第一幕 見習いの憂鬱
「おい、メテウス!
ぼうっとしてねぇで、さっさと火を焚きやがれ!」
親方の怒鳴り声が、狭い工房に響き渡る。
床を掃いていた箒を投げおいて、メテウスは急ぎ炉に炭をぶち込んだ。
「もたもたするな!
今日はお得意さんの剣の仕上げが七振りも残ってるんだ!!」
ユニオンの工房は、砂漠の遺跡探索を目的とした冒険家の往来により、かつてないほど盛況だった。
新しい遺跡を発見した冒険家には、ゴライアの領主から報奨金まで支払われる。それも、古い時代の遺跡ほど高いらしい。
我こそ千夜一夜に語られる新たな武勇伝を成し遂げん――冒険家は皆、その心意気で工房を訪れ、そのための武具を注文する。
工房の職人達が冒険家の需要に忙殺される一方で、その時勢についていけずに焦燥感を抱く者が一人いた。
「雑用が終われば、またカウンターで店番か……」
メテウスは、アドベンチャーズ・ユニオンの専属工房で働く鍛冶職人見習いだ。
親方に弟子入りして、数年ほど経つ。
しかし、雑用として工房の清掃と、必要な材料の整理と収集、そして鉄や鋼を鋳造・鍛造するのための炉の火入ればかりやらされている。
鍛冶の技術は教わっているが、練習用の試作品以外で、客に出す武具を打たせてもらったことは一度もない。
それがメテウスの焦燥感の根源だった。
「俺だって、お客に出せるものを打てるくらいの技はあるんだ。
こんな多忙なら、小物くらい打たせてくれてもいいのに」
日が暮れて客足が落ち着く頃には、メテウスは憂鬱な気分でカウンターにうなだれていた。
――このカウンターを自分の居場所には絶対にしない。
カウンターに頬杖をつき、窓の外の夕日を眺めながら、心の中で反芻する。
このまま修行を続け、親方に認められる日まで、腐らないように。
「メテウス! ちょっと出てくるから、適当に店じまいしちまってくれ」
「親方、どこか行くんですか?」
「来月からの祭りに使う装飾品の検品を依頼されてな。
今日からしばらく、夜はそっちの作業にかかりきりになる」
「月末までの注文がたくさんありますけど、大丈夫ですか?」
「そんなもん、わかってらぁよ。
少しでも早く終わらせるために、こいつらもまとめて連れて行く。
まったく……このユニオンは人使いが荒いぜ」
不満そうに漏らすと、親方は兄弟子を全員連れて工房から出て行ってしまう。
メテウスは、一人だけポツンとその場に取り残された。
「……戸締りしてさっさと帰ろう」
一人ぼっちに寂しさを感じ、工房の後片付けを始める。
とは言え、やることは多い。
明日使う炭のチェック、金床や炉の清掃、注文書類をユニオンの受付に持っていく必要もあった。
「これじゃまるで小間使いだな、俺」
メテウスが工房で愚痴をこぼしていると、酒場の方から冒険家達が楽しく飲み語らっている声が聞こえてくる。ずいぶんとまぁ、楽しそうだ。
遠目にそれを見て、メテウスは酒でも飲みたい気分というものを理解できたように感じた。
工房のランプをすべて消し、書類の最終整理のためにカウンターへ向かう。
その時になって、カウンターの前にぼうっと人影が浮かんでいることに気がついた。
――ゆ、幽霊!?
と思ったのも束の間。
カウンターに置かれたランタンのわずかな光に照らされて、それが生きた人間であることがわかった。
お世辞にも綺麗とは言えない革のコートに羽根つき帽子を身に着け、首元に洒落た赤いスカーフを巻いている。
帽子が影となって、その顔ははっきりとうかがい知ることはできない。
「ユニオンの職員さんじゃないよね?
うち、もう閉店ですけど」
「閉店なのですか」
「ええ。親方や兄弟子もいないし」
「そうですか……」
「注文だけなら受け付けますよ。
武器類ですか? 防具類ですか?」
その人物は、若葉の腕章をつけていた。
この界隈で若葉の腕章をつけているのは、新米の冒険家ぐらいのものだ。
「えぇと……その……ダガーの研磨をお願いしたいのです」
そう言うと、若葉の冒険家は革の鞄からダガーを二本取り出して、カウンターに置いた。
メテウスはカウンターの上のランプを点けて、検品を始める。
「マンゴーシュと、スティレットですか。
どちらも刀身に刃こぼれがありますね。スティレットは先端に錆が……」
「研磨できますか?」
「ええ。ただし刃の寿命が短くなりますが、それでもよければ」
「かまいません」
「では、承りました」
新米の冒険家は先立つものがない。
使い古されたダガーを綺麗にして、まともな剣を買う金が貯まるまでは我慢するといったところか。
――ダガー二本の研磨なら、俺がやっちまってもかまわないだろう。
いや、やっぱり怒られるか?
――そういえば親方も兄弟子も、当分は早上がりなんだよな。
毎夜数時間使って、一週間もかければ刀剣一振りくらいは俺にも作れるんじゃないか?
ふと、メテウスの心にそんな欲求が頭をもたげた。
雑用と修行の毎日で、いつまでも客向けの鍛冶を行えないことへの焦り。
それを解消する一番の方法は、実際に冒険家が使う武器を自分自身で造り上げることだ。
剣の一振りぐらいなら、完成させる自信は十分にある。
「……もしよければ、この二本のダガーを使って、刀剣を一振り作りませんか?」
「どういうことですか?」
「ダガーを研磨しても、すぐにまた使えなくなります。
であれば、この二本の鉄を使って一振りの新しい剣を造る方が安上がりだし、冒険に役立つはず」
「でも、剣の製造を依頼するお金が……」
「後払いでどうです?
刀身にはダガーの鉄を使いますから、材料費はいりません。
何度か先輩のパーティーに同行すれば、報奨金の分け前ですぐに足りるでしょう」
「……そうですね。
では、それでお願いします」
「剣の完成には、一週間ほど時間をいただきます。
そうだな……一週間後の同じ時間、また工房に来てください」
「あの……」
「何か?」
「ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから」
口約束の後、若葉の冒険家はペコリと頭を垂れると、暗がりの中を去っていった。
メテウスはすぐに炉の火を入れ直し、工房のランプを点け、鋳造の準備に入る。
変則的な製造工程になるため、プランを検討する時間も必要だ。
心配事は、この件が親方にバレないかということだが、工房の戸締りを担当している自分なら、夜間にこっそり剣を打ってもわかるまい。
――今日は徹夜だな。
メテウスの口元は自然とほころんでいた。
練習ではなく、商品として冒険家に渡る剣を造れるのだ。
親方の許しを待っていては、あと何か月、あるいは何年もチャンスはないかもしれない。
「俺の造った剣で、腕の若葉を早々に外せるくらいの手助けはきっとできる。
俺は、まずそこから始めるんだ」
メテウスの脳裏には、冒険家の顔や身なりより、いつまでも若葉の腕章の印象が強く残っていた。
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