一七の海

緑風渚

一七の海

 この風景を思い出せるだろうか。この青を、この白を。


 ***


 飛行機から降りると十月とは思えない蒸し暑さに体が包まれた。東京の夏ほど湿度は高くないが、それでも少し暑い。

 沖縄だ。修学旅行だ。高校生活最大のビックイベント。

 沖縄に着いて、お昼を食べたらすぐに平和学習のためにガマを訪れた。七十三年前、ここは戦場で、死の恐怖、米軍の恐怖を感じながら、不自由しかないこのくらいガマの中で生活していたと思うと、生々しいようでぴんと来ないというか、知っておいた方がいいのだろうが、やはり修学旅行の平和学習はどこかピントが合わないまま進んでいく。

 ひめゆりの塔にも行った。凄惨な記録が残っていて、想像するだけで胸が痛む。しかし、戦争経験のない世代がどこまで戦争を食い止められるかはわからない。人間は愚かだから、誰も止められない状態になってしまうまでは気づかず、気づいた時にはもう戦争は始まっているなんてことがありそうで怖い。

 これも修学旅行だ。


修学旅行二日目。

 バスに二時間ほど揺られ沖縄北部に向かった。バスを降り少し歩くと、そこには赤や黄色のカヌーが積まれてきた。

 ライフジャケットを身につけ、パドルを受け取り、足元に気を付けながら茂みを歩いていくと、いきなり目の前に白い砂浜が広がった。目の前に広がるのは一面の海。十月の沖縄の海は夏とは違った顔をしていた。太陽に照らされ海も輝いていて綺麗だ。天気がよくて本当に良かった。


 海を見ると様々なことを思い出す。

 三歳の頃、きれいな浅瀬の海で溺れた。浮き輪から滑り落ちたそうだ。自分もよく覚えていないが、海で溺れたときの映像は脳裏に焼き付いている。日光のあたったきれいな水につつまれ、下の方には白い砂。とてもきれいなのに思い出される感情は焦燥と恐怖。そういえばその海は沖縄だったかもしれない。

 四歳の頃は浅瀬で泳いでいたら膝を岩にぶつけ、切り傷を負った。大したことないと思うかもしれないが、傷に海水がしみ、とても痛い。四歳児にはとても耐えられない痛みだ。

 僕はそんな海なんかよりプールの方が好きだった。人工に作られた安全な空間で泳いでいた方がよっぽど楽しい。


 しかし高校生になると海へ抱く感情は変わってきた。海に憧れ始めたのだ。高二の夏。なんてキラキラした響きだろう。高二の夏といえば「海」。照りつける太陽の下、目の前には麦わら帽子を被った彼女と湘南の海。人混みに揉まれながら彼女と海デートでキャッキャウフフ、なんて本の読みすぎだろうか。それともアニメの見すぎか。どっちにしろプールなんかより何倍も魅力的だ。

 高二の夏に後悔しないために僕は勇気を出して彼女(ここでは”girl friend”ではなく”she”である)を海に誘ってみた。

 「夏休み海行かない?」

 彼女はあっさり答えた。

 「行ってあげてもいいよ」

 物語ではここからストーリーが始まるのだが……。

 現実は甘くない。そんなキラキラしたデートなど夢のまた夢だ。

 よくよく考えると東京から湘南までは意外と距離があるし、何より海に行ってこれといってしたいことがない。

 結局高二の夏に海に行く機会を逃し、僕の『青春』は終わってしまった。

 だが、海に入るチャンスはまだあった。修学旅行だ。行き先は沖縄。十月とはいえ海に入れるらしく、マリン体験もあるのだ。僕はひそかに楽しみにしていた。

 

 オールを受け取り、砂浜でカヌーの漕ぎ方を軽くレクチャーされた。説明は思ったより短く、すぐにカヌーで無人島に向かうことになった。

 潮風が強い。若干向かい風だ。

 友人のOと共に二人で漕ぐことになり、体重の軽い僕が前に乗ることになった。

 カヌーは乗ってみると意外と安定していて、少し安心した。

 スマホは落とすかもしれないとインストラクターさんに言われたのでバスに置いてきた。天気がよく海が綺麗なため、思わず写真を撮りたくなる。

 「海めっちゃきれいじゃない?」

 「それより早く漕げよ!」

 まったくOは厳しい。思ったことを遠慮なく言ってくるし、言葉を選ばない。だが、それも仲のよい証拠なのかもしれない。カヌーはなかなかまっすぐに漕げず、思ったように進まない。

 右を強く漕ぐと右に曲がり、左側を強く漕ぐと左に曲がる。頭ではわかっているものの、二人で息を合わせて漕ぐのは難しい。

 「そろそろ右」

 「じゃあ右ね」

 いちいち意志疎通のために話さないと進めない。黙って曲がろうとすると、

 「早く言えよ!対応できないだろ」

 と文句を言われた。はいはい、すいませんね。前に乗っているので舵取りをすべきは僕なのだが、あまり向いていないかもしれない。いっそのことOに任せてしまえばいいのだ。でもそれだと面白くないので僕は意地でも舵を取ろうとする。

 「そろそろ左に」

 「りょーかい」

 慣れてくるとスピードを出せるようになった。その途中に何度も他のカヌーにぶつかった。それもかなりのスピードで。ぶつかる度に波が立ち、冷たい海水が太ももにかかる。

 だんだん慣れてきて右、左、右、左と二人で息を合わせて言いながら漕いでいると、目指している無人島に近づいてきた。

 砂浜が見えてきて、徐々にスピードを落とす。浜辺にカヌーを座礁させ無理やり停める。多分正しい止まり方ではないが、浜辺に降りられるので問題ない。

 

 履いていたクロックスを脱ぎ、砂浜を裸足で踏みしめながら海を見た。

 振り返るとそこには青と白しかなかった。

 青い空と秋らしい白い雲、海の青と砂浜の白。空と海の境は曖昧で、どこまでも続く海と空が溶けあっていた。

 目の前の風景をスマホで撮るのではなく目に焼き付けるのはいつぶりだろう。いつまでも見ていられるような景色だった。

 そのとき不意に現実も悪くないなと思えた。追いかけてきた『青春』とは違うが、こんな海もいいなと思えた。

 天気に恵まれ、友達とわいわい騒ぎながらカヌーを漕いで、無人島から海を眺める。なかなかキラキラした思い出ではないか。

 現実はうまいことできている。この作り物のように綺麗な風景は、僕に追いかけてきたものを教えてくれた。

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一七の海 緑風渚 @midorikaze

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