「カトラリーバース」(あるいは食の多様性)
狐崎灰音
「カトラリーバース」
「ケーキバース」というものをご存じだろうか?
ケーキバースは、マニアの世界では有名なものではあるが、知らない人が大多数なのでここに記しておこう。
元々は、創作人の世界で作られた設定の一種の事で、『ケーキ』と呼ばれる存在と『フォーク』と呼ばれる存在が、その他大勢の中に紛れて存在している。という設定の世界である。
『ケーキ』とは、先天的に生まれる「美味しい」存在のこと。
フォークにとっては極上の、それこそケーキのように甘露な存在で、彼らの血肉はもちろん、涙、唾液、皮膚などすべてが捕食の対象となる。
ケーキは自分自身が「ケーキ」と気付く事は出来ず、フォークと出会わなければ、当人も周囲も知らないまま死ぬ事もある。だが、そのような事は少ない。「フォーク」が探しに来るからだ。
反抗すらできない幼い時期に監禁、誘拐されたりと半数が捕食されてしまう。
ケーキは固体ごとにそれぞれ違う味を持ち、部位によっても味が変わるらしい。
『フォーク』とは、ケーキを「美味しい」と感じてしまう存在のこと。
彼らの殆どは後天性で、何らかの理由で味覚を失ってしまっている。
味覚の無い世界で生きる彼らは、ケーキと出会ってしまったときに、本能的に「ケーキを食べたい」という欲求を覚える。
ケーキの全てがフォークに取っては甘い誘惑。頭からつま先まで飲み込んでしまいたい衝動に包まれる。
しかし、ケーキと出会ってすぐに捕食行動へ走る程のケースは稀だと考えらている。
ここまでは、理解いただけただろうか?
つまり、被捕食者の「ケーキ」、捕食者の「フォーク」そして、その他大勢の何でもない存在が生活している世界である。
では本題に入ろう。
私は、7歳から何を食べても味がせず、最初のうちは味覚障害だと思っていた。
だが、成長し、ある日「あるもの」をを食べて初めて味覚の存在を思い出した。
その頃にはケーキバース物というジャンルを知っていて私は一瞬にして怪奇伝の登場人物になった様な嫌な気分になったものだ。
そう、私は自身がケーキバースにおける「フォーク」であると知ってしまったのだ。
では、自分にとっての「ケーキ」とは何か?
これについては長く悩んだが幸い、私にとっての「ケーキ」は「人」ではなかった。
それを知った瞬間私は深く安堵した。
だが、そうであるとわかってからが難しかった。
必死に自身が異常なものであるという事を押し隠しこっそりと「ケーキ」を貪るという生活が続いたからだ。
そして今はと言うと、セクシャルマイノリティの様に認知されつつある存在になっている。
私達のような存在を何と呼ぶのか?
疑問に思う人も多いだろう。
私達は「カトラリー」
後天性の味覚変異体質者、「カトラリーバース」である。
さて、私が「カトラリー」であるという事はもう理解していただけただろう。
では、私にとっての「ケーキ」とは何か?
単刀直入に言おう。
私にとっての「ケーキ」は「花」である。
ただの偏食ではないか、そう思われる方も居るだろう。
何故ならこの世には「エディブルフラワー」と呼ばれる食用の花が存在しているからである。
だがしかし、私はたとえそれが食用でないとしても美味しく感じられてしまうし食べることが出来るのだ。
(無論、毒のある花は食べれないが。)
私は、自身の食物が「花」であると自覚した時から不安だった。
誰にも打ち明けれず、まるでカミングアウトできないLGBTのような気分だった。
とても美味しい、自分の「本当の食べ物」を知った時から普通の食事は苦痛だったし実際、吐き出す事すらあった。
私は、この世界に一人だけなのでは。と、不安に駆られることも多々あった。
ヘテロ(異性愛者)の私が初めてLGBTに共感した瞬間でもあった。
私は、永遠に一人のままだと思っていた。
しかし、類は友を呼ぶ。
まさしくそんな存在と出会い「カトラリーバース」の世界に踏み入れ他の「カトラリー」の存在を知った時私は、心底安堵したものだった。
そして、そこで初めて「カトラリー」という人々を知り「カトラリー」特有の「味のする特別な食物」、通称「ディッシュ」を知った。
そこで一番驚いたのは、「カトラリー」によって「ディッシュ」の種類が違うという点であった。
私に「カトラリー」の世界を教えてくれた人物の「ディッシュ」は「紙」だった。
特に古本などは熟成された味がして美味なのだそうだ。
彼女とは今でも良好な友達だ。
彼女の父親は医者で母親は「カトラリー」、「ディッシュ」は「漢方薬」だった。
彼女の父は、妻の同士である「カトラリー」を探し救うための活動をやっている。
ただ、彼にも救えない「カトラリー」が居た。
「ドイツ、ヴァンパイア事件」と言えばわかる方もいるかもしれない。
あれは悲しい事件だった。
そして、それと同時に「カトラリー」という存在に人々が関心を持ち始めた切っ掛けでもあった。
ドイツのとある少年が、自身が「カトラリー」であることを苦に自殺した事件で、彼の「ディッシュ」は「人間の血液」だった。
彼は自身の苦悩を鮮明に日記に記録し、自分の血液で飢えを満たしながら必死に生きていた。
そして、最後には自室で手首を切り過ぎて失血死してしまった。
その後、「カトラリー」の治療法が模索されたが、人権擁護団体が「カトラリー」の権利を訴え始め、現在では「カトラリー」も多様性の一部として受け止められつつある。
だがしかし、その一方で「カトラリー」による犯罪も起き世間は混乱をしている。
そう、どうしてもLGBTの様にはいかない部分があるというのが「カトラリー」の苦悩である。
(何故なら、非合法なもの、倫理的にアウトなものが「ディッシュ」になってしまう「カトラリー」もいるからだ。)
ただ、誤解しないで欲しいのは殆んどの「カトラリー」達は平穏に生活したいと願っている只の変わった「食」の人々であるという点だ。
そして、私もいつか「カトラリー」として平穏に「ディッシュ」を食べたいのである。
それまでは、静かに花を食べて居よう。
「カトラリーバース」(あるいは食の多様性) 狐崎灰音 @haine-fox
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