二章 とある賢者の死②
しかし、現在の高村の帰宅先はその住み慣れたアパートではなかった。
高村がやってきたのは坂見市の北に立地している秋坂、その頂上付近にある洋風の屋敷であった。
高村は門の中に入り、玄関までの石畳の道を通って屋敷のベルを鳴らす。すると、ぎいと高い音を立てて木製の扉が開いた。
中から出てきたのは二十代後半から三十代前半程の見た目をした女であった。ゆったりとしたワンピースにストールを掛けており、ロングの栗色の髪を前の方に垂らしている。邪魔にならないようにか、髪の先の方はシュシュで
「円さん、こんにちは」
そう言って高村は頭を下げると、円と呼ばれた女は笑みを浮かべた。
「別に遠慮せずに自分の家みたいに入ってきてもいいのよ。そんなに気を遣ってちゃ毎日大変でしょ?」
「いえ、それはそうなんですが」
高村は
「兎に角、中に入りなさい。紅茶を
秋坂にある洋館、その女主人の名前は
四方坂円は魔女である。なんの
高村は彼女と初めて会った時、彼女にそう告げられた。もしそれが平凡な出来事しか経験してこなかった人生の延長線上で突如として告げられ、証拠を示されたのであったならば、高村は腰を抜かして驚き、あまつさえ後ずさっていたかもしれない。
だが、別段高村は驚きもしなかった。何故なら、彼女の噂は都市伝説のような与太話として知っていたし、何より、それより強烈な体験を先行して味わっていたからだ。
四方坂円はゴーレムという魔術的な仕掛けで動く人形の製作を得意としており、その界隈では「ゴーレムマスター」などと称されているようだった。高村が彼女から――半ば自慢気に――聞いた話によると、語尾に「マスター」と付くのはその道の第一人者であるとの事だった。そもそも「魔女」という言葉も現在では尊称として使われる事があり、その場合、その人物が一角の人物である事を示しているという事だった。
「学校の方はどうだった? 上手くやれてるかしら?」
カップに紅茶が注がれる。紅茶を注いでいるのは四方坂ではない。オートマトンなどと呼ばれる二足歩行の自動人形だ。人形とはいうものの、余計な装飾のないメタリックな外観をしており、どちらかというと度々世間の話題になるロボットのそれに近い。
「まあ、半分ちょいは今まで通りです」
「じゃあ、半分近くは今まで通りじゃないのね」
「ええ、まあ」
「ごめんなさいね。こんな事に巻き込んでしまって」
高村の対面のソファに座っていた四方坂は申し訳なさそうに目を伏せながら言った。
「なんで円さんが謝るんですか。貴方がやったわけじゃないのに」
そう指摘されて円は思わず苦笑する。
「確かに可笑しな話ね。でも、こういう世界に携わる人間の一人として、同じ業界の人間が関係ない人達を傷付けるのは申し訳なく思ってね。まあ貴方からしてみれば余計なお世話だったわね」
「いえ、そこまでは」
その時、居間に置かれていた電話が甲高い音を立て始めた。
「誰かしら」
そう言って四方坂は焦るでもなくゆっくりと立ち上がる。その際、彼女は手で顔にかかった髪を払ったが、その緩やかな速度で髪を払う仕草に一瞬、高村は目を奪われた。
「御免なさい、少し失礼するわ」
「お気遣いなく」
高村は目を逸らしながら少し小さな声で言うと、自分の境遇に思いを馳せ始めた。
一週間程前、高村の世界は一変した。
高村は、異形の化け物に襲われたのだ。幸い一命を取り留めたものの、化け物に切られた左足だけはどうにもならず、高村は義足を付ける事になった。
義足は四方坂が作ってくれた。人形作りの技術の応用だと四方坂は言っていたが、高村に分かったのはそれが現在普及している義足のそれとは根本的に異なっているという事であった。仕組みは分からないが、お陰で高村は大したリハビリも必要なく数日で日常生活に復帰出来、また、今までのようにいかなくとも走る事は出来るようになった。
だが、高村の強烈な体験と足の喪失は確実に高村の日常を変質させた。その最たるものは退部であった。
陸上の大会が間近に迫った時期、高村は陸上部を辞めた。理由は簡単である。陸上が出来なくなったからだ。正確には、陸上をやるための左足が無くなってしまったから。
確かに高村は走れなくなったわけではなかった。しかし、義足となった今では以前のような速度で走る事は出来なくなっており、最早大会での活躍は望めなくなってしまっていた。折角期待されて大会に出るというのに、最下位どころではない結果に終わってしまったら、部や顧問の面子を完膚なきまでに潰してしまう。そのため、早いうちに出場辞退をする事で高村は極力ダメージを抑えようとした。
退部の際、彼は一身上の都合などと適当に言葉を
だが、その事は高村と部の人間との間にしこりを残してしまった。仲の良かった部の友人は何か話せない事情があるのだろうと察してくれたが、他の部員とはぎくしゃくした関係になってしまったし、以前、大会目前で辞めた事で悪態を突かれた事もあった。
退部の噂はすぐに彼のいたクラスにまで広がった。表面でこそ何も言われなかったものの、高村はどうやら自分に対する空気感のようなものが変わっている事は感じていたし、言語化しづらいくらいの些細な変化ではあったものの、それは自分に対する態度として表れているのも彼は感じ取っていた。
しかし、高村はその事に対して特に関心を払っている暇など無かった。何故ならば、彼には周りとの関係がどうだとか、誰かから陰口を言われただとか、自意識への葛藤だとか、そんな極めて余分な欲求に悩むよりも前に、一生命体としての生存への権利を勝ち取らねばならなかったからだ。
それは他でもない、自分を襲った者達との対峙であった。
化け物に襲われて訳も分からぬ状態にいた高村に、四方坂は彼の置かれている状況を語った。
発端はとある賢者の死であった。
八意と名乗っていたその賢者は一か月程前、逝去したのだ。そのニュースは魔術師と呼ばれる、魔術、呪術等に関わる者達の世界で瞬く間に広まった。
賢者は死の数日前に不可解な遺言を遺した。
近い内に私は殺される。
そして、賢者の石を奪われてしまうだろう。
もし、私を襲った
これは只の遺言ではない。契約である。
賢者の石とは八意が生み出したという奇跡を起こす石である。名の由来は八意が「西の賢者」、あるいは単に「賢者」と呼ばれていた事から来ているが、この遺言がきっかけとなり、今、街にはそれを狙う魔術師が何人も訪れていた。
そしてそれが問題であった。街を訪れた魔術師達がこそこそと人目を忍んで賢者の石を探しているだけならば良かったが、そうはならなかったのだ。
賢者の死からおよそ一週間、遂に彼らは互いに争い始めたのだった。理由は単純なものである。それは、既に賢者から石を奪った者がいるのではないかという疑念からであった。発端は詳細には分からない。だが、既に彼らは互いに相食む状態となっており、何人かはその無残な
四方坂によると、街にやってきた魔術師達の大半は「はぐれ魔術師」と呼ばれている人間達だという事だった。本来魔術師という生き物は人目立ちするのを嫌い、極力他人に危害を加える事は好まない者が多い。そもそも大方の魔術師は学術的な存在であり、護身用の魔術を駆使する者はいるものの、戦闘という点においては一般人と変わらないか、せいぜいが毛が生えた程度であるという。だが、はぐれ魔術師は違う。彼らはいずれも非人道的な行為や同族殺しを行ってきた者達で――それ故に「はぐれ魔術師」などという
高村はそんなはぐれ魔術師の一人に襲われた。一時は死を覚悟した高村であったが、彼は偶然通りかかった四方坂に助けられた。助けくれただけでなく、義足まで用立ててくれた四方坂は高村にとって文字通り命の恩人であった。故に四方坂に恩返しするべく、賢者の石の調査に
そして願わくば、賢者の石を手に入れて自分の足を元に戻せたら、などと淡い期待も抱いていた。
もう、これまでの関係性は元に戻せないと知りながらも。
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