第27話

「オーバーヘッドして、その後体勢戻れないのならそれを何故する? あくまでもあのときのオーバーヘッドは体勢を整えるため。一気に試合を決めるためのものじゃなかったでしょ。それなのに大袈裟に体の重心とは反対にそらして」


 ……勝った時ですら母は厳しかった。

 私は生まれたときから一度も母に満足してもらえるような試合などしたことない。


 既に物心がついた時から私に雷のような怒声を浴びせていた。

 酷い時は、私の体を蹴ったり、ラケットで殴ったりもした。小学生の頃、そのせいで体中がアザになってそれを見た担任の先生が家庭内虐待されているのかと心配したことだってあった。

 あのとき、私は否定したけど。まぁ、今思えば十分な家庭内虐待だろう。


 小学生の頃、私は母が怖いと思っていた。

 ラケットを握るたびに母の般若のような顔がポワンと浮かぶ。手が震える。

 恐怖のせいで勝てない日が続いたことだってあった。バドミントンを辞めたいと思うことが多々あった。

 その時に、いつも私の隣にいてくれたのは姉である。


 私の姉は母とは対照的。学校ではいつも晴れやかな笑みを浮かべており男子、女子の友達も多かった。母と姉。本当は血など繋がってはいないのではなかろうか。そんなことすらも思ってしまう。


「辛かったらやめてもいいんだよ」


 そんな姉はいつも私に対して口癖のようにそういった。


「姉ちゃんは私にバドミントンやめてほしいと思っているの?」


 それに対して私は涙目でそういう。

 すると姉は首をゆっくり振る。


「そういうわけじゃないよ。私だってできることならバドミントン続けてほしいよ。だけどね……このままだとあなたが不幸になりそうだから」


 姉がそういうのなら私はバドミントンをする。私は大好きな姉ちゃんのためにバドミントンをするんだ。そう思った。

 そう。私は母のためにバドミントンをしていない。私がバドミントンをする理由は姉に喜んで欲しかったのだ。大好きな姉に私がバドミントンをしている姿を見て欲しかったのだ。


 全国大会。姉が北六甲高校に負けたとき、母はあらとあらゆる罵声を姉に浴びせた。バドミントン否定ところか、人間否定までする。

 あの太陽のような笑顔を浮かべてる姉はそこにはいなかった。

 姉はそれをみて酷く落ち込んでいた。


「バドミントンをやめてやる」


 そしてそう怒鳴った。あの姉が。

 それを見て悔しかった。憎かった。

 こっちは本気で死ぬ気でバドミントンをやっているのに、私たちを馬鹿にしているかのように笑みを浮かべている花園雅が。そしていつか姉の敵を打ってやる。

 その敵をとるために私は勝たないといけない。勝ち続けないといけない。


 ……そんなことを思っていたはずなんだけど。


 その目標は思ったよりも遠く、そして実は非現実的なものではないか。と、私は思い始める。

 関東大会。私は色々な人を見た。


 武蔵野千葉、塾徳駒込、常陸学院、圏央第一。


 私だけが本気。私ほど本気な人がいない。そう確信をしていた。

 だけどよくよく考えるとそこに根拠のようなものはあったのだろうか。いや、なかった。どうして私だけが本気だと思ったのだろうか。


 関東大会には私の知らない世界が広がっていた。怖かった。震えていた。みんな私の知らないところで本気になっている。みんな私の知らないところで必死になって練習をしている。それは原井のように……


 私は一体何のためにバドミントンをしているのだろうか。私は果たしてバドミントンで本気なのだろうか。


 重い足取りで帰宅をした。

 和室のふすまからテレビの音がする。クソっ母は今日仕事休みだったのか。


 絶対になにかを言われる。

 あの関東大会について。あのボロボロの試合について。


 もうこれで三時間、四時間ぐらい説教をされたところで私は右から左へそれを受け流すだけだ。

 しかし流石に汗がダラダラのまま、説教をうけるのも気持ちが悪いだろう。


 だから私はとりあえず汗を流した。

 その汗を流している最中に、母が扉をあけて私に説教をする……ということを予想した。しかしそれはない。


 平穏に私はシャワーで汗を流すことができた。それもなんだが拍子抜けというものだろう。


 取り合えず身のお清めは完了した。

 私は深呼吸をする。


 腹が減った。その腹を満たすためにはこの母のいる部屋へ入らないといけない。そうなると自然と母と顔を会わせることになるだろう。


 嫌だな。


 だけどそれが運命なのだ。それを受け入れるしかない。

 ありたがいことは日本の法律にはきちんと人を殺してはダメということが書いてある。私はそれに守られているのだ。


 私はソロリと襖をあけた。


 そこには無表情でバラエティ番組を見る母の姿。……果たしてそのテレビは楽しいのだろうか。テレビ先でお笑い芸人がコントをしているがそれに対しても無表情。

 仮に私がお笑い芸人になっても絶対の母の前ではネタを披露したりしたくないな。


 そして私は母の方に視線をむける。

 目があった。


 年齢は40歳。

 その年齢の割には白髪が多いのかもしれない。そして正気を失った顔。


「今日の試合結果散々だったようね」


 来た。

 これから長い説教タイムが始まる。


「……」


 しかしその後、意外にも母は黙り混んだ。

 どうしてなにも言わない。

 無言の圧力。母は新手のパワハラ方法を思い付いたのか。

 ハエが飛ぶ。時計の針は動く。母は動かない。


「言いたいことがあればはっきり言えよ」


「……」


 それでも母は沈黙を守る。

 どうして何も言わないのか。いつもの母なら罵倒の嵐。それに対して私は耳を塞ぐのに精一杯。そんなことになるのを予想したのに。何もない。何も起こらない。


 ただ濁った目でじっと私を睨んでいる。


 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 何を考えているのか分からない。


 私の心臓がぎゅっと持ち上がり、外へ外へと飛び出そうとしていた。


「どうして何も言わないんだよ!」


 無表情。瞬き一つしない。

 まるで壊れた機械のようだ。


 母は何を考えているのだろうか。

 自分のことをみっともないと思っているのだろうか。

 恥だと思っているのか。

 情けないと思っているのか。

 価値なしと思っているのか。


 少なくとも頑張れとかそのようなことは思っていないはずだ。それだけははっきりと分かる。

 私の大好きだった姉は母と花園に殺されたのだから。


 私も殺される。


 息が苦しくなる。でもそんなこと敵である母に察せられるわけにはいかない。だから平穏な不利をする。


「クソが」


 私は乱暴に襖を閉めて部屋の外に出る。

 階段をかけ上る。自分の部屋に入る。咳をする。ゴホンゴホン。

 オエーと空気を吐き出す。肺を激しく上下に動かす。私の意識が遠退く。今は何月何日の何時何分か。そんなことは分からない。


「クソクソクソ」


 私は怒られなかった。

 不快だった。それと同時に母に見捨てられたようなそんな気がした。


 あれ?


 どうして私は母に見捨てられたのにこんな嫌な思いをしているのだろうか。私は母が嫌いで憎いのだから、別に見捨てられてもいいじゃないか。

 それなのに、何も言わない母に対して傷ついている自分がいる。

 本来いるべきはずのない心の弱い自分がそこにはいる。


 そんな自分が嫌いだ。殺したくなる。


 それでも私は涙を溢さない。そんなことはしたくない。


 とそこでタイミングよく携帯がなる。

 私には友達がいないのに、誰だろうか。こんな時間に連絡をしてくるのは。


 その携帯には原井という文字があった。

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