第65話『元トラック運転手、異世界で』

 周りに人なんて住んでないあの家で暮らしていた頃は、朝聞こえてくる音は鳥の鳴き声ぐらいのものだった。

 けれど今は、人が生活している特有の空気感やざわめき、時には話し声なんかが聞こえてくるのが日常になった。

 窓から朝日が差し込んでいる。

 覚醒しきっていない頭のまま、無理矢理上半身を起こした。


 ところで、普通朝起きてから最初に挨拶をする相手というのは誰なのだろう。

 親? 兄妹? 使用人? それとも隣人?

 まぁ、普通はその辺りなんじゃないかと思う。


『おはようございます。いつもより少し遅めの起床なのですよ。昨日、夜遅くまで空間制御の訓練してたからですよ?』


「……うん。おはよう」


 こんな風に、自分の体に宿ってしまったもう一つの意識に挨拶をするような人は、俺ぐらいのものだろう。

 かつてはリネの体の中で眠り続け、時々喚起されるように目を覚ましては俺やフォナを助けてくれた、転生神レイン。

 どういう訳か彼女の意識が俺の中に宿ってから、もう数か月が経とうとしていた。


「今更だけど、プライバシーもへったくれもないよね」


『言ってくれれば眠りますし、もし見ていても知らないふりをしてあげるのですよ』


「いや、まぁ……もう慣れたし、そもそもフォナと同じ部屋の時点でプライバシーとかないしね」


『そういえば、そのフォナさんは起こさなくて良いのですか? いつものペースだと遅刻するのですよ」


「そうだね……」


 言って俺は、隣で幸せそうに眠るフォナの体を揺する。


「おーい、朝だぞー。遅刻するぞー」


「…………あとごふん」


 数か月前までなら、別に5分でも10分でも寝かせてやるのだが、今は学院に通う学生である以上、午前中に起きればとりあえずOK、みたいな生活をする訳にはいかない。

 お決まりの台詞を言って再び眠り始めるフォナを見ながら、心の中で10秒数える。


「……はい。5分経ったぞ。早く起きな」


「…………うそつき、もうだまされないから。まだいっぷんもたってないし」


「それだけ頭回ってんなら起きられるだろ――ほら早くっ」


 どうせ言ったって聞きやしないので、無理矢理毛布を剥いで起こす。


「……さむい」


「向こうの部屋はきっともう暖かいよ」


「うー……」


 フォナはモソモソとゾンビのように起き上がると、覚束ない足取りで部屋を出ていった。


『可愛いじゃないですか』


「そう思うならレインが起こしてくれ。俺の体使っていいから」


『ごめんなさい。私はあくまで意識のみの存在で、体の支配権はないのですよ』


 そんなことを言いながら、何が可笑しいのか元転生神はクスクス笑う。


 一度小さくため息をついて、俺も部屋を出た。



 ◇◇◇◇◇



 外の井戸で顔を洗って部屋に戻ってくると、ダイニングテーブルの上にはリネによって既に朝食が用意されていた。

 一足先に戻ってきていたフォナは、未だに眠そうな顔のままパンを頬張っている。


「フェリクス様、おはようございます、です」


「おはよう」


 いつもの席についてフォナと同じくパンを頬張る。


「そういえばソラは?」


「少し前に、外へ走りに行きました、です。きっと、そろそろ――」


「ただいま」


 噂をすればなんとやら。日課の朝のランニングからソラは帰ってきた。普段なら一緒についていくこともあるのだが、今日は俺が寝坊したためソラ一人で行ったらしい。


「フェリ、フォナ、おはよう」


「おはよう、ソラさん」


「おはよう。走りに行くなら起こしてくれてよかったのに」


「起こそうと思ったんだが、フォナがフェリの腕を抱きしめて放しそうになかったから、起こすのも悪い気がしてな」


「そんなのいつもでしょ」


 ソラもいつもの席に座って片手だけで食事を口に運ぶ。

 あの事件後、俺の足はほとんど後遺症もなく治ってくれたが、切り落とされたソラの腕はくっ付いてくれなかった。

 少し前までは、無意識のうちに無くした左腕を使おうとする仕草を見せたりもしたが、今ではもう片腕がない生活にもなれたらしい。

 今でも時々模擬戦の相手をしてもらうことがあるが、固有魔術なしでは勝率は一割にも満たない。

 片腕だからこその発想で攻撃をしてくることも多く、厄介さはむしろ今のほうが高い気さえする。


 特別な意味なんて何もない雑談を交わしながら、朝食を胃に収めていく。寝坊した分、気持ち早めに食事を終わらせたのだが、フォナはマイペースに食事を進めていた。


「早くしないと遅刻するぞ」


「大丈夫だよ。お兄ちゃんがいるんだし」


「……またか」


 ◇◇◇◇◇


 家から学院までの道のりは歩いて20分程度。

 そして、今から家を出て学院に歩いて向かっても、遅刻を免れることは出来そうになかった。


「――という訳で、お兄ちゃんお願いね?」


「お前……最初っからこうするつもりだっただろ」


「私は毎日これでもいいんだけど、お兄ちゃんがケチだから」


 当たり前のように差し出されるフォナのカバンを受け取り、空中に仕舞う。


 死にかけていたところをレインによって救われ、その後遺症としてレインの意識と共存することになってしまった訳だが、レインから押し付けられたのはそれだけではなかった。

 レインを転生神たらしめていた能力のほぼ全てを、俺は受け継いでしまった。

 レイン曰く、座標さえ分かれば日本に帰ることも出来るらしい。問題は、肝心の座標を調べる方法が存在しないことだろう。もっとも、あまり帰る気はないので、関係ないといえば関係ないのだが。

 かなり使い勝手が良くなった空間制御能力ではあるが、日常的によく使うのは、今のように別空間に荷物をしまう、なんて使い方なのだから持て余している感が否めない。


「荷物はお兄ちゃんに持ってもらったし、制服も着たし……うん、大丈夫。それじゃあお兄ちゃん、お願いします」


「……次寝坊してもやらないからな」


「それ、一昨日も言ってたよ?」


『ケチケチしないで使えばいいと思うのですよ』


 神様とかいう規格外の塊みたいな貴女は黙っていてください。人間っていう生き物は便利に慣れると駄目になるんです。


「お兄ちゃん早く! 遅刻しちゃうよ?」


「はぁ……」


 渋々フォナの手を取る。

 走れば間に合う時間なら走らせたが、今日はちょっと走るだけじゃ間に合いそうにないし、寝坊したのは俺も同じだ。


「二人とも、気をつけてな」


「うん。行ってきます、ソラさん」


「行ってきます」


 転移先の座標は学院近くの路地裏。

 能力で転移先に誰もいないことを確認してから、俺とフォナを転移させる。


 中々に慌ただしいし、学院は学院で色々と大変なことも多いが、それ以上に楽しくて幸せなこともある。


 それが今の日常。


 今日も俺は、この世界で何とか生きている。

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