第十四話
永遠の40秒 上
ブザーが鳴って、俺は目を覚ました。
道の途中に設置されているセンサーは4か所。スマホを見ると、それら全てが反応している。という事は、また懺悔――いや、『話』をしに誰かがやってきたのだ。
俺は、顔を顰めた。
ああ……また飲み過ぎたか……。
痛む頭に、酷い疲労感。胃の辺りにはむかつきがある。
いつもの朝。
二日酔いの朝。
こんな朝が来るようになって何年経ったのだろうか?
だが、多分、今日も俺は寝る前に酔い潰れることになるのだ。
俺は窓の外を見た。
海と森の間の細い道を、誰かが歩いてくる。
男だろうか。それとも、女だろうか――まあ、すぐに判ることだし、それは大した問題じゃない。
顔を拭うと汗がぬるりとした。
俺は溜息をつくと、ベッドから出て顔を洗いに洗面台に向かう。夏でも冬でも変わらず、水は酷く冷たい。
そういえば、昔大学の講師が妙な事を言っていた。
海は死で――森は生。
つまりこの教会は、生と死の境界に建っているというわけだ。
境界に建つ教会、というわけだな?
ははは、中々洒落が効いているじゃないか。
ええっと、牧師様? 神父様? ああ、すいません。人から聞いてきたので、その――ああ、信仰が無くても大丈夫なんですか。それは、ありがたいです。
あの、この部屋――懺悔をする部屋? あ、告解室というんですか? そちらからはこちらの顔は――あ、見えないんですね。はい、私からもそちらは見えません。はい、あ、ええ、見えない方が良いのでそのままでいいです。
暗いほうが、その、落ち着きます。
そ、それで、ここでは何でも聞いてくれると、聞きまして……正直言いますと、その、神父様の前で言う事じゃないのでしょうけど、私は昔から無信仰でして……でも、今はその――悪魔はいるんじゃないかと考えているんです。
あの日――多分、あの場には悪魔がいて、私の足を掴んでいたんじゃないか……あの40秒間、私が動けなかったのは、悪魔の所為じゃないか、と考えているのです。
永遠の40秒。
私はあの40秒間を、きっと死んだ後ですらも、砕けた頭蓋骨の中で永遠に思い返すんじゃないかと考えているのです。
そしてですね、悪魔がいるのなら――神様もいるんじゃないか、と。
そしているのなら……私を救ってほしいのです。
……はい、では、お話します。
何処からいきましょうか……はい、私の好きなように? 何処からでも?
じゃあ――――
二年前の夏、某所で起きた通り魔事件を神父様は覚えておいででしょうか?
薬物でおかしくなった男が、商店街前の公園で行われていたフリーマーケットに車で突っ込み、人を何人も轢きました。犯人は車を降りると、刃物を振り回し逃げる人たちを追いかけ切りつけました。
私はその場にいたんです。
正確に言えば、その公園の裏で屋台を出していたんです。
最初は――何か大きな、どんっていう鈍い音が聞こえたんです。
咄嗟に、あ、事故だって思いました。
車が何かにぶつかった音。
あー、まさか子供が轢かれたりしてないよな、と私はちょっと嫌な気分になったのを覚えています。
ところが、続けて、どんっどんっと音が続くんです。
あれ? と思っていると、小さく女の人の悲鳴が聞こえて、それで、公園の出口から人が続々と走り出してきたんです。
吃驚しましたよ。
さっきの音はもしかしたらガス爆発かもしれない。そう考えて私はクレープを焼く鉄板のスイッチを切りました。隣の大判焼き屋の若い店員が、なんなんすかねと言いながら、私の屋台の裏を通って公園の出口の方に向かいました。
私は、前を走りすぎていく人達に何度か聞こうとしたんですが、駄目でした。皆さん、前だけを見て凄い勢いで走って行くんです。
その時、警察、って誰かが叫んだのが聞こえました。
私は声のした方、公園の出口を見ました。
さっきの若い店員が、肩を抑えて凄い顔でこっちに走ってきます。
警察! 警察! 刃物! こっち来る! と彼が叫びます。
私は、しゃがみ込み、焼き台の影に隠れました。
心臓の鼓動がいきなり激しく打ち始め、耳と頬がひくひく動くのが判りました。
若い店員が、私の横を転がるように走ってくると、電話! と叫び、それから公園の出口の方をちらりと見て、そのままゴミ箱をひっくり返して、壁沿いに走って行きました。
電話! と彼がもう一度叫んだあたりで、公園の出口にあの男が現われたんです。
格子の向こうの闇が沈黙した。
俺は自分が息を止めているのに気がついた。
その事件は覚えている。死傷者は大人から子供まで、全部で30人近くだったろうか。確か犯人も負傷していて、警官が取り押さえた際に出血多量で死亡した……だったろうか?
俺はなんとか声を絞り出す。
「その人は、その――」
格子の向こうの闇が震える。
「はい。犯人です。大きなナイフを持っていました。灰色のTシャツが所々黒かったのは、きっと返り血を浴びていたからなんでしょうね。でもパッと見では血と判らなくて、汗で濡れてるんじゃないかなんて一瞬考えてしま――」
興奮が伝わってくる。
言葉が段々と不明瞭になっていくのは、泣いている所為なのだろう。だから、暗くしておいてくれと言ったわけか。
「落ち着いてください。まずは涙を拭いてください。ちゃんと聞きますから」
声が途切れた。
ぐじゅりと鼻を啜る音が聞こえる。
こちらは入口の格子を少し開けて太陽光を入れている。なのに、妙に暗く感じる。格子から隣の闇が漏れてきているみたいだ。
……いかんな。
俺はアルコールが呼気に交じっているのを悟られないように、格子から顔を離して喋る。その所為か、格子の向こうの闇は、異様に濃くなったように見えた。
「さあ、続きを話してください。全部話せばきっと心が楽になりますよ」
「……そうでしょうか」
まるで耳元で言われたかのように、それははっきりと聞こえた。
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