第62夜 花嫁の葬儀
八月十五日といえば終戦の日として、よく知られていますよね。でも、その日の夜……正確にいうと、十四日の真夜中から十五日の未明まで空襲があって相当、人が死んでるんです。にわかには信じられないかもしれませんが。
私がそのころ住んでいた町はほとんど焼野原になったし、全人口の三割ほどが亡くなっています。
その中のひとりに、私の叔母がいました。
十八歳で、結婚したばかりでした。
八月十四日に婚礼を……結婚式というより婚礼、ですね。床の間の前に新郎新婦が座って、その前に両家の親族が並ぶようなかたちで、時代劇の祝言をあげるシーンのようなものでした。当時のことですから、酒はないし、料理もない。でも、あちこちから各人が持ち寄った食材で、何とか祝宴をととのえたようです。
ようです、というのは、私はまだ子供で……国民学校の四年生でしたから、大人の苦労なんていうものは、よくわからなかった。兄弟が男ばっかりだったため、姉のように慕っていた叔母が結婚するという事態も、よくのみこめていなかった。
姉の相手の方は、近隣の村にある農家の後継ぎで、本家筋でしたから将来は当主を約束されているというので、嫁ぎ先として悪くはなかったようです。ただ、結婚式だというのに、その相手は入営中の身ですぐ部隊に帰らなければならなかったそうです。その後すぐ戦争は終わったわけですが、私どもにはそんなこと、わかりません。叔母の両親を初め関係者はみな、出征して戦死する可能性も考えたはずです。そんなこともあって、幼心にも私は何だか釈然としなかったのを憶えています。
当時、空襲予告のビラが相当数、米軍の飛行機からまかれていたんですよ。拾って読んじゃいけないってことになってたし、厳しく取り締まられてもいたんですが、噂は相当、ひろまっていたらしい。その一方で、ポツダム宣言を受諾したことも知られていて、だから戦争はもう終わる、空襲はないという噂もかなりあったようです。
叔母の婚礼の日、昭和二十年八月十四日という日は、ざっとこんな状況でした。
叔母の家と私の家は隣りあっておりますから、その日の朝早く、花嫁衣裳に身を包んだ叔母に対面しました。
戦時中ということもあって着物の柄は地味でしたが、それでも叔母は美しかった。本当に、ほれぼれするくらい美しかった。ただ、叔母の様子はいつもとはちょっと変わっていました。今までありがとう、しっかりお勉強なさい、と私にいっていたときは笑顔だったのに、そのあと急に泣き出したりしましてね。
まず叔母やその一家が先方にゆき、私の家ではまず母親が手伝いに出発、ついで日が高くなってから父に連れられ、叔母の嫁ぎ先へと向かいました。
結びの盃が汲み交わされ、叔母のお相手の親戚だったのでしょう、誰か知らない人が謡をうたい、私の伯父が祝いの口上を述べ……とそんな断片を記憶しておりますが、父におとなしくしているよう厳しくいいつけられておりましたので、緊張のせいかあまり憶えていません。祝いの御膳に、わずかでしたが赤飯があって、とても美味しかった。その味を今でも思い出すことがあります。
無事に婚礼の儀が済み、私どもの一家は帰宅して、よそいきの着物を普段着に変え……そこから戦時中ではあっても、ふつうの生活に戻るはずでした。隣の家に住んでいて、私には非常に優しかった叔母が、いなくなった。それだけのはずでした。
しかし、さいぜんも申しましたように、その夜、空襲がありまして叔母が殺された。
焼夷弾が直撃して、火だるまになって、死んでしまった。
いったい、叔母はアメリカに何をしたというのでしょうか。
あのきれいで、優しかった、かわいらしい声で話していた叔母は、アメリカ人をひとりも殺していない、というのに……。
いや、これは失敬しました。
本題に戻りましょう。
私の家族、叔母の家族が非難すべき防空壕は、家からはあいにく離れておりまして、夜の間は家の方がどうなっているか、うかがい知ることはできませんでした。
八月ですから、まだ夜が明けるのは早い。夜が白みはじめた頃、防空壕から戻ってみると、運よく私の家は、母屋の壁が一部、焦げて、物置が全焼したくらいで済んだのですが、叔母の実家は跡形もなくなっていました。叔母の家族がみな揃って、門のあったあたりで茫然と立ちすくんでいたのを、よく憶えています。
ひとまず叔母一家は、私の家で休むことになったのですが、そこへ叔母が亡くなったという報せが入ったのです。
叔母の両親も、兄弟姉妹たちもみな、泣かなかった。嘘だと叫ぶこともなかったし、騒ぎもしませんでした。一夜のうちに、生活の拠点を失ってしまった事実に、疲れ果ててしまっていたのでしょう。
あるいはどう反応したものか、わからなかったのかもしれません。町方から村方へ嫁に行けば、空襲にあう可能性が少ない……恐らくは、そういう計算も叔母の両親にはあったのでしょう。それが裏目に出てしまった。もっとも、戦闘機の機銃にやられ、田んぼや畑で亡くなっている人もずいぶんいましたから、どっちが危険かは一概にはいえなかったようですが……。
たった一日、いえ、半日ほどではあっても嫁いできた、嫁にきたと考えるのが当時の感覚だったでしょうし、叔母の家は空襲で焼かれたということで、葬儀は先方で行うことになりました。
取るもとりあえず両親と弔問に訪れると、その前日には晴れやかな場に、お人形さんのような姿でいた叔母のなきがらが、早くも棺におさめられ……手配がうまくいかなかったのか、物資不足だったのか、白木とはいえ日に焼けたような古びた棺の中に、叔母はいました。
それが本当に叔母なのか、私にはとても信じられなかった。火傷だらけでふびんだからと、入棺のあとも美しかった顔には布が掛けられていて、両親といっしょに手を合わせるときも、その布は取りませんでした。
葬儀じたいは、特に何事もなく過ぎました。
いいえ、葬儀以来ずっと、多少の波風が立つことはあっても、叔母の家族も私の家族も、おおむね平穏に過ごしてたように思えるのです。戦争が終わり、国全体が復興に力を注ぐ中で、私の係累たちは仕事をしはじめる、結婚して家を出る、子供が生まれる、入学する、卒業する、ほぼ年齢の順に亡くなってゆく……と、平凡に、本当に平々凡々にやって参りました。
今、私はこうしてこの施設におりますが、別に不自由なことはないし、この建物の中に仲良くなった人は何人もおります。習字をしてみたり、将棋をしてみたり、毎日楽しく過ごしています。身体のあちこちが老いてゆくのはしかたないとして、まだ自分の足で何とか歩けますし、人の名前が出てこなかったり、最近あったことは忘れがちですが、まあ年齢相応だと専門の方にいわれています。
結婚しなかったし、子供はおりませんが、その分、仕事に打ち込んで一時はある程度の地位を得ましたから、まあまあ満足のゆく人生でした。
ただ、私の人生の中でひとつだけ、ただひとつだけ……どうしようもない不幸というのは、今お話ししました昭和二十年八月十四日の夜にあった、熊谷空襲です。
私は今でもアメリカという国が好きになれない。
叔母を殺した人間に復讐してやりたい、そんな気持ちですよ。今でも。
爆撃機から焼夷弾を落として叔母を殺したアメリカ人は、国のために、家族を守るためにやったんだと、理性ではわかります。
でも、私には今なお割り切れない。
割り切れていないんです。
叔母のおとむらいが済んで以来、初七日、二七日、三七日……四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と、そのつど法要が行われてきました。私はそのすべてに参列したわけではありませんが、八月十五日がくるたびに改めて叔母のことを思っていたのです。
平成十七年の八月十五日のことです。
叔母の墓参りをしようとしましてね、熊谷駅で電車を降りて、何かお供えでも買おうかと歩きだしたところで、私、気づいたんです。
みずほ銀行前の交差点の角に、叔母が立っているのを。
はい、叔母です。まちがいなく、叔母でした。
婚礼の日の……そう、花嫁の姿そのままでした。
顔だけ真っ黒でしたが、見間違えるはずはありません。
怖いことなんてありません。もう……お恥ずかしいが、号泣してしまって、通り過ぎてゆく人からは変な目で見られましたが、むしろ私は、叔母と会えたことが嬉しくてたまりませんでした。
駆け寄ろうとしたんですが、信号に停められて待っているあいだに、いなくなってしまいました。
このまま話が終わるなら後悔してもしきれないのですが、叔母はこれ以降、ずっと私のそばにいるのです。
会社で書類を読んでいたときも、取引先の社員と酒を飲んでいたときも、家で昔の映画を見たり、書きものをしたりしていても……常時、私のすぐ近くにいてくれている。
あの日から六十年たって、ようやく姿を見せてくれるようになった。私はその後、仕事をやめたり、ある会社の相談役をやったりして、この施設に入ることになりましたが、その間もずっといっしょです。
残念ながら、話しかけてはこないし、こちらから声をかけても聞こえていないようです。それでも……私の近くにいてくれるだけでも、ありがたいことです。相変わらず花嫁姿で、顔は真っ黒のままですが、美人であることに変わりはありません。
こんな話、気味悪がるから、ここの人たちにはしていないのですが、私と話したり、何かしたりしているときに、気配を感じる人はいるみたいです。
あなたはどうでしょうか。
何か気配のようなもの、感じますか?
鏡にはわりあい、よく映るみたいです。顔を洗ったり、ヒゲを剃ったりしていて、ふと鏡を見ると、そこに叔母の姿がうつっていることがある。
ここに手鏡がありますから、見てみてください。
どうです? 見えますか。
これが私の叔母です。
最愛の、叔母です。
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