第十七話

タンガガンタ 上

 そりゃあ、誰だって隠してる事はあるさ。逆にそんなものは無いなんて言い切れる奴がいたら、俺は絶対に近づかないね。


 人が人でいるには、何かを隠していなければならない。


 はは、確か俺の爺さんがそう言ってたな。

 え? いや、ただの公務員だったよ、うちの爺さんは。

 まあ、趣味で骨董品を集めたり、自分で彫刻を彫ったりと芸術家肌の人だったからね。爺さんの部屋は、まさに隠し事だらけに見えたもんだよ。

 そういや、俺の誕生日プレゼントに――確か小三の頃だったかな? まあ、その位の時に妙な物をくれたっけな。

 木彫りだったような気もするし、もしかしたら軽い金属、いや石、いやいや、ひょっとしたら象牙だったのかもしれないが、ともかくすべすべの彫像をくれたんだ。

 大きさは、そう、20センチくらいだったかな? もっと小さかったかもしれないな。

 これは何? って聞いたら、爺さんはこう言ったんだ。


『これはタンガガンタだ。上から読んでも下から読んでも、タンガガンタだ』


 彫像は、ねじれた人の形をしていた。頭は剥げていて、魚みたいだが、ちゃんと目や鼻がある。口を大きく開けて、目を見開いて、でも表情はない。ただ口をポカーンと開けているだけなんだ。間抜けな顔だったよ。

 長い手は細い体にねじれるように張り付いている。いやーんってやってるように見えるって言ったら、爺さん笑ってたな。

 足? 足はないんだよ。

 なんで無いかって言うと、腰から下は同じ上半身が逆向きにねじれてくっついてるんだな。

 ちょっと不気味だろ?

 だから子供の俺はかなり気に入った。

 俺は、こう聞いた。

『どっちがタンガで、どっちがガンタなの?』

 すると爺さんは笑って、タンガガンタをテーブルの上に寝かせると真ん中を持って回した。コンパスの針みたくぐるぐる回ったよ。

『それは誰も知らないのさ。だってこうすると、もうどっちがどっちか判らないだろ? 

 タンガガンタタンガガンタ! どっちが前でどっちが後ろ~ってな』

 その言い方が面白くて、歌みたいにずっと口ずさんでたよ。 

 おっと、脱線したな。

 日本酒を注文してくれないか? つまみは軟骨のから揚げが良いな。

 よしっと……ん? なんの話しだっけか?

 ああ! そうだよ、隠し事さ!

 あんたの隠し事を聞く前に、俺の奴を話しちまおう。なーに、酒の席の勢いだ。明日になったら何もかも忘れちまうさ。

 さて、俺の隠し事は――よし、言うぞ。言うからな!? 驚けよ――


 俺、実は女になったことがあるんだ。


 いや違うからな! そういう性癖の話をしているわけじゃないぞ!?

 まあ、聞いてくれ。

 俺には妻がいるんだがな、俺は妻になったことがあるんだ。

 いや、女装じゃない。そういう趣味は――まあ、なくはない、のかな?

 ん? 夢?

 それは、まあ……そうかもしれないな。

 ほら、胡蝶の夢ってのがあるだろ?


 蝶になって飛んでいる夢を見て、目が覚めた時に、自分は蝶になった夢を見ていたのか。

 それとも、蝶が見ている夢が今の起きている自分なのか。


 そうそう、それだよ。

 で、俺は一体どっちなんだろうってな。まあ、こんな事を本気で悩んでたら、酒でも飲まなきゃやってられないだろう?

 ん?

 もっと詳しく聞かせろって?

 あんたも物好きだな、はは!

 じゃあ、まあ話すが、俺ですらよく判ってないんだ。質問されても答えは出ねえぞ?

 まあ、んじゃ始めるか……と言っても、簡単な出だしなんだよ。

 ある日、俺は妻を殴り殺したんだ。


 ちょっと前から、妻の行動が妙だったんだ。

 あんた、結婚は? してない? はは、じゃあ、ちょっとピンと来ないかもしれないが、まあ、結婚してみると相手の嫌な部分に気づくようになるんだよな。

 寝ぐせだ、口臭だ、鼻毛の長さだ、まあ、人間なんだからそんなものどうでもいいんだけども、夫婦になると相手が自分の所有物みたいに思えてくる。だからそういう部分が気に入らないって思っちまうんだな。

 で、俺は妻が隠れてこそこそ何かやっている気がしてきた。

 物陰から俺をじっと見たりしてた時もあったな。

 となれば浮気か、と思ったわけだ。

 怒ったかって?

 いやあ、なんともね。怒ったていうよりも焦ったとかそんな感じかな。なんか、自分を全否定されたような気になるんだよな、あれ。

 で、妻を問い詰めた。

 いや、最初は普通に話しかけたさ。でも、妻は何も言わない。じっと俺を見て、汗を垂らしている。俺は段々ヒートアップしちまって、でも、手は出さなかったんだぜ?


 だけど、あいつは逃げようとしたんだ。


 俺の脇をすり抜けて、玄関のドアの方に走ろうとした。

 だから、まあ――後ろから殴りつけて、あとは首を、こう――

 まあ、結構長い事絞めてた気もするし、あっという間だったかもしれない。ともかく、俺は妻を殺したんだ。

 舌が飛び出して、涙と鼻水とゲ――おっと! まあ、色々とグチャグチャだったな。後頭部からも血が流れてた。もしかしたら、首を絞めながら頭をガンガンやったかもしれない。

 で、俺は妻が完全に死んでるのに気が付いて、トイレに駆け込んだ。便座を上げて、胃がからっぽになってもゲェゲェやった。

 頭の中は物凄い勢いで色んなことがぐるぐる回ってたな。

 それで、それっきり、さ。

 多分気絶しちまったんだと思う。

 多分ってのは、それ以降の記憶がフワフワしてるからなんだよな。

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