外敵 (ながらスマホエピグラム)
吉田文平
第1話
都会の大地に峙(そばだ)つ、高層ビルと高層ビルとの狭間(はざま)。
ビル風が吹くのだろう、薄墨を流したほどの明るさの、その狭間を縫うように渡る風に乗って、「それにしても、あれだなあ」と、こう暢(のん)びりとした声が、聞こえて来る。
すると、別の声が、ーーこれは然し口調に、やや棘がある。
「あのなあ、その“あれだ”は、おまえさんの悪い口癖だと、いつもたしなめておろうが。あれでは、何が言いたいのか、さっぱりわからん。そういうのを、粗忽もんというんじゃ」
「粗忽もんって、そんな“突慳貪”を言わないでくださいよ。そのとげとげしい口調だって、あなたの悪い癖ですからね、ーー。あのですね、それにしても、呆れた奴らだなあって、そう思ったのですよ」
「誰が? 自分がかい」
「だ、だから、そういう言い草は、やめてくださいよ、もう。パワハラで訴えちゃいますよ!」
パ、パワハラ……。なんだか、やりづれえ世の中になっちまったもんじゃ、はは。
「わかった、わかった。で、誰がじゃ?」
「えっ、ああ、やつらですよ」
“あれだ”はこう言うと、前方の景色に、顎をしゃくって見せた。
見ると、その先には、都会の雑踏がある。
倫理は、一体、どこを彷徨しているのだろう。
いや、専(もっぱ)ら私利私欲に現(うつつ)を抜かし、天をも懼(おそれ)ぬ不遜な態度で、横暴な政(まつりごと)を繰り返す権力者が、我が物顔で跋扈(ばっこ)している以上、そんな規範など、この世界から、とうに駆逐されてしまったらしい。
現に、吾人の現前には、こんな現実が横たわっている。
公道を往き来するあまたの連中が、何かに眼を釘付けにしながら、それに加えて、両の耳を何かで塞ぎながら、市井の道理など、ちょうどどこ吹く風という感じで、堂々と、そこに、紛れているという、そんな景色が、--。
「まあ、慥(たし)かに、呆れるのう」
溜息交じりに、尖った眼をして、“突慳貪”が、言う。
「ね、ね、そうでしょう。おいらたちが、あんなふうに歩いていたら、命が幾らあっても足りやしない」
「ふむ。いつ外敵に襲われてしまうか、その因果として、冗談のように脆く、命を落としてしまうか、--それは、とんとわからんことじゃ。然しそれが、わしらの住む世界、そうして、それが、わしらに対する天のもてなしようじゃ」
「そうですよね」
“あれだ”が、大きく溜息を吐く。そうして、
「おいらたちの住む世界って、言わば弱肉強食の世界。だから、おいらたちが、外を歩くときは、ちっとも息が抜けやしないし、いつも外敵を意識している。にもかかわらず、やつらは、命の儚さがわかってないようです。恐らくは、外敵がいないんでしょう。いないから、あんなふうに能天気に歩いていられるんだ」
と、こう“あれだ”は言うと、さもそれが当然だ、というふうに、うんうん、と無邪気に頷く。
すると、“突慳貪”が、小さくかぶりを振りながら、「いやいや、近ごろじゃ、やつらの世界も、あながちそうとも言えん事情があるようじゃ」と、こうその了見を披露する。
「やつらにも、クルマという恐ろしい外敵がおるんじゃからの」
「クルマ? それって、あそこをひっきりなしに走っている、あれっすか」
「そうじゃ、あれじゃ。あれが、最近、やけにやつらの命を奪っとるんじゃ。ある日、突然、あたり前の日常を不条理のうちに奪っておる」
「へえ、でも、それって、あれだなあ、皮肉ってやつですよねえ」
「皮肉? ほう、おまえさんも、たまにや、難しい理屈を言うんじゃのう」
「へへ」
“あれだ”が、褒められて、気恥ずかしそうに、頭をかく。
「慥かに、皮肉じゃ。自らが創りだしたテクノロジーで、自らの首を絞めておるんじゃからのう。まあ、自業自得と言ってしまえば、それまでじゃがの」
“突慳貪”はこう言うと、雑踏に向ける眼を一層きつくさせ、続けて、このように縷々陳べた。
「然も、やつらが、今、眼を釘付けにしているあのテクノロジー、あれも、それと同然じゃ。畢竟、自らの首を絞めることとなる。それを思えば、おまえさんの言う通り、呆れたやつらじゃ。そもそも、やつらは、利便性を追及するあまり、あそこを走るクルマのような、自分たちだけに都合のいい利器をあれこれ生みだし、その挙句、この地球(ほし)の環境を破壊するという愚を犯しよった」
「ええ。ただ、あれですよね。自らの瑕疵で環境を破壊するのは、それは、勝手です。けど、現実は、それだけじゃ済まない。結局、それで、異常気象が常態化して、おいらたちまで側杖を食っています。それって、なんだか、え~、あれです、--」
「はは、また、あれ、かい」
「へへ、えっと、そう、エゴイスト、エゴイストってやつですよね」
「ほう、エゴイストのう。粗忽もんのおまえさんにしちゃ、ーーあっ、いや、失礼、とにかく、あれじゃ、なかなかいいこと言うのう、はは」
“突慳貪”は、言葉を選びながら、つまり、パワハラを気にしながら、こう言うと、雑踏に向けていた眼を西の空へと移した。
見ると、一朶の雲が、おぼろげながら、茜をにじませているのが、入る。
「もうすぐ昏じゃ。そろそろ、寝どこに帰るとするかのう」
“突慳貪”は、傍らの“あれだ”に声をかけるともなくかけながら、よいこらしょ、と腰を上げた。
暫くのあいだ、“あれだ”も、同じ雲を、ぼんやり、眺めていた。
それでも、何かを思いだしたように、「ですね」そう、ポツリ、呟くと、やおら、腰を上げた。
そうして、四本脚でしっかり大地を踏みしめたふたり(?)は、不意に踵を返すと、ビルとビルとの狭間の、それこそ、“猫”の額ほどの薄暗い空間の、そのもっと奥へと、尻尾を立てながら、消えて行った。
おしまい
外敵 (ながらスマホエピグラム) 吉田文平 @sokotumono
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