巡り合える。父さんが太鼓判を押してやる」

「親父に言われてもなあ……なんか不安になってきた」

「おーいっ!」

 どこまでもふざける息子と、ノリのいい父。

 それを見て笑う母と娘。

 幸せな家族の姿が、そこにあった。



「おう、御手洗」

「おす」

「おーす、御手洗」

「おー」

 登校中。

 御手洗に声をかけてきたのは、親友の後藤と鈴木。

「なんかすっきりした顔してんな」

「そーか?」

「勉強とか部活とか、もういいのか?」

「ああ、もうどうでもいーや。女子にモテなくても幸せになれるってな」

「はは」

「おいおい」

「ま、別に無理しなくてもよくね?」

「んじゃ、今日は久しぶりに、放課後どっか寄ってこーぜ」

「ゲーセン行くか? バッテイングセンターでもいいけど」

「いいな。つーか、最近気張りすぎてて何やってたんだ俺って感じだわ」

「はは」

 天気は快晴。

 ちょうどいい気温。

 親友と駄弁りながら登校する。

 色々気にしていたことを投げ捨てて、いつもどおりが帰ってくる。

 ――ああ、これでいいのか。

 そんな当たり前のことを、御手洗は改めて実感した。

 背伸びしたってしょうがねえ。

 何かを我慢して頑張ったってしょうがねえ。

 だらけたまま、のんきなまま、今を生きてりゃそれでいいじゃん。

 ……なんか、大事なこと思い出したかも。

 そんな風に思った御手洗は、今までよりも、今を大切にできる気がした。

 ――のんびり行こう。

 この時から、それが御手洗の生き方になった。

 ……事件は、この後の昼休みに起こった。



「御手洗くん、ちょっといいかな?」

「え?」

 昼休み。

 や~ぁっと昼休みだ~……て感じで伸びをする御手洗。その御手洗のもとへ行こうとする親友の後藤と鈴木……よりも先に御手洗に話しかける女子の姿。

 淡沙織。

 色素の薄い灰色の髪を短く切り揃え、あまり目立たないスレンダーな体を制服で包み、文学少女と言った雰囲気を醸し出す少女。庭園の木漏れ日の中で、白いワンピースを着て本を読んでいるのが似合ってそうな感じ。……ていうか、美少女である。……ていうか、御手洗に人気投票の結果を突き付けた張本人である。

「……なんか用?」

「う、うん。ちょっと話したいことがあるんだけど……ついてきてもらえるかな?」

「……あ、ああ」

 一応……一応、御手洗は、戸惑いながらも、警戒しながらも、席を立って淡についていく。

 そんなふたりの様子を眺めていた後藤と鈴木は、心配一割・好奇心九割で後を追う。

 え、なに? どっか行くの? 俺も行く。おお、こいこい。みたいな感じで、数人の男子生徒も連れて後を追う。

 その様子を、クラスの女子達が見ていた。



 御手洗が連れてこられたのは、人気のない校舎裏だった。

 なんでこんなところに……?

 御手洗の頭にはそんな疑問があった。

 当の淡本人は、御手洗に背中を向けたまま微動だにしない。

 そのまま、十秒、二十秒、三十秒……と、時間が流れていく。

「なあ、淡」

「っ」

 さすがにたまりかねて、御手洗は話しかける。

「なんか用があるなら、聞くけど……昼休み、終わっちゃうし」

「う、うん」

 淡は、また、数秒、間を開けてから、振り向く。

 その顔は、真っ赤だった。


「ご、ごめんなひゃいっ……」


「……」

「……」

「……」

「……さい」

「ひゃい」を「さい」に言い換えた淡に笑いがこみあげるが、御手洗は飲み込んだ。

 頭を下げ続ける淡に、しかし、御手洗は聞き返す。

「え、何が?」

「……」

「謝られるようなこと、されたっけ?」

「……人気投票のこと」

「……え、……ああ、……え、それ?」

「あのタイミングで出したら、面白いかなって、思って……でも、御手洗くんのこと傷つけちゃったみたいだから……だから、ごめんなさいっ」

「……え~と」

 まいったな、と思う。

 まさか、ガチでそんなこと謝られるとは。

「わたし、本当はお笑いとか全然知らないのに、みんなが楽しそうにしてるのに混ざりたくて……でも、御手洗くんの気持ちも考えずに、本当に、ごめんなさいっ」

「いや、全然いいよ」

「っ」

「つーか、そんなに真剣に謝んなくてもOKつーか……実際人気が無いのは俺の責任だし、淡が気に病むことなんて何もないって。……あれだ、許す、許す、てか最初から怒ってないから」

「……」

「あれもさ、みんなでふざけ合ってただけっていうか……淡もさ、ああいうのに混ざりたいならいつでも混ざってOKだと思うよ。……まあ、マジで最下位だったのにはショックだったけどさ」

「……」

「じゃ、まあ、そういうことで。俺、戻るわ」

 マジな雰囲気がちょっと苦手な御手洗は、逃げるようにその場を後にする――が、

「あの、御手洗くん」

「お」

 名前を呼ばれたので振り返る。

 淡は、御手洗をまっすぐに見ていた。

「……御手洗くんは、人気投票で最下位だったけど」

「はは、まあね」

「わたしは、好きだよ」

「……」

「わたしは、御手洗くんのこと、好きです」

 おおっ!――と、デバガメをしていた男子生徒数人と女子生徒数人が心の中で声を上げる。

 告白。

 そう、告白されたのだ。

 女子の間で行われた男子の人気投票で最下位だった御手洗弾が。

 淡は、顔を真っ赤にしたまま。

 御手洗は、固まったまま。

 時刻は、昼休み。

 天気は、快晴。

 人気のない校舎裏にも爽やかな風が吹いている。

 初めて、自分に告白してくれた女の子を前にして――、

 クラスメイト達が見守る中、御手洗が出した答えは――。



「おーす」

「おーす、後藤」

 次の日。

 朝のホームルーム前の教室。

 いつもより遅めに登校した後藤は、鞄を置いてから、御手洗と鈴木のところへ行く。

「あれ、そこにいるのは、密かに人気を集めていた美少女を振った御手洗くん」

「せーよ」

「あれ、御手洗くん、人気投票で何位だったっけ?」

「せーよ」

 そこへ、クラスメイトの加山と殿重がやってくる。

「占い師の加山さん、どうですか?」

「そうですね。わたしが見たところ、今回の告白は、グランドクロス、彗星の加護、神様と悪魔の千年に一度の手違いで起きた超奇跡。本来なら起きるはずのない出来事です。もう二度と、御手洗くんが告白されることはないでしょう」

「アーメン」

「うるせーよっ、喧嘩売ってんのか!」

 怒り出す御手洗。しかし、鈴木たちはさらに怒り返す。

「それはこっちの台詞だっ。なんで振ってんだよっ何様のつもりだこらあっ」

「そーだ、そーだ、密かに人気を集めていた淡さんの告白を断るとかどういう神経してんの?」

「身の程知らずにもほどがあるな」

「あれ? 御手洗って、人気投票何位だっけ?」

「やかましいわっ、つか昨日も散々いじり倒したのにまだ足りねえのかよっ」

「いや、もうこのネタで死ぬまでいじれるんじゃね?」

「数十年後、おっさんになった俺ら。久しぶりの同窓会で出会う俺ら。そして、『あ、淡さんを振った身の程知らずの御手洗くん』と声をかける俺」

「黙れ」

「数十年ぶりの再会を果たした俺と御手洗。数十年ぶりの第一声。『あれ? 御手洗って、人気投票何位だっけ?』」

 御手洗をからかいまくるみんな――そんな中、鈴木が少し真剣な声で尋ねる。

「――で、実際、なんで振ったんだよ?」

 その声をきっかけに、みんなが静まり、御手洗に視線が集まる。

「……」

 言いたくねー……と思った御手洗だったが……。

「……」

「……」

「……」

みんなの真剣な様子を見て、ここはふざけたりはぐらかしたりするとこじゃないな――そう悟る。御手洗は、観念して正直に話す。

「――好きじゃ、なかったからだよ」

「裁判官の殿重さん――判決を」

「死刑」

「異議なし」

「極刑じゃーーーーっっっ」

「最後まで聞けよっ! 別に淡のことを嫌ってるとか、俺が男として調子に乗ってるとかじゃねえよっ」

「じゃあ、なんだよ」

「どゆこと?」

「――だから、失礼だろうが……本気で好きでもねーのにさ、告白されたからってほいほいつき合えねーだろ。付き合ってから、『やっぱり違ったわ』とかなるの最低じゃん。無責任だろ」

「……」

「やっぱ、付き合うなら、遊びとかじゃなくてさ、相手のこと大切にしたいじゃねーか。それなら、本気で好き同士になったときに、初めて付き合うものだろ? 付き合ってみて合わなかったから別れるとか、お互いが傷つくだけだろ。もし、そうなったら、淡が可哀そうだろ」

「じゃ、告白されて、嬉しかったは嬉しかった?」

「そりゃ当たり前だろっ。淡みたいな可愛い子に告られて嬉しくないわけねえだろっ。てか、本当はすぐさま付き合いたかったわ!」

「……なるほどな、御手洗の言い分はよくわかった」

「まあ、ちょーもったいねーとは思うけど、そういう理由ならしょうがねえな」

「だから、お友達から~……なんて言ってたわけね」

「お前ら……」

 鈴木たちは、御手洗の答えを否定することなく、聞き入れてくれる。

「……しかし、御手洗がこんな風に相手の子の気持ちを真剣に考えるなんてな」

「な。普段は自己中だから超意外」

「なんか、御手洗じゃないみたいだな」

「……御手洗じゃないんじゃね?」

「じゃ、誰?」

「あ、御手洗くんの双子のお兄さん?」

「うぜーーーっ」

 そんな風に騒いでいると、いつの間にか……渦中の人物・淡美織がそばにいた。

「うおっ」

 驚く御手洗。

 鈴木たちも驚く。

 淡は、少し、逡巡した後、

「お、おはよう。御手洗くん」

「……おう、……はよ」

「……」

「……」

 沈黙が訪れる。

 淡も御手洗も鈴木も後藤も加山も殿重も誰もしゃべらない。

 とりあえず、鈴木は御手洗の頭をはたいた。

「いてっ」

 それにならい、後藤も加山も殿重も御手洗の頭をはたいた。

「いてえよっ、何すんだよっ」

「なんとかしろよ、御手洗」

「何かしゃべれよ、御手洗」

「アイスおごれよ、御手洗」

「金よこせ、御手洗」

「なんでだよっ」

「あ、あのっ」

 淡が声を発する。

 皆が注目する。

 普段、物静かで、あまり目立たないタイプの淡。

 そんな彼女が、自ら、しかも男子に朝から声をかけている。

 間違いなく、珍しい光景だった。

 淡は、ポケットから取り出したスマホを両手で持ち、

「ト、トークアプリの、アドレス、教えてください」

 精一杯の勇気で、そう言った。

 ……。

「……」(御手洗の沈黙)

「「「「……」」」」(鈴木たちの沈黙)

「……あの、ごめん。俺、校則違反になるからスマホは家に置いてあるんだてえなっ」

 御手洗が最後まで言い終わらない内に御手洗の頭をはたく鈴木たち。

「あほかお前はっ」(鈴木)

「美少女が朝から連絡先聞きに来てくれてるのに何やってんだよお前っ」(後藤)

「校則なんか守ってる場合かっ」(加山)

「しっかりしろよっ」(殿重)

「うるせーよっ、てか、加山、お前クラス委員長だろうがっ」

「おーい、梨本くん」

 鈴木が野球部の梨本に声をかける。

「梨本くん、野球部でエースだったよね。この間のホームランすごかったよ」

「あ、ああ、ありがとう」

「腕、めっちゃ太いもんねwww」

「鍛えてるから」

「ここに大きめのハリセンがあるからさ、ちょっと素振り見せてくれない?」

「ああ、いいよ」

「じゃ、ちょっとこっち来てもらって……この位置でよろしく」

「はい、ハリセン。ちょっと固め」

「じゃ、華麗な素振りをお願いしますっ」

「おーい、お前ら、そのコースの先には俺の頭があるぞ」

 御手洗が抗議の声を上げる。

 梨本は笑いながらハリセンを下げた。

「じゃ、御手洗、アドレスをメモして渡せばいいじゃん」

「あ? ――ああ」

 言われた通り、御手洗はノートに連絡先を書いて破って――それを淡に渡した。

 淡はそれを受け取ると、宝物みたいにそっと持つ。


「ありがとう」


 ――その笑顔に、御手洗の顔が赤くなる。

「ひゅー、ひゅー」

「いえー♪」

「ひゃっほーっ」

 囃し立てる鈴木たち。

「やかましいわ」

 御手洗は恥ずかしがりながらツッコむ。

「それにしても、淡さん、いつから御手洗のこと好きだったの?」

「え……えと」

「てか、なんで御手洗のこと好きになったの?」

「本当に好きなの?」

「……もしかして、熱でもあるんじゃ?」

「どうですか、医師の鈴木先生?」

「そうですね。淡さんは熱が五十度くらいあり、精神不安定、神経混濁、肝機能の低下、五感の不具合が見られます。物事を十分に知覚できる状態ではありませんね。立っているのが奇跡のような状態です」

「やはり、そうですかっ」

「淡さん、家に帰ってゆっくり休んだ方がいいよ。寝て目が覚めたら御手洗のことなんか忘れてるよ」

「そうしなよ」

「お前ら、とりあえず教室の外に出ててくれない?」

 そこで、タイムアップとなる。

 担任の教師が現れ、朝のホームルームが始まる。

 生徒たちは、慌てて自分の席に戻り始める。

「教師が来たから急いで席に戻る生徒ってさ――なんかゴキブリみたいだよな。じゃあ、出席とるぞ~」

 さらっととんでもないことを言ってから出席を取り始める担任・沢井小夜子(美人)(独身)。

「なあ、御手洗」

「ん?」

 斜め後ろの席の鈴木が声をかけてくる。

「よかったな」

 その表情は、何かを悟ったような笑顔。

「……なあ、鈴木さ。前から思ってたけど、お前、もしかして、淡のこと――」

「ふ、よせやい。俺の恋人はいつだって、二次元美少女だぜ」

 鈴木歩。十五歳。萌人。彼の部屋は美少女の抱き枕・ポスター・タペストリー・ゲーム・その他のグッズで彩られている。

「今借りてる美少女ゲーム、マジで泣けるわ」

「だろ? 続編もあるから終わったら貸すぜ?」

「ああ」


 馬鹿な友人たちと騒いだり、


 家族と楽しくしゃべったり、


 人気投票で最下位になったり、


 告られたり、


 色んなことがあるけれど……、


 なんだかんだで、御手洗弾は、


――この青春を、気に入っている。

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御手洗弾の青春 千歌と曜 @chikayou

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