ユキ
瓦村
ユキ
まだ午前中だとは思えないほどの暑さに、身体中から汗が滲む。先月おろしたばかりのカッターシャツが気だるそうに張り付いてくるのが鬱陶しい。制服でなければ、暑さももう少しましに感じたかもしれない。
田んぼと電線、遠くに見える民家以外何もない、あまりに殺風景な景色に気も滅入りかけたが、なんとか目的地のバス停に着いた。
バス停にお決まりの、駅名と時刻表の記された看板型の目印の横には、屋根つきの待合所が設置されていた。
中は少し古びていたが、あまり気にはならなかった。日光が当たらないだけでとても涼しく感じられた。
バスに乗った後のことをぼんやり考える。どこから聞こえてくるのか見当もつかない蝉の鳴き声が頭に響く。
不意に、スマホが振動したように感じる。
──メッセージ・・・ユキからか。
「おーい」
「いまひまー?」
時間を見ると、バスが来るまでにはまだ余裕がある様だった。
「暇だよ」
「何用かな」
「私もひまー」
「ってだけ笑」
「既読無視していいかな」
服の胸元をバサバサさせて、身体にまとわりつく熱を逃がす。
「うわーないわー」
「彼女を無視しちゃう男ってどうなの」
「冗談だって」
「真に受けんなや」
「わかってるわ笑」
まだ少し暑かったが、疲れるので服をバサバサするのはやめた。
「ねーねー」
「前から気になってたこと聞いてもいい?」
「なに」
「キモいとか、引いたとか言わないでね?」
「場合による」
「言ってみてよ」
「付き合う前さあ」
「いつから私のこと好きだった?」
「つって笑」
「何じゃそりゃ」
「最初に近づいて来たのそっちじゃん」
初めて話しかけて来たのも、最初に友達追加してきたのもユキの方だったことを思い出す。
「でも告って来たのそっちじゃん笑」
付き合って欲しいと言ったのは自分だった。
「いやそれもそうだけどなあ」
「えー」
「いつから好きだっかとか覚えてない」
「なんかそれっぽいタイミングとかなかった?」
「あったけど」
「そのときだったかどうかは」
「定かじゃない」
「いいよ、その話してよ」
「あんまり大した話でもないけど」
「半年ぐらい前さ」
「コンビニでばったり会ったの覚えてる?」
「雨の日?」
「そーそー」
「覚えてるよー」
「なっつかしー笑」
「コンビニの屋根で雨が止むのを待ってたら」
「傘も差さずに走ってて」
「信じられないぐらいびしょびしょになった君が隣に来てね」
「セクシーだったって話?」
「ヘンタイ」
「静かにしなさい」
「ちょっと喋った後、って言うか君が一方的に話してきた後、雨脚が弱まったからって君は帰って行ったでしょ」
「うんうん」
「そのとき隣に残った、俺のより一回り小さな足跡を見て」
「可愛いなって」
「思った」
「キモい笑」
「想像の数倍キモい笑」
「笑えない」
「このやろうが」
「そっちが訊いてきたんだろ」
今思えば、あの時よりも前から好きだったのかも知れない。ただ、好きだと気が付いたのは間違いなくその時だったと思う。
──なんだか、遠く昔のことのように思えるな。
「じゃあ俺からも一個質問いい?」
「いーよ」
「俺が後輩の子から手紙もらったとき」
「めちゃくちゃ怒ってたよね?」
「えっと」
「あの」
「うん」
「俺は何もしてないのに?」
「うん」
「ずっと未読無視してたし」
「ばれてたか」
「ホントすみませんでした」
「話しかけてもむちゃくちゃ塩対応だったし」
「ホントにごめんって!怒んないで!」
「別に」
「怒ってませんけど」
「嘘じゃん」
「怒ってんじゃん」
「バリバリ」
「いやね」
「そのことで」
「今さらになるんだけど」
「?」
「あの手紙」
「ただの委員会の事務連絡だったんだよ」
「活動報告みたいなの」
「そうだったの?」
「ならさっさと言ってよぉ」
「あんなの誤解しちゃうじゃん」
「聞かれてないのに言ったら言い訳っぽいでしょ」
「しかも俺は何もしてなかったし」
事務連絡の下にあった遊びの誘いは丁寧に断っておいた。
「危なかったー」
「あの女どうしてやろうか」
「考えてたとこだったんだよー」
「ひぇっ」
「鳥肌立った」
「笑笑笑」
不意に、冷たい風が吹き込む。気付けば汗は乾いていて、若干の肌寒ささえ感じる。少し臭うのではと思い、襟元に鼻を近づけるも、特に酷いと言うわけでもないようで、安心する。これから乗るバスも人が大勢乗っているとは考えられないので、別に気にする必要もないが。
バスに乗った先のことを考える。無意識にため息が漏れる。
「あと俺も謝らないといけないことが」
「ありまして」
「おっと」
「別れ話かな?笑」
「なわけあるか」
「前誕生日にもらったペンあったじゃん」
「あったね」
「振ったら芯が出てくるやつね」
「あれ色々あった末に」
「壊しちゃったんだよね」
「修理も出来ない感じに」
「あらら」
「まーそんなに高いもんでもなかったし」
「大丈夫でしょ」
「いやでも」
「初めてのプレゼントだったのに」
「ほんとゴメン」
「いーよ全然」
「謝ったりしなくても笑」
──次の彼女の誕生日には、何かプレゼントを贈ろう。彼女が喜びそうなもの。何が好きって言ってたっけな。
思えば、彼女からもらったものは、目に見えないものも含めて数えきれないほどある。なのに、俺から彼女にあげたものは、何があっただろうか。彼女がいなければ、人を大切に思うことも知らないまま、ファッションセンスもダサいまま、人生を送っていたに違いない。
恋人であると同時に恩人でもある。
「ごめんね」
「?」
「何が?」
「俺みたいな不甲斐ない男が彼氏で」
「なんじゃそりゃ笑」
「君が不甲斐ないなんて思ったことないよ」
ふと、外を見る。さっきまで暑苦しい程に晴れていた筈の空が、にわかに、暗く重い雲に覆われる。
「そうだ、ユキ」
「今度河川敷で花火大会があるから、それに一緒に行こう。折角の夏休みだしね。もちろん二人で。実は俺、花火ってあんまり見たことないんだよ。君はどうかな?きっと綺麗だよ。ずっと忘れない思い出になると思う。君が浴衣なんて着てたら、その場で一番目立つに違いない。そういえば、りんご飴が好きだって言ってたよね。俺食べたことないから、どうやって食べるのか教えてよ。難しそうでしょ、りんご飴食べるの。
それから、それからさあ、もっと教えてよ、君のこと。もっと知ってるつもりだったけど、見当違いだったみたい。ねぇ、だから」
バスが停まる。想定通り、運転手以外誰一人乗っていない。先程から雨が降り始めたようで、バスは僅かに濡れていた。
俺はおもむろに立ち上がり、ゆっくりと乗り込む。
「おお、この時間にここで乗ってくるお客さんなんて、珍しいねえ」
「・・・はあ」
気の良さそうな運転手が、フレンドリーにも話しかけてくる。
「夏休みに制服なんて着て、何か用事があるのかい?兄ちゃん」
一拍置いて、声が震えてしまわないよう、落ち着いて口を開く。
「えっと、その、知り合い・・・の、園本由紀って言うんですけど、その子の
葬式です」
俺は、バス停に着いてからずっと電源すら入れてないスマホを、ポケットの中で握りしめた。
受け入れるしか、なかった。
ユキは、俺の中でも、今、確かに死んだ。
ユキ 瓦村 @wakahituji
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