二章 とある賢者の死③
「幸太郎君」
突如、名前を近くで呼ばれて高村はびくりと体を震わせた。高村が振り返ると、四方坂は苦笑していた。
「円さん」
「幸太郎君。考えているところ水を差すようで悪いのだけど、幸太郎君に用がある人がいるの。出てくれないかしら?」
そう言って四方坂は固定電話の子機を差し出した。
「あの、俺に用って」
「以前言っていた護衛の件よ。兎に角出てくれないかしら。大丈夫よ、祟られたりしないから」
「はあ、そういう事なら」
幸太郎はそれを受け取る。その時、四方坂の手が触れた。肌の白さに反して、その手は暖かく、というより、少し熱く感じた。そういえば、体温の低い人間は情に厚いなどと聞いた事があるが、反対に体温が高い人間は情が薄いのだろうか、などと考えて高村はその考えを振り払った。
「もしもし、高村幸太郎です」
『初めまして、全道という』
受話器の向こうから中年くらいの、取り立てて特徴のない男の声が聞こえてきた。
「ぜんどうさん、ですか」
『ああ。完全の全、それに、道のりの道で全道だ。変わった苗字だが気にしないでくれ。それで四方坂の方から聞いてるかもしれんが、身辺警護について話がしたい』
「わかりました」
『まあ詳しい話は後だ。駅近くにくらかま喫茶店ってのがあるだろう。七時頃にそこに来てくれ。話はそれからだ』
「え、ちょ、ちょっと待ったーー」
高村は引き止めようとしたが、一方的に電話は切られてしまった。
「あの、円さん」
「聞こえてたわ。行ってきなさいな」
「いえ、ですが」
「幸太郎君。これも前に話したと思うけど、護衛がいれば夜うろつき廻っているはぐれ魔術士達も調べる事も出来るから、ぐんと調査が楽になると思うわよ。屋内に
「それは、そうですね。ですが」
「帰りの心配ならしなくてもいいと思うわ。それこそ、その護衛の人に守ってもらいなさい。それとも、私に迎えに来てほしい? はぐれ魔術師から逃げる位は出来ると思うけど」
「そこまで迷惑をかけるわけには」
そう高村が言うと、四方坂は笑った。
「あら、既に一杯迷惑をかけてると思うけど、今更そんな事を気にするのかしら」
「それは」
思わず高村はたじろぐ。その様子を見て満足したのか、四方坂から押し殺したような笑い声が漏れた。
「冗談よ。でも、今更迷惑の一つや二つくらい気にしなくてもいいわ。それにね、大人にとって若者に頼られるというのは悪い気がしないものなのよ」
「すみません。そう言ってもらえると助かります。でも護衛の人がいるならやっぱり遠慮しておきます。頼り癖がつくといけませんから。それにいざとなったら、自分の身は自分で守りますよ。そのために訓練したんですから」
それを聞いて、四方坂は苦笑する。
「そう、分かったわ」
「じゃあ、行ってきます」
少し時間はあるが、まああっちで時間を潰せばいいだろう。そう考え、高村は居間を出ようとした。
「幸太郎君」
「はい?」
四方坂の呼び止める声に高村は振り向く。
「これは頭のほんの余白部分に留めておいてほしいのだけど、魔術師なんて呼ばれる人間達をね、全面的に信頼してはいけないわ」
「円さん?」
「突然ごめんなさい。でも聞いておいてほしい。魔術師というのはね、一般社会で生きるのが困難な人間達が最後に行き着く場所の一つでもあるの。だから、魔術師の中には人格的に
そういう事もあるのだろうとは高村も思っていた。そうでなければ、一般人である自分をなんの躊躇もなく襲いはしないだろう。
「そして幸太郎君。魔術師はね、
「太極図?」
「ええ。太極図は分かるかしら」
「ええ、まあ。丸くて黒と白が半分半分になってるあれですよね」
「ええ、そうよ。イメージ出来ているなら問題ないわね。例えばね、世間一般的に碌でもない人間が後に大成して偉大な魔術師になる事だってあるの。それは、そういう人間にも可能性が内包されているから。そして、逆も然り。偉大な魔術師とされた筈の人間でも、どこか倫理的におかしな部分を持ち合わせていたり、それが元で碌でもない事に手を出したりする可能性をいつも内包しているの。そうね、白が偉大な魔術師とするなら、黒ははぐれ魔術師かしら。白の中には黒い点、つまり、はぐれ魔術師の可能性が巣食っていて、黒の中には白い点、つまり、偉大な魔術師の面を内包している。だから太極図。偉大な魔術師もはぐれ魔術師も、表裏一体なのよ」
「表裏一体」
「面倒な話をしてごめんなさい。要は何が言いたいのかというと、魔術師という人間には誰であっても全面的な信頼を置くべきではないという事。どれだけ信頼の置ける人物でも、九十パーセントまでの信頼を限度にしておきなさい」
「それは、円さんに対してもですか?」
束の間の沈黙が辺りを支配する。やがて、四方坂は静かに口を開いた。
「ええ、そうよ。だからこそ、一人だけじゃなく幾らか信頼できる人間を作っておいた方がいいわ。私だって今は協力してるけど、状況次第では貴方に牙を向けるかもしれないから。もっとも、私の牙はあまり鋭利ではないけどね」
そう言って四方坂は笑う。そういえば四方坂は戦いのための魔術というものは得意ではないと言っていた事を高村は思い出した。そもそも、魔術師というのは研究を志したり、生活の役に立てるために学ぶ者達が大半で、よく見るような漫画や小説、アニメのように誰かと争うための術などを身に付ける者は少ないらしい。せいぜいが護身用に身に付ける魔術が関の山で、実戦的な魔術となると、うんと数が少なくなるとの事であった。
まあ、それも当然だと高村は納得した。好き好んで誰かを傷付けようなどと考えるのは、現実では異常者でしかない。銃や刀が手に入ったからといって、わざわざ誰かに決闘を挑んだりするような人間はいないのだから、そう考えれば何もおかしな事ではないだろう。
「忠告ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
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