第5話 おっさんとアルバイト

「んしょっと…」


重量のあるダンボールをどうにか抱え上げて、棚の裏側に持っていく。腕が軋むのを感じて、男の体だったなら、と思わずにはいられない。


今俺は、先日面接に受かったコンビニのアルバイト、その初仕事をしている。


今こうして仕事をしている俺だが、まさか本当に上手くいくとは思わなかった。


ただ、ダメ元はもうゴメンだ。



俺は今朝、7時に希空に叩き起こされて起床した。


あぁ、昨日の夜のお風呂事件はこの際省かせて頂く。俺も発禁モノのあれこれを描写する訳にはいかないのだ。うん。


叩き起こされて食事と身支度を整えた俺は、シフトの入っている時間の2時間前に家を蹴り出されて、職場に辿り着いたのだ。


ちなみに到着したのは、それから30分後。


コンビニに入った俺はまず、店長を探した。


実はここの店長とは、面接以前から面識がある。


このコンビニの店長、鹿賀かが 雄二ゆうじさんは、俺がついこの間まで勤めていた企業の課長の叔父である。


雄二さんはひょろりとした体つきの、体重も性格も軽そうな御仁である。


さて、何故俺が課長の叔父と知り合いなのかと言われれば、俺がリストラ宣告を受けてからの三ヶ月、その間に課長に紹介してもらったからである。


期限まで残り一ヶ月を切ったある日、課長から新しい就職先は見つかったかと聞かれたのだが、俺はその時点で仕事を探してもいなかった。


それを見かねた課長にここを紹介してもらったのである。


雄二さんは俺が声をかけた当初、困惑していた様子だった。


さもありなん、俺はこの姿だったことに加え、口元をマスクで隠していたのだ。


マスクをつけていたのは、目的地に辿り着くまでに何度か、女優である涼と間違われたために顔を隠そうとした苦肉の策である。


黒白の長髪は剥き出しであったので目立つ事には変わりなかったが。


俺がマスクを外すと雄二さんは驚いておかしな声を上げた。


ほぇ、とかふぁとかそんな感じだっただろうか。


ただ、雄二さんには妹が女優の涼だと以前に話していたので、俺の関係者だと考えたのか奥の個室に案内してくれた。


俺は面接で使用した部屋に落ち着かなさを感じながら、勧められた席に着席した。


「それで…、僕に何か御用でしょうか? お兄さんはまだ来てませんよ」


どうやら涼が俺に会いに来たと勘違いしているらしい雄二さんに、俺は腹を括ってこう言った。


「あの、俺は高利です。今日からここで働く、兄の方」


ん? と首を傾げる雄二さん。


「申し訳ない、言っている意味が分からなかったんですけど」


困惑顔でそう言う雄二さんに、そりゃそうだと俺は思う。


俺がいきなりこんな事を言われれば、イタズラだと考えて相手を帰らせるだろう。


その点で言えば、聞き返してくれる雄二さんはいい人だと感じた。


「イタズラだと思うかもしれないですけど、俺は楠乃 高利なんです。昨日VRゲームをしてたらこうなってて…」


ここに来るまではゲームの事は伏せようと考えていた俺だったが、寝て起きたらこうなっていた、と説明したところで信憑性は変わらないと開き直ったのだった。


「ゲームでって…。いや妹さん、それはいくらなんでも」


「店長、写真はどうしました?」


俺は信じてもらえない事なんてハナから分かっていたので、切り札を切った。


「し、写真? 何のことですか」


「課長が小さい頃に撮ったっていう愛くるしい写真ですよ。ほら、こんな感じの」


俺は懐から、ピラリと切り札を取りだした。


「それはっ!?」


取りだしたのは、お辞儀によって背負ったランドセルから滝のように教材を溢れさせている少女の写真だ。


端の方に写っているおじいさんの驚いた顔を見るに、偶然取られたモノであると予想できる。


「なんでそれを…」


「課長が一緒に飲んだ時に落としてたんですよ、つい数日前の話だからまだ返せてなくて」


課長は俺と4歳離れた、辣腕で知られる女性だ。黒髪を短髪にした、男勝りな性格と見た目の人だ。


サバサバとしていて、性格の悪いタヌキ親父共と対等に渡り合えるような胆力を持ち合わせた方である。世の女性管理職へのイメージと異なった、立派な元上司である。


俺はそんな彼女と友好を深める機会が何かと多く、酒の席でこの写真は叔父から取り上げた物だと聞いていた。


で、聞いたその日に課長は写真を落として帰った。


その店が行きつけの店であったので二日前に受け取っていたのだが、何せ退職した身だ。


課長と会うタイミングを計りかねていた。


そこで、雄二さんとの交渉である。


「僕はこれを課長に返そうと思っているんですけど、どうでしょう? 店長にこれを預かってもらって、課長に渡すタイミングはお任せするというのは」


「それは…、つまり」


「言わないでくださいよ。私はこれを届けて、店長はそれを時期を見て課長に渡す。ただそれだけです」


店長はそれを聞いてしばらく考えた後、首を縦に振った。


「了解、そういうことなら。こんな手の込んだ真似を兄妹でするとは思えないし、本物の妹さんが生放送のニュースに出てるのをついさっき見たばかりだからね」


口調を親しげな物にした雄二さんが、そう言いながら俺の持つ写真をスルリと取った。


「俺だって信じてくれるんですか?」


「半分ね。残りは本当にそうだった場合、君を冷遇すると後が怖いからね」


肩を抱いてわざとらしくブルリと震えてみせる雄二さん。


…いや、今のはわざとじゃないようにも見えたな。



「ふーん、なんとかなったんだ」


「ヒヤヒヤしたわ、二度としたくないね」


時は進んで夕方、俺はクタクタになって帰宅していた。


「苦労して手に入れた職場はどうだったの」


キッチンで作業している希空が聞いてくる。


「覚えることが多くて困ってるよ。しかもお世話係になった先輩がゴツくてあんまり喋らない人でな…」


仕事とは言うもののまだ初日。


俺が今日したのは、件の先輩に付き従ってレジの操作や品出しの仕方を教えてもらった程度だ。


ただ、俺が間違えるたびに先輩が「…違う」と唸るような声で言ってくるのが怖くて仕方なかった。


口数が少ないから、何が違うのかはある程度推測しなきゃならんし。


「初日から愚痴言わないの。働けてる事が奇跡なんだからさ」


「まぁそうだけどな。あ、そういえば希空は明日から学校だったよな」


希空は二ヶ月前から、ここから実家までの距離の、ちょうど真ん中くらいの位置にある公立高校に通っている。


世間では進学校だと持て囃されている有名校だ。


「私は兄ちゃんと違って忙しいからね。あ、でもここには毎週土日で来るつもりだから」


それを聞いて不安になった俺は、キッチンで作業している希空に顔を向ける。


「入り浸るつもりかよ。お前、学校の勉強とか友達付き合いとかはいいのか?」


返ってきたのは不機嫌そうな声。


「兄ちゃんに心配されるほど落ちぶれてないよ! 予習復習課題は金曜までで終わらせてるし、友達とはここから遊びに行くし」


自分の心配しなよ、と希空は続けた。


まぁ確かに、この姿の定職も無いおっさんに言われてもなぁ。


「はい、お待たせ。今日は肉じゃがです」


料理を終えたらしい希空が、数往復の末、肉じゃがの入った皿をゴトリと置いて、俺と台を挟んで向こうに座る。


「兄ちゃん、シフトは週2だよね。それ以外は"チェンジリング"を進めるの?」


俺は二日続けて、一汁三菜揃った食事を食べられる事に感動しつつ、返答する。


「これから三ヶ月はそうだな。ただ、それ以降は分からん」


「それ以降?」


「俺の仕事中に溜めた貯蓄があっても、今から一年間が生計を立てられる限界だからな。これから三ヶ月で元に戻れるかどうか判断して、ダメならこの身体を受け入れてなんとかする方針に切り替える」


「三ヶ月って、姉さんの生放送までってこと? 諦めるにはあまりに短くない?」


そう言いながら、心配そうに眉を寄せる。


「完全に戻り方が分からないと、とか言ってるわけじゃない。俺と同じ境遇の人を見つけたりして、ある程度希望の持てる情報を得るような事があれば、期間は伸ばすよ」


どことなく納得出来なさそうな希空に、俺は続けて言った。


「どっかでラインを引いとかないと、父さん達に迷惑をかけることになる。それに、俺もやれるだけの事はやるつもりだ。俺だってこの姿のままは嫌だからな、涼の邪魔は出来ない」


する訳にはいかないんだ。


「あっそう。じゃあ早く有効な情報を見つけないとね」


そう言うと、希空は立ち上がって帰る準備を始めた。


「あぁ、もう5時か。それじゃあ父さん達には上手く言っといてくれ」


息子が娘になってたとか、笑い話にもならない。


…いや、もしかしたら父さんは笑うかもしれないな、事実だと思った上で。


「特に母さんにはね…。あ、そうだ。これ、今日の成果」


希空はガサゴソとポケットを漁り、少しシワになったメモ用紙を取り出した。


「ネット掲示板のスレッドの中に、アバターと同じ見た目になったって書き込んでる人を見つけてさ」


紙に書かれているのは、そのサイトの物と思しきアドレスだった。


「私はもう帰るから、自分で調べてみてよ」


ちょっと嫌な気分になるかもだけど、と付け足した希空は、ひらひらと手を振りながら歩き、そのまま玄関から出て行ってしまった。


俺には希空の一連の動作が、どことなく大人びて見えて成長を感じた。


「…ってあれ?」


ようやく食べ終わった皿を片付けようとして、流しの近くにスマホがあるのに気付く。


「やっぱり、まだ子供だな」


俺はそう呟いて、玄関のドアをくぐった。


心の内に少しの安心が芽生えたのを感じて、自分の小ささがなんだか嫌だった。



時間は遡って、<Corey>–––高利がログアウトした日の夜、とあるスレッド。


<チェンジリング>


【公式サイト 傭兵酒場 掲示板】


(ジャンル:生活系)


スレッド名 美人アバターNo.1を決定したい


1: ということで、お前ら美人だと思うアバター挙げてけ


2: 何、有名ドコロじゃなくてもいいの?


3:>>2 ええで


4: じゃあ<篝の聖火>のカガリで


5:>>4 有名ドコロじゃねぇか!


6: まぁ分かるけどな。あの刃物みたいな雰囲気と初心者に対する優しさのギャップがなぁ


7: ギャップで言えば、<ヒーラー>のアーリィじゃろ


8:>>7 カガリと真逆のギャップだな


9:>>8 可愛い顔してメイス捌きがハンパないもんねぇ


10: 前に共闘したけど、おっとりした眠たげな顔のままプレイヤー撲殺してたぜ?


11: ひぇ…


12: 俺は城塞都市の英雄様だな


13:>>12 いや、仮面○イ○ーとロボット合体させた性別"ロボット"みたいな奴の話出されても


14:>>13 確かに。あのプレイヤーって性別はっきりしてないだろ?


15: いや、俺はあのスーツの中身見たことあるよ


16:>>15 ホントかねぇ


17: どういった経緯で見たのじゃ?


18:>>17 路地裏で上半身だけスーツ脱いでたんだよ。幼女だったぞ?


19:>>18 あんな紳士的で男子の夢の結晶みたいな奴が幼女なワケww


20: マジなんだけどなぁ


21: ガセネタは置いといて、他に推しがいる人ー?


22: そう言えば、スヘンタで朝ドラのヒロインそっくりな人見たぞ?


23:>>22 朝ドラがどれだけシリーズあると思ってんだ


24:どの朝ドラだい?


25:>>24 "カナザワッ!!'のサラ役の人


26: あぁ、楠乃 涼か


27: 朝ドラ見とらんから分からんのじゃが、別嬪さんなのかの?


28:>> クールな感じの美人さんだよ


29: しかし、テレビを見れば一度はお目にかかるってくらい人気なんだけどな


30: じゃあ昼のニュース番組で見たのを忘れとるかもの


31:>>30 語り口調通りの記憶力で草


32: なんじゃと!?


33 : まぁまぁ。そうだ、SS撮ったけど見るか?


34: 拝見しよう


35: 頼むわい


掲示板に、紅髪の美女が鋭い雰囲気の女性プレイヤーと親しげに話している写真が上がる。


36: あら、左に写ってるのって


37: か、カガリさん!?


38: 初心者だから話しかけたんだろうな。しかし妙だな


39:>>38 何が?


40: このプレイヤー、防具も着けずに列に並んでる


41: あー、これスヘンタの入場門か


42: どゆこと?


43: 初心者は皆、スヘンタの中でまず防具を受け取る


44: あそこで無料ゲットした防具って、チュートリアルで絶対着けなくちゃいけない上に、新しい防具が手に入るまで外せないんだよねぇ


46: そんなシステムだったっけ、昔すぎて覚えてないけど


47: ともかく、このプレイヤー、武器も背負ってないし初心者だと思うんだけど、確定イベントの防具ゲット無しで外にいたのが不思議って話さ


48: もしかしたら、昔起きていたバグの再発かもしれんの


49: バグ、かい? このゲームにバグがあったなんて初めて聞いたけれど


50: ゲームの開始地点が<瘴気の樹海>になるバグじゃ


51: そんなのもあったなぁ、サービス開始から一年くらいでパッタリ無くなったよな


52: うむ、あの頃はその対策に初めからスヘンタのゲートに繋がる転移石がアイテムボックスに入っておったの


53: うへぇ、あんな辛気臭くて出られないトコに送られるとか…


54: おい、お前ら! 別のスレで面白い事やってんぞ!


55: 何じゃ藪から棒に


56: いいから見てみろって! リンクは貼っとくからさ


そして青いリンクを示す文字列が表示される。


57: じゃあ俺は見てくるかな


58: 同じく


59: パスじゃな


60: 僕もいいかな


61: スレ主なんでこっちいるわぁ


62: それじゃ、話を戻そうか


63: そういえば、良さそうな人いたよ


64: お、誰じゃ?


65: <闇の喰らい手>のマリー


66: 無いな


67: 無いの


68: 何でだよぉー


69: いやまぁ美人なんじゃけどな、ガワは


70: 中身がイかれてると、ガワの美しさも半減だよなぁ–––


結局彼らのこの会話は明け方まで続き、一番は終ぞ決まらなかったそうである。



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