第34夜 彗星飛ぶ

 私の友人に、軍事オタクがいましてね。本人はそこまで詳しいわけじゃない、ただ、ちょっと好きな程度なんていうんですが、なかなかのもんなんですよ。


 守備範囲は旧日本軍で、軍用機が中心です。機種をあげたら、だいたい要目をあげることができるんです。全長とか高さとか、翼の幅や兵装なんかですね。


 戦時中に鹵獲されたゼロ戦……当時はふつうレイ戦と呼んでたんですけど、それが修理されて飛べる状態になったというんで、当時の他の戦闘機なんかといっしょに飛ばすショーがあったんです。そのときには彼、借金してまで行きましたね。ええ、アメリカでそんなのがあったんですよ。


 私も貸したんですが、まだ返してもらってませんけれど。


 その彼がね、行きつけの図書館でやっぱり軍関係の書物を読んでたときに。


 ぶうううん……。


 と、音がしたっていうんです。


 私らなんかにしたら蝿の飛ぶ音にしか思えなくても、やつにはそれが、艦上爆撃機の轟音に聞こえたんですね。


 耳をすますと、もうまちがいない――


 確信しました。このあたり、直感だっていうんですね。やつときたら、プロペラの音からどこのエンジンを使っているのか、ぱっと頭に浮かぶ。


 それが、海軍機の「彗星」だったらしい。


 同じ「彗星」でも、いくつか型があります。やつは、そのうちのどれなんだろうと考えながら音の出所をさぐりました。


 その音が、書架のどこかから聞こえるっていうんです。しばらく探し回って、やつが突き止めたのは、とある参謀長が書いた日記でした。


 戦時中の記事が多いし、重職についていた人の日記ですから史料としての価値が高いといわれているものです。


 音は、確かにその本から聞こえている。もしくは、その本が、音をたてている。


 やつは本を書架から引っ張り出し、手が汗ばむのを感じつつ開いた――でも、その瞬間にはもう音が止んでいたんです。


 その参謀長は終戦の日に、沖縄にむけて特攻して、殉職したんですね。ええ、そのときの乗機が「彗星」なんです。


 軍事オタクだからこそ、聞こえたんでしょうね。


 やつはいってましたよ。


「眼福」って言葉があるけど、そいつは「耳福」だったよ。


 私にも似たような体験がありまして、子供の頃、ゼロ戦が飛んでいるのを見たことがあるんですよ。


 やつからこの話を聞いて、ゼロ戦の音はこうだったんだが―― とゼロ戦の型を訊ねたところ、陸軍機じゃないのか、それ? って、笑われましてね。


 私は記憶を頼りに、いや、こんな感じだったかな、と口でプロペラ音を再現しまして。


 それから小一時間ほど、いい年した大人がふたりで、プロペラ音の口真似をしてました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る