第40夜 蚊帳
これは、ずっと誰にも話さなかったんだけど……何だか、頭がおかしくなりそうでね。でも、もうずいぶん昔の話だし、そろそろ人に話した方が、かえっていいかな、って思って。
中学二年の夏休みに、新潟のおじいちゃんの家に行ったのね。
すごーく田舎で、夜寝るときには蚊帳を吊るの。
私は小さいときから夏は毎年おじいちゃんの家にいってて、慣れっこになってたけど、おじいちゃんたちと一緒に住んでるいとこは、蚊帳が好きじゃないのよ。蒸し暑いっていってね。
確かに蚊帳の外よりは暑いかもしれないけれど、がまんできないほどじゃないし、東京よりはずっと涼しいのに。
そんなわけで、子供の頃は、いとこと一緒に寝ることもあったんだけど、そのときはひとり。蚊帳の中で寝てたんです。
ときどき田んぼを渡ってくる風が入ってきて、蛙のにぎやかな声が聞こえてくる。
気持ちよく、心地よく、うつらうつらしてたんです。
ところが……ああ、もうだめだ、寝そう。眠っちゃうってところでね、ふと気づいたんです。
私からしたら右側、足元のあたりに、誰かが座っていたのね。
うつむいて、しょんぼりした様子なんだけど正座してるし、背筋をなぜかぴんと伸ばしてる。
「誰なの、顔をあげなさいよ」
っていったら、我ながらすごく寝ぼけた声だった。それでも通じたと見えて、その人が顔をあげたのね。
前の年の春に転校していった、同級生のK子でした。
K子とは仲がよかったし、転校したあとしばらくの間は連絡をとっていたんです。でも、何となく疎遠になって、いつのまにかSNSでもメールでも、やりとりをしなくなっていました。
そういえばK子は新潟県に転校したんだった、って夢うつつに思いました。
うん、夢なんじゃないの、これはと思っていたんですよ。
だって、K子の顔の右半分に、びっしり貝のようなものがついているし、髪は綺麗だったのにボサボサになってたし、顔中血だらけでしたし……。
それでも、なぜか私はその人が、K子だって思ったんですね。K子が夢に出てきたんだって。
「K子、ひさしぶり」っていったら、K子は泣きだしました。嗚咽をもらして、しゃくりあげるように。
起きていたら、まずK子の悲しみの理由を聞こうとしたでしょう。でも、そのときの私はどうしたことか、
「どうしたの、その顔」
って尋ねたんです。するとK子は、
「どうしたも、こうしたもないわよ」
と気色ばんで……あ、怒らせちゃったと思いつつ、私は寝てしまったんです。
翌朝、アブラゼミのやかましい声で起きてすぐ、顔も洗わずにスマホに飛びつきました。
K子に電話をしてみましたが……出ません。
SNSのK子の画面を開くと、もう半年くらいもやりとりをしていないことに気づきました。
そこで私は、長い間連絡をとらなかったことを謝り、K子の夢を見たと打ち込みました。
K子から連絡があったのは、その日の昼過ぎでした。
でも、おかしいのは……K子はなぜ電話番号を知っているんだ、私のことなんか知らないっていうんです。
中学校で去年の春まで同じクラスだった、というと、そんなわけはない、私は新潟生まれの新潟育ちで、一度も転校なんてしたことがない、っていうんです。
私は混乱してきて、他に仲のよかった子やK子の憧れていた先輩の名前をあげたり、私の知っているK子自身のことを矢継ぎ早に話したんですが……かえって不気味に思われたようで、まもなく電話を切られてしまいました。
私はSNSで知り合い全員にむけて、K子って子が去年まで同じ中学校にいたよね、って聞いたんです。
でも、誰もK子を知らなかった。
私の家族も同様でした。親はPTAの役員をしていましたが、K子という子に心あたりはないし、私がK子のことを話していた記憶もないっていうんです。けっこうK子の話題を家でしていたはずなんですが……。
これって、どういうことなんでしょう? 私の記憶では確かにK子は同級生で、中学校へあがるときに転校していった。
電話でも、SNSでもやりとりをしている。その記録も残っている。
それからもう一度、K子に連絡をしてみたんです。きちんと順序よく説明できるようにしてね。
ところが、やっぱりK子はずっと新潟にいたっていうし、そのSNSはやっていないっていうんです。
こうなると、私がおかしいとしか考えられませんよね。
え? ああ、そうですか。それは……ありがとうございます。
はい、はい……K子が私のもとに現れた晩のことですが、私のことを知らないK子は、ちょっと前に海水浴に行って、頭を岩にぶつけちゃって怪我をしたようなんです。
顔の右半分が血だらけになったって、いってましたね。そう聞いたんですけれども。
そこだけ私の体験したことと、合っているんです。
何なんでしょうかね。
そういえば、その子の名前って、加耶子、なのね。
もしかしたら、たまたま蚊帳の中に私がいたから何かが通じて……いや、そんなことないかな。
いえ、だからといって、いとこみたいに蚊帳が嫌いになったわけじゃないんですよ。
でも、おじいちゃんの家ではもう蚊帳を吊っていません。夜は全部、戸を閉め切って寝るからです。ええ、物騒ですからね、最近は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます