第6話

 わざとらしい咳払いでヴェルニーナは我に返った。すぐに自分がしていたことに気が付いて、らしくない大胆な自分の行為にとまどっていた。


「ほ、本当に魔力がないみたいだ。穴無しは会うのは初めてだが、特に怖がってもないようだ」


 美しい異性に長く触れていた経験のないヴェルニーナは、手に残るやわらかな感触を意識して、妙に上ずった声でリズリーに報告する。


「そのようですわね」


 あくまで確認でしたよ、というふうなヴェルニーナに対して特につっこむこともなくリズリーは少年を観察する。少年の視線はヴェルニーナに向いており、リズリーのほうはほとんど見ない。


 リズリーは自分の容姿に自信があったが、良い悪いは別にインパクトという点においては、ヴェルニーナもなかなかであった。したがって少年の様子が気になったが、傍目にも少年の視線からは嫌悪感というものを感じなかった。


 というより、これはむしろ……


 リズリーは予想外の反応にさすがに内心驚いてはいたが、口にしたのは別のことだった。


「それにもう一つの点も、さほど問題でもないようですわね」

「もう一つの点?」

「見た目のことでございます。先ほどからずっとヴェルニーナ様を見ておりますが、嫌がっている様子もございませんし」

「あ……」


 いわれてヴェルニーナは少年を振り返る。

 そうなのである。この少年は自分を見て嫌悪感をあらわさない。異性からの視線に傷ついてきたヴェルニーナは、その経験からあえて視線を無視するようになってしまっていた。自分の心を守る防衛本能だろうか、無理からぬことではあるが、それゆえヴェルニーナは他者からの視線には敏感であった。


 しかしながら、この少年からは恐怖以外の負の感情もこれまで感じないのだ。ヴェルニーナはその反応が初めてで、リズリーの指摘に戸惑っていた。


「君は不思議な子だね。私を見ても本当になんともないのかな」


 言葉が通じないとは聞いてはいたが、半分ひとり言のようにヴェルニーナは問いかけた。返事を期待してのことではなかったが、黒髪の少年はしばしヴェルニーナをじっと見つめてから、目を細めてふわっと笑ったのだった。


 私を見て笑った?!


 いままで人から笑いかけられたことはあったが、それはリズリーのように営業用の笑みがほとんどだったので、ヴェルニーナは驚愕に体をこわばらせた。かっと頭の芯が熱をもつのがわかった。


 少年の笑みは、まるでおとぎ話の妖精のようで、また可憐な花が咲いたかのようで目を奪われた。そしてなにより、自然で好意に満ちていた。職業柄身に着けて観察眼は、少年がまったく緊張しておらず他意なく自分に微笑みかけたのだということを伝えてきていた。


 他者から向けられる純粋な好意というものにヴェルニーナは慣れておらず、でもとてもうれしくて。

 しかし、ヴェルニーナはその嬉しさの処理の仕方も知らなかった。そして熱くなった頭はぼうっとしてまるで働こうとしない。


 結果、ただ出来の悪い人形のように固まってしまったのだった。


 その様子を後ろで見ていたリズリーもまた、予想外の展開に驚いてはいた。だが、こちらは次の大商人と期待される有能さを発揮して、状況を冷静に分析し、契約の成立を確信していた。


 ちょっと安く見積もりすぎたかしら――


 両手を打ち合わせて人をよびながらも、さてどうやって値をつりあげようか、と目まぐるしく計算を始める。ヴェルニーナのための損失補填、という気持ちで始めた商談だったが、それはそれ。いいものは高く売るというのは商人として当然の義務である、とリズリーは考えていたのだった。

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