第273話:着火



 ―――紅月柊という男は大体のところは普通の男だった。


 金持ちというほどでもない家庭に生まれ、生まれつき母親がいなかったこと以外は真っ当な教育を施されて育ってきた。

 ただ少し極端だったのは、『悪しき者は許してはならない』という正義感を検事だった父親に教え込まれたことだけだったように思う。

 それを全て鵜呑みにしてきたわけではなく、現に紅月は悪人は全て処刑して生きてきたわけではなかった。


 ただ、救いようのない悪が世の中に存在することは早くから知った。


 悪が力を持った時、煮ても焼いても食えぬ存在へと堕ちてしまう。

 だが、悪とは容易く括れるものではない。止むを得ず悪に染まった者や自覚のない悪も世の中には溢れている。



 そして、大災害の日に紅月は家族も家も失った。



 紅月という男の普通ではなかった点が一つ。

 彼はいわゆる超能力者に近しい力を生まれつき持ってしまっており、大災害とはそれをきっかけとして発生してしまったものだ。

 だから、紅の王は大災害の日から始まった世界を見過ごせなくなった。


「ようやく今夜に辿り着けた。まずはそれを喜ぶべきだろうな」


 独り呟くとビル街の喧騒を抜けつつ、普段の彼とは違った低く冷たい声で呟く。

 この日の為に様々な準備を入念に進めて、紅月は目論見通りに管理局の目を盗んで今夜に至ることに成功したのだ。

 情報を自在に流す為に創ったハイドリーフはよく働いてくれた。

 管理局とて情報を得るには変異者のネットワークを使うことも多く、その情報を自在に操るには膨大な人員から情報を流すコミュニティーは必須だった。


 その人員を確保するには『戦うのは怖いが、死なない為に情報が欲しい』層を纏め上げるべきだと一早く注目して動いたわけだ。


 ハイドリーフを戦力としては最初から数えてはおらず、以前からの知人でもあった城崎に声をかけた後も戦力の補強に唯を加入させた。

 そして、マッド・ハッカーに近付いた結果、変異薬についても知ることが出来た。


 戦力を溜め込み、準備をしておいて良かった。



 紅月は普通の考えを逆手に取ったのだ。



 例えば、危険な犯罪者が次の凶悪犯罪に手を染めない為にはどうすればいいか。

 単純に捕縛して脱出不可能な牢獄に閉じ込めてしまうのが一番簡単な方法だ、と多くの人間が考えることだろう。

 管理局も変異者用の牢獄を用意し、徐々にカリキュラムの中で変異者の力を削いで暴れられないように対策を講じていたのも事実だ。


 しかし、多くの変異者が管理局の喉元に収監される時を紅月は待っていた。


 管理局を落とす為に紅月は唾棄すべき悪と、時に手を結ぶ羽目になったのだから。

 無論、犯罪者を何の縛りもなく解き放てば民間人が犠牲になるが、それも考慮して幾つか対策は打った。

 その一つが街の封鎖だが、管理局に依頼して広域の人払いをすれば管理局も紅月を徹底的に調べるだろう。故にエンプレス・ロアを利用して犠牲者を減らす。

 協力者として情報を与えたわけではなく、彼らの役割があっただけの話。


 以前からの協力者は既に収監所には送っている。


 携帯電話と手に取り、コールを三つ。



「時間だ、始めて構わない」



 王の一声が電話の向こうの相手に伝わって、わすか数十秒後。



 それが、彼にとっての戦争の幕開けだった。





 ―――その音をすぐ近くで聞いた者がいた。





「よりによって、こっちかよ」


「予測は出来たことです。貴方と組むとは思いませんでしたが、渡さんからの指令では仕方ありません」


「もしかしてオレ、嫌われてる?」


「そうは言いませんが、好ましくはありませんね」



 柳太郎は恵と共に事前に管理局付近に網を張り巡らせていた。



 無論、エンプレス・ロアとレギオン・レイドも夜までの時間を何もせずに過ごしていたわけではなかったのだ。

 管理局とマッド・ハッカーが繋がっていた情報を検証した結果、紅月がマッド・ハッカーを利用したのは管理局について調べようとしたかもしれないと考えた。

 調べた結果が彼の予測通りであったなら、紅月が管理局に対して大胆な行動を起こす可能性は十分にあった。


 故に両コミュニティーの中で対応力が高く信頼のおける人員を用意した。


 二人がここにいることがリーダーからの信頼を如実に示している。

 戦況を正確に見定める恵と、咄嗟の判断力に本質を見通す冷静さを併せ持つ柳太郎は共に行動する上では最高の相性だった。


「一般職員の避難は貴方に任せます。私は爆発源へ向かいましょう」


「ああ、左棟から順に行くから右棟にいる職員は任せる」


 二人の能力を加味して救出には向く柳太郎との役割分担を済ませた恵に対して、柳太郎は戦闘の邪魔になりづらい逆方向から職員の救出を開始する。

 もう一つ、左棟の方がやや窓から漏れる灯りの数が多いこともあった。柳太郎は胸に蘇る熱を吐息と共に抑えながら、救える命を探して走る。


 あの日に見た光景は地獄で、柳太郎の全てを変えてしまった。


 人が焼け死ぬのを目の当たりにして、何かに人が殺されるのを見て、こんなにも容易く人の命とは奪われるのだと知った。

 容易く散るものだからこそ、力を持ったなら戦おうと決めたのだ。

 命を奪われる恐怖で人は変われるが、恐怖だけでも人は正しき道は歩まない。


 奪わなければ奪われない、ただ一つのルールを柳太郎は作りたかった。


 最初の内はろくに大災害も知らずに、偽善で世界の全てを変えようとしているように見えた黒の騎士も気に食わなかった。

 あの災害を見た人間なら、そんな理想は謳えまいと決め付けてしまっていたのだ。

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