第十三話
逃げ切り もしくは 視線
「やあ! どうもどうも!」
待ち合わせ場所の公園に行くと、ベンチからさっと腰をあげて手を振ったのは、年の頃は六十半ば、オールバックのごま塩髪にこざっぱりした服装の老人だった。
川瀬、と名乗った彼はへへへと小さく笑った。
「まあ、仮名なんだけどな」
俺は、ほうと小さく口を丸めそのままベンチに座った。
演出、というやつか。
俺は某月刊誌の『怖い話』コーナーの担当である。創作から読者投稿まで緩く幅広く受け付けているのでクオリティにはバラつきがあるのだが、プロには書けない妙な生々しさがあり、人気がある。
今日はメールを貰い、取材に来たというわけだ。
演出を織り交ぜてくるというのは、つまり、こっちを怖がらせようとする気満々なわけだ。
ただ、この場で聞く分にはいいが、文章にしてしまうと怖くない場合がある。
「御本名は明かせない?」
「あーっと、駄目なのかな? あ、金の振込みとかで面倒か。じゃ、俺ぁそういうのはいいや。金はいらねえから話を聞いて――」
あーっとと、と俺は川瀬老人の言葉を遮った。
「謝礼は現金で、取材後にお支払いしますのでご心配なく。ただ、メールでお知らせしました通り、川瀬さんのお話が当社の他の本に転載される場合、追加の謝礼等は――」
川瀬老人はニカニカと笑いながら、手をぶんぶん振った。
「あー、そういうのはいいんだわ。今日、あんたに話したら、もうそれっきり! な?」
俺はレコーダーをポケットから出して、ニヤッと笑った。
「録音しちゃいましたよ」
川瀬老人は肩を竦めた。
「だから、ハッキリと喋ったのさ」
それから屈むとレコーダーに口を近づけた。
「俺は元刑事だ。信用してもらっていいぜ」
刑事、ときたか。
となれば、事件絡みの暗い話――
「まあ、苦笑いが最後に出る話なんで、もうこれっきり話したくないってのが、ホントの所なんだが……」
俺は目を瞬かせ、川瀬老人を見つめた。
川瀬老人はすでに苦笑いを浮かべていた。
さて、俺は見ての通り、もうジジイだ。
で、今から話す出来事は俺が現役の頃――具体的な時期は伏せとくぜ? まあ、ともかく、当時結構な規模で捜査した、ある事件から始まる。
今から――結構な昔、殺人事件があった。
小さくて狭い飲み屋で、店長と客四人が殺されたんだ。凶器は厨房の包丁で、時間帯は深夜の二時。オフィス街の外れにある店だったから目撃者も見つからず、犯人は恐らく単独で、初犯。酔った勢いで突発的に人を殺しまくった――ってな推測ぐらいしかできなかった。
信じられるか? 五人殺して、そのまま逃げ切ったんだぜ?
例えば、服なんかは、返り血で間違いなく滅茶苦茶だったはずなんだ。
だが、その日偶々着替えでも持っていたか――ともかく、悪運が強かったんだろうな。
散々足を棒にして歩き回ったんだが、最後には時効になっちまった。
とはいえ、そういう事は偶にある。俺なんか、はは、その事件自体を忘れちまってたね。被害者に知り合いがいたわけでもないからな。つめてぇと言われるかもしれねえが、一々、それで心を切なくさせてたんじゃ、体がもたねえしな。
ところが――ちょっと前、いよいよ俺の定年が決まった辺りの事だ。
出勤すると、課長が難しい顔をしてる。
ちょっと来てくれってんで、連れだって喫煙所に行くと、カワさん、妙な事になったぞって言いやがる。
なんだ、どうした、そんな難しい顔をするな。禿げるぞお前、と俺は課長の額をぴしゃりとやった。まあ、こいつは俺の後輩なんだが、めんどくさい事を押し付けてたら出世しちまったわけだ。
だけど、課長の奴、難しい顔を続けながら煙草をふかし続けてる。
実はな、カワさん、タレこみがあった。
ほう? どれで?
いやあ、大昔、俺がカワさんと一緒に外をぐるぐる回ってた頃のやつ。
はあ? そりゃ、おめぇ、とっくに時効だろ?
で、課長、スマホを取り出した。
小さな飲み屋で、五人死んだ奴、覚えてる?
言われてぴしゃりときた。
ああ、あれか、と。あの――え? 目撃者か? あの事件の? 今更? なんで?
課長はスマホをいじると、俺に画面を向けた。
動画配信サイトってやつが表示されてたよ。
きったない部屋に、きったない布団を敷いて、そこに横になった年寄りが、昨日は納豆を食べました、とかもそもそ喋っていやがる。
こいつがタレこんできた?
課長は頷いた。
これが、目撃者か。まあ、年寄りだから嘘ってわけじゃ――いや、これ、動画の話題作りとかそんなのじゃねえの?
課長は首を振って、こいつ自身が犯人なんだとよ、と言った。
俺達はしばらく、スマホを眺めながら煙草をふかし続けてたよ。
一応調べてみたが、こいつは海外に行ってた時期も無く、完全に時効は成立しちまってる。つまりは俺達には何もできないわけだ。
じゃあ、なんで、今になって、よりによって俺達にカミングアウトしてきやがったのか?
俺としちゃあ、やはり話題作りと考えたわけだ。
警察の無能さ云々とかを、時効成立後の男が暴く、とかやったらウケそうじゃない? まあ、遺族に民事裁判起される可能性がデカいんだけどな。
で、とりあえずは、課長の胸のうちにしまっとくってんで『放置』になった。
いや、さっきも言ったように最低限の事は調べたよ。
住所とか、年齢とかね。どう見たって俺よりも年寄りに見えるのに、この野郎は十歳も俺より若かった。
で、一週間後だ。
刑事と対談がしたいって、メールが来た。
課長は、大溜息だ。
しゃーないってんで、署内で公にした。
みんな、大溜息だ。
誰が、そんなクソ野郎と会いたいと思うよ? しかも対談は撮影するって書いてありやがる。無視するのはどうだって誰かが言ったな。別に対談なんてしなくていいんだよ。でも、相手は動画配信者さまだ。大騒ぎされると色々メンドくせぇことになりそうだ。
で、渋い顔でみんなで話し合った結果、俺が行くことになった。
まあ、ヒラで、定年間近のヒマジジイ。当時の捜査に当たってたとくれば適役だわな?
それでも、まあ、音声は変えて、顔にはモザイクを入れてくれと頼んだよ。
で、まあ、会ったわけよ。
あいつのきったねえ古アパートの一室でさ、あの野郎ご丁寧に動画サイトのプロフィール欄を更新してやがってさ、『元殺人犯。時効成立から云十年』とか書いてやがるのよ。
へ? 怒り? いや、なんだかアホ臭くてさ、そんなものこれっぽっちも湧いてこなかったよ。
しかも、『むこう』も、なんだか冷めてやがるんだよ。
挨拶をして、当時の事件の内容をすらすら言うんだが、こっちは生返事。台本でもあるのかと思ってたがそんなものは無い。だから、まあ適当に相槌を入れる感じだ。何より生放送らしくてさ、足元掬われたら、なんだか悔しいじゃない?
で、あいつのいう事にゃ、ともかく運が良かったんだと。偶々、発作的に揉み合いになって殺しになっちまったが、着替えを持っていた。だから、それに着替えて帰ったんだとさ。初犯で、次の日も仕事は休まなかった。不思議と落ち着いてた、らしいぜ。
まあ、偶にいるんだよ。そういうクソ度胸の奴がさ。
さて、あいつは自分語りを終えると、溜息をついた。
なんで、刑事さんを呼んだか判りますか、って俺に聞いてきた。
俺は正直に、よく判らんって答えたよ。心理学者じゃないしな。
そしたら、あいつはこう言った。
『実は、私はずっと見られて生きて来たんです』
ははあ、罪の意識って奴があるじゃないかと俺は思ったね。
それは被害者五人から見られてきたってことかい、と聞くとあいつは頷いた。
『そうです。常にどこからか、五つの視線があるんです。時効が成立してからは、酷く強くなりました』
お、ようやく怪談来たかって顔だね?
で、俺はそりゃあ、と頭を掻いた。
刑事に言ってどうするんだ? 坊主か神主に言えよってね。
『言いましたよ。神父と牧師にも言いました』
へえ、そっちまで手を伸ばしたか。
『でも、駄目なんです。私は諦め、自殺を試みました。でも――できないんです』
できない?
『ええ。首吊りをすればロープが切れる。手首を切れば血が止まる。薬を飲めば吐いてしまう。ビルから飛び降りようとすれば――』
あいつは顔を顰めて、ぶるっと震えやがった。
『下から物凄い勢いで見られている感じがぶつかってくるんです。頭が割れそうになって、それでも無理に飛んだら、ビルの屋上側に着地してました……ははは』
俺は呆気にとられて、あいつを見ていた。
あいつは、そら、その感じと俺を指差した。
『そうやって自殺に失敗すると、あいつらがそんな風に見てくるんですよ! 馬鹿にして! 嘲って! 苦しめ苦しめって! 俺を見つめてくるんですよ!』
そりゃあ、人を殺してるわけだからなあ、と俺は笑っちまった。
そのくらいは、当然の報いって奴じゃねーの、と。
ただで逃げ切りできると思うなよ、ってね。
あいつは口を閉じると、俺を睨みつけ、ぼそりと言った。
『なんで、捕まえてくれなかったんだよ』
俺は――まあ、瞬間的にあいつをぶん殴ってた。
まあ、正直気分がすっとしたけど、やっちまったと冷や汗が出たよ。署じゃ、みんな、頭を抱えたそうだ。
だが、あいつは、こう言った。
『……ありがとう刑事さん! これで、今日もみんながこの動画を熱心に見てくれるよ!』
川瀬老人はニコニコしながら、ベンチに深く腰掛けた。
俺はゆっくりと唇を拭った。
「なんとまあ……それ、ホントの話ですか?」
「帰ったら調べてみな。意外に簡単に検索に引っかかるぜ。まあ、あまり拡散させたくはないんだがな」
「ああ、そりゃ、そんな失態は――」
川瀬老人は苦笑いすると、手を振った。
「いやいや違うよ。今日もこれ、話すかどうか悩んだんだよなあ。で、あんたなら、どうするか聞いてみたくて……」
俺は、目を瞬かせた。
「あ、あのスイマセン。話が見えないんですが――」
川瀬老人も目を瞬かせた。
「……あんた、今日何しにここに来たんだい?」
「……川瀬さんに会いに――怖い話を聞きに――あ」
川瀬老人は、それよ、と溜息をついた。
「あいつ、五人が今でも自分を見てるんだと。でも、それ以上の人間に自分が見られると、視線が消えることに気がついたんだとさ。呪いの制御って言ってたな」
「……だから、動画配信で、しかも生放送――」
「そうだ。あいつが報いを受け続ける為に動画は見られない方が良い。でも、そうなるとあいつは注目を集める為に過激な事を――例えば犯罪なんかを動画配信中にやりそうでなあ」
俺はベンチの背もたれに深く腰かけ溜息をついた。
「それは――いずれ、そうなってしまいそうですね」
「ああ。だから、元警察官としては犯罪を未然に防ぐ意味で動画ページを拡散させないとなあ、と考えるわけだよ……」
「……なんともはや……」
川瀬さんは苦笑いすると、煙草を奨めてきた。
「あいつは言ってたよ。『現在の視聴者数』が絶対に五人から下がらない。動画を見る人は、誰も見てない動画は見ないけど、数人見ている動画はなんとなく見てしまう……とさ。
呪いってのを、導火線にするなんてなあ……どうよ、この話。怪談として紹介するべきだと思うかい?」
俺は煙草を一本受け取ると、レコーダーのスイッチを切り――
なんとも言えないですねぇ、と苦笑いを浮かべた。
了
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