第24話

 やけに広く感じる部屋で、僕は膝をかかえてソファにもたれる。その膝に腕を横に重ねておく。寂しさをまぎらわせるために、なんとなく目に付いた手首の腕輪を観察した。


 不思議なこの腕輪はきつくもなくゆるくもなく、ぴったりと僕の手首に巻きついて、いつもは存在をあまり感じさせないほど軽い。真ん中についてる黒い石にそっと触れて見る。ニーナを何か感じらとれないかと期待したけれど、指先から感じられるのはすべすべとした無機質な石の手触りだけだった。


 あの建物で彼女がこの腕輪をつけてくれて、そのあとから彼女は僕の手をひいてくれるようになり、それからずっと一緒にいる。だからあのときから、僕は彼女のものになったのだろうと思った。


 そう考えると、いつもはほとんど意識しない腕輪が少し頼もしく思えた。この腕輪をはめてる間は、ずっと彼女と一緒のはずだと思ったから。


 腕輪から目を離し、机の上に開いたままの絵本に目だけむけて、朝のニーナを思い返す。


 絵本を用意し、キッチンにはおそらく僕の昼食――あっているとはず――をおいていってくれた。昼食は僕一人で食べて、絵本は僕の暇つぶし用なのかな、と思った。

 そうだとしたら、ニーナの帰りは遅くなりそうに思えて、今日は仕事に行ったのだろうかと思った。彼女は大人の女性でこの家で一人暮らしだったみたいで、だとしたら仕事を持っていて当然だと気がついた。


 ニーナは鎧を着て、剣をもって出かけて行った。銀色の鎧は、彼女の銀色の髪によく似合ってるように思って、きれいな青い眼と相まって、まるで昔見たファンタジー映画に出てくるキャラクターのようだった。


 だけど、この世界はたぶん夢でなく現実で、街の外で襲ってきた獣は――檻の中でみていただけだったけれど――大きくて凶暴だったのは覚えていた。もしかして、あんなのを相手にする仕事だろうかと心配になった。でも街に住んでいるのだから、ふつうは城壁の中の仕事のほうがありえそうだと気がついた。


 僕はそう考えて安心し、机の上に開いたままだった絵本を手にとった。ニーナが僕が寂しくないようにと用意したのだと気がついた。僕は単純だけどうれしくなって、すると絵の色がまたあざやかに見えてきた。

 気分をよくした僕は、しばらくの間、ニーナの絵本をとっかえひっかえページをめくって、この世界の絵を楽しむことができた。描いてある絵のどこまでが現実で空想の絵はどれなのかは、いまいち良くわからなかったけれど。


 お腹の減り具合と窓からさしこむ光の加減で、たぶんお昼ごろだろうとめぼしをつけて、僕はニーナの用意してくれたものでお腹を満たした。冷めてしまっていたけれど、ニーナが作ってくれただけで僕は十分なので気にならなかった。


 そのあと、寂しさも少し薄れた僕は、緑の石で水をだしてお皿を洗っておいた。ニーナは僕に手伝わせようとはしないけれど、やり方は見て覚えることができていた。


 僕はコップに水を入れて飲みながら、ソファに座って一息いれた。

 またニーナについて考える。


 ニーナは僕のご主人様、だから僕は彼女の奴隷か、よくいっても召使いや使用人というふうになるのかな、と思っていた。でも彼女は、僕に嫌なことなど何一つさせようとしない。それどころか、何かをしろと命令すらしてこない。


 ご飯をたべさせてくれて、一緒に寝てくれて、緑の石の使い方も教えてくれて、手をたくさん握ってくれて、それから…………。

 ニーナはいつもやさしい。僕はそれがとてもうれしくて、不満なんか全然ないのだけど、彼女に何もしてあげられないのが心配で不安だった。


 考え事をしていたら、お腹がいっぱいになったせいか、いつの間にかうとうとしていたらしい。目が覚めると窓から入る日の角度がだいぶちがっていた。顔をあらって、また絵本を開き、今度はどういう話か予想しながらよんでいると、いつの間にか外は暗くなっていた。


 外からあの金属質の音がした。


 帰ってきた!


 あわてて玄関まで走り、待ち伏せするようにして、扉を開けた彼女をみてすぐにニーナという。久しぶりに見た気がした彼女は、出かけるときと同じ格好で、手荷物が増えていた。彼女は僕の髪をなでながら、たくさん話をしてくれて、朝と何もかわっていないことに僕はほっとした。外はもう暗くなっていたけれど、彼女がいるだけで急に部屋がまた明るくなった。


 その日は、お風呂あがりに寝室で、ニーナがブラシを取り出して僕の髪をすいてくれた。

 白い手が僕の髪を丁寧にすくうようにしてくれて、いつもと違う触られ方に少し冷めた体が少し熱くなる。


 彼女がすぐにやめてしまって残念に思っていると、彼女はブラシを僕のほうに差し出してきた。

 僕は、彼女に対して何かをするように言われたのは初めてで、とても驚いたけれど、すぐにブラシを受け取って言われたとおりにする。


 長いきれいな銀色の髪に、下から手を差し込んで、手のひらに髪をそっとのせる。まだ残っている水分で増えた重みで、僕は手に乗せた彼女の髪をはっきり感じて、冷たいはずの彼女の髪が熱をもっているみたいだと思った。


 前を向いていた彼女の表情はわからなかったけれど、彼女はじっと僕のされるがままだった。終わると彼女は優しく僕の頭をなでてくれたので、うまくできたはずだと思った。集中しすぎたせいか、僕はいつものように彼女がやさしく手を握ってくれると、すぐに眠たくなってそのまま寝てしまった。

 僕は初めてやさしいご主人様のためにご奉仕ができた気がして、安心してぐっすり眠ることができた。

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