第39話
ヴェルニーナが外にでると、日はすっかり落ちて月が出ており、道にはすでに街灯のあかりが灯されていた。
師に甘えられたことにより少し頭の冷えた彼女は、竜との一歩間違えば重大な危機を招きかねない戦い方を反省していた。また、それについて一言も苦言を呈さず見逃してくれた二人に感謝し、後日謝罪せねばと考えながら歩いていた。
しかし、黒髪の少年について意識を集中し始めると、いままで放置していたことが今さら心配になりはじめた。お腹をすかせていないだろうか、ちゃんと夕飯は食べてくれているだろうか、それに、ずいぶん不安な顔をしていた。考えるにつれ、次第次第にヴェルニーナは速足になり、最後には駆け足となって、家へと急いだ。
門にたどりつき、家の中に明かりがついてないのに気付くと、あわてて門を乱暴にあけ、玄関の扉をひらく。真っ暗なそこには、当然いつもの少年の姿はなく、ヴェルニーナの背中に冷たいものが流れた。
ぞくっとする冷たい感情が、また自分の中で頭をもたげるのを彼女は自覚する。魔力をとばし照明をつけ、いつもの部屋にかけこむ。そして、手を付けられていない保存食をみつけ、顔を青くして一階の各部屋を乱暴に探して回ったが、少年の姿はどこにも見つけられない。
まさか――――
ヴェルニーナは、落ち着けとなんとか自分に言い聞かせ、シンに腕輪をはめてから初めて、腕輪の場所を探知する呪文を、声をふるわせながら唱え、敷地内に魔力を飛ばした。
だが、このとき少年は、巨岩の足元で抱かれるようにして眠っており、彼女の魔力はすべてその岩に吸収され、彼女が黒髪の少年に巻きつけた、自分の印に届くことはなかった。当然、ヴェルニーナのもとに腕輪の反応が届くことはなかった。
いない………いない!
シンが家にいないという衝撃に、ヴェルニーナは、岩の存在を失念するほど愕然とし、厳しく禁止されている城壁内での広範囲の魔力の放出を反射的に行おうとする。だが、生来の生真面目さでなんとか踏みとどまり、しかし、しばしの間も耐えられず、髪を振り乱すようにして玄関を飛び出し、門に手をかけた。
ヴェルニーナの放出した魔力は大きくはなかったが、いき値を超えて巨岩に吸収された。だが畜魔石の魔力は、本来、長時間接触でもしなければ吸収されるものではなかった。しかし、どういった理由でか、巨岩は竜の魔力と一緒に少年のポケットからも魔力を奪いさり、すぐに放出を始めた。
手のかかるやつらだとでも思ったか、巨岩は、竜と石から受け取った魔力を対価に、二人への報酬とばかりに音をひびかせる。今にも家を飛び出そうとしていたヴェルニーナは、その音で岩の存在を認識し、そこに少年がいる可能性を思い出して、まるで音に引き寄せられるように少年のもとへとたどり着く。鈴の音は、彼女の最後の一歩が振り上げられるのに合わせるようにとまり、その足音を少年の耳に届かせた。
月明りの下で、ふりかえった黒髪の少年は彼女をじっとみつめる。ヴェルニーナは黒髪の少年へと意を決して歩み寄った。シンがその間、いつものように彼女から目をそらさないことに安堵し、ヴェルニーナは両手をつなぐように少年の手を取った。
するとヴェルニーナの包帯に気が付いた少年は、心配気にニーナと小さく彼女を呼ぶ。不安を押さえつけ、その両目でそらさず少年を見つめていたヴェルニーナは、少年が己の記憶の中と寸分違わぬことに胸をなでおろした。
だが、彼女が、このやさしい少年の不安を和らげるため、包帯を巻いた左手の握る力を強めると、少年は己の顔に再びあの仮面をはりつけはじめた。彼女の目は、少年の笑顔が、表面上自分の不安を紛らわせるためのものであり、だが実際は、その後ろに何かを隠していることを見抜いた。
わからない、わからない
おしえて、おしえて
こわい、こわい
ヴェルニーナは、シンが何を隠しているかはやはりわからなかったず、だがそれでも今回は少年から目をそらさずに、じっと見みつめてくる少年を、二つの感情に挟まれならが見る。
そして、そのうらに、少年の隠したものが、二つの意味で自分が思っていたのとは違うと確信してしまった。
ああ、やっぱり ちがった!
でも、やっぱり ちがった………
やっぱりちがったと、自分の恐れていたものではなかったと安堵した。
そしてまた、自分の望んだものではないと、彼女は悲しんだ。
ばかね、隠しているんだから、よくないものに決まってるじゃない
変に期待するのはおよしなさいな 言ってくれるわけないわ
傷つくだけよ、身の程を知りなさい
いいじゃない、この子はあなたがもう買っているわ
この女に味方する、恐ろしい賢者がいないうちにとでも思ったか、彼女の心の奥底で呪いがまたもや起き出して、ここぞとばかりにささやき始める。
それに、そもそも、教えてなんかいないでしょう
ああ、そうだったと彼女はうなだれる。彼女のもっとも望んだものを、この少年にいってほしい言葉を、彼女はいまだ教えていなかった。
教えてしまうのが怖かった……
その言葉をシンが知ってしまったら、それを自分に言ってくれなかったら、たとえ言ってくれたとしても、自分の望んだ言い方ではなかったら……。
ヴェルニーナは、そう恐れ怯えて教えるのを避けてきた。そして、それでも心の奥底にこっそり隠していた期待が、朝もやのように霧散したことを、両目によって突きつけられ、それが少年の気持ちだと思い込んでしまっていた。
ちがった……ちがった……
少年の背中の後ろにあったものは、やさしくかしこい師の言う通りであったが、彼女の望んだものでもなかった。かつて彼女はあきらめて、誰でもいいと妥協したが、突然あらわれた黒髪の少年は、彼女に期待を抱かせた。自分と同じ気持ちではないかと。そしてその少年への気持ちの大きさから、ヴェルニーナの悲しみは引き換えとばかりに大きくなり、彼女の心を引きさいた。
ヴェルニーナは、それに耐えられず、いつのまにかはらはらと、涙を流してしまっていた。
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