おっさんの夏

 開け放った窓からはそよとも風は流れてこない。


「ふう」


 ただでさえ存在感の薄いバーコードは、ぺたりと頭に張り付いている。コップに注いだ水を一口飲んで、おっさんが顔を上げた。


「あのね、渚くん。おじさん、暑さには強いんだよ」


 砂漠の生まれだからね。と笑って、もう一口水を飲む。

 純和風な平べったい顔のおっさんは、実はイケメンシークだったらしい。だが、今のおっさんから在りし日を偲ぶことは難しい。と言うか、不可能だ。


「でも砂漠は、こんなに蒸し蒸ししてないんだよねえぇ」


 ぐでえ、と。窓辺に敷いたハンドタオルの上に腹這いになって、おっさんはへばっていた。


 どんよりと曇った梅雨空。いっそ雨でも降ればちょっとは涼しくなるだろうに、ジメジメするばかりで降りゃしない。なまじ朝に晴れていた所為で気温も湿度もエライことになっている。


「はあぁぁぁっ」


 おっさんは突っ伏したまま溜め息を吐く。最早、顔を上げる気力も無いらしい。


「あのな、おっさん」


 俺はそんなおっさんをうちわで扇いでやりながら神妙な顔をして見せる。おっさん、突っ伏したままだから見えないだろうが。


「いくらおっさんが大食らいだからって、何でもかんでも馬鹿みたいに食うからだぞ」


「うぅ……。だって、食べてる間は本当に最高だったんだよぉ」


 さめざめと。おっさんは涙を流した。


「美味しかったよねえ。冷くってしゃくしゃくしてて。ちょっと甘くってさ。止まらないよねぇ。暑い日にぴったりだよね!」


 にへらぁと笑いながら最後ぐっと拳を握ったおっさんは、あ、と呟いてすっと消えた。


「……」


 俺はおっさんの消えたハンドタオルを眺めながら三角に切ったスイカを齧る。

 今年初物の大玉スイカ。本当だったら一人暮らしに大玉スイカなんて買わない。とてもじゃないが食べきれないし、下手したら冷蔵庫にも入らない。


 でも、軽トラ停めて麦わら帽子を被ったお爺さんと目が合ったとき、おっさん喜ぶだろうな、と思ってしまったのだ。なんか、安かったし。


 案の定おっさんは大喜びだ。

 皿に盛った一切れを旨そうに頬張り、キラッキラした目を冷蔵庫に向ける。どうやらあそこに半分に切っただけのスイカが隠れていると勘づいたらしい。


 おっさんは食った。そりゃあ嬉しそうに。重いスイカ抱えて暑いなか帰ってきた甲斐もあるってもんだ。自分の背丈よりも高いスイカに飛び乗って、ぐっちょぐちょになりながら食った。


 満足げに溜め息をついたおっさんは、洗面器のプールでこれまた嬉しそうに水浴びをして、開け放った窓辺に腰掛ける。そして。


「あ」


 と呟いて消えた。



 再び現れたおっさんはげっそりとして、乱れたバーコードをでこに張り付けていた。


「なっ。どうしたおっさん!?」


 周章てる俺におっさんは弱々しく微笑む。


「お腹が……」

「え?」

「あ」


 おっさんはまた消えた。


「……」

 

 おっさん用のコップに温い水を注いで待つこと暫し。さっきよりも更に窶れたおっさんが現れる。萎びたジャガイモみたいだ。


「まあ飲めよ」


 言われるままにコップに口をつけたおっさんが、額の汗を拭いながらこちらを振り仰いだ。


「おじさんね、暑さには強い筈なんだよ」


 いやおっさん。その汗、暑さの所為じゃないだろう。



 その後もおっさんは「あ」と言っては消えて現れるを繰り返し、珍しく夕飯を食べなかった。

 強靭な四次元ポ◯ットかと思われたおっさんの胃袋も、万能ではないようだ。

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