あの大地へ、君と
ふんばり屋助六
プロローグ
① 転移
何十年も前に人が通らなくなった道は、アスファルトもひび割れ、草がまばらに生えていた。辺りは暗く、文明の利器がなければなにも見えず。
電灯らしきものはない。二人の呼吸音と足音だけが周囲に響いていた。
「大丈夫っすか?」
「問題ねえ」
男は足に怪我を負っていた。布できつく縛ってあるが、血が滲み足もとへとしたたり落ちる。懐中電灯は青年がもち、行く先を照らす。
「あそこにトンネルがあるだろ。そこを入らず、脇道にそれんだ」
男はキャリーケースを引いていた。青年はリュックを背負う。
「それ俺が持ちますよ、懐中電灯と交換しましょう」
道の状態が悪いので、車輪がついていても限界があった。
「変な気使ってんじゃねえ、今からがお前の本番だろ」
向こうに行ったら、なにが起こるか解らない。
始まりの地。山奥の廃村。
「でもあれですよね、五百年前つったら戦国時代か。うちらの先祖、よく生き残れましたよね」
王族と言えど、こちらではなんの意味もない。言葉すら通じない土地。彼らは末端なので、詳しくは教えられず。
「一人で来たのか、お供たくさん連れてたのかは知らんけど、まあ命がけだったろうよ。こっちじゃ魔法ってのも満足に使えないしな」
やがてトンネルへとたどり着く。電気など点いているはずもなく、懐中電灯の明かりで中を照らすと、予想通りにかなり怖い。
「こりゃ心霊スポットになってもしゃあないっすね」
「やっぱケースお前持ってくれ、こりゃ無理だ」
ガードレールの大半は朽ちていたが、そこだけはもとから無かったのだろう。脇道というよりも、獣が通るそれだった。
「だから言ったじゃないっすか」
青年は懐中電灯を渡すと、男からケースを受け取る。伸ばしていた持ち手を引っ込め、それを両腕で抱えた。
男は素知らぬ顔で。
「ある意味。本家筋じゃなかったのも、俺らとしては有難かったな」
「たしか俺の婆さんが、当主の姪だったんすよね。当時の」
分家として見なされるのはそこまでで、これよりも離れた血筋は異世界など、詳しい情報を広めてはいけないとされている。
先祖にお供がいたのであれば、その流れを汲んだものか。それともこちらで何らかの関係をもち、協力するようになったのか。本家の血筋とは別に、動かせる人員もいた。
「実際に痣がなけりゃ、お前だって何も知らないまま、一生を終えてたろうよ」
行く先を照らす男の背中は、思っていたよりも小さかった。
「大丈夫っすか、けっこう急ですよ」
怪我で足を踏ん張れない彼は、なんどか転びそうになっていた。肩で息をしているのもうかがえる。
「覚悟の上だっつうの。じゃなきゃ、やってられっか」
「すんません」
二回り年上の兄貴分。山中の歩き方や、罠を使った鹿猪の狩りなど、ほとんどの事はこの人から教わった。年齢の関係で資格はなかったが、全てはこれから先のため。
男は腕時計を確認すると。
『日付が変わるまで、あと一時間半だ』
それは日本語ではない。外国語とも違う。
『残りスコシになりましたが、ホントにセワになりまシた』
「上出来だ」
青年の言葉は彼と比べると、大分ぎこちない。キャリーケースを抱え直すと、最後の時間を噛みしめて、男の後を追う。
_________
_________
やがて二人は廃村に到着した。ほとんどの建物は半壊状態。トタン屋根の壁なし小屋には、数十年前のボロ車が草と蔓におおわれていた。
「ついたっすね」
「一応、俺らにとっちゃ聖地なのかね」
先祖がこの大地に降り立った場所。青年は立ち止まり、辺りを見渡す。
「よくぞこんだけ放置したもんだ。心霊スポットにもなるわな」
彼らの一族が凄まじい権力を持っていれば、ちゃんと保存もしていたかも知れない。時代の流れに合わせ、各地を転々としながら今にいたる。
しばらく進むと、二人は一件の建物へ懐中電灯の光を当てていた。
「あそこなら、まだなんとか入れそうだな」
民家というよりは、役場だか寄合所的なものか。もし避難するとなれば、ここに集まっていたのだろうか。建物の裏手は山となっていた。玄関と思われる横開きまで進む。
「逃げ隠れできんのはここくらいだ、先客がいないことを願おうかね」
扉を動かしてみるが、重くて片腕では難しい。
「誰か入ったような痕跡はないっすね」
男は懐中電灯を咥えると、両腕で開こうとするが、足の負傷もあり結局は青年が荷を下ろして開ける。
「いっそ、でるなら幽霊のほうが良いか。事情説明して、許してもらおう」
中に入れても廃墟であることに違わず。窓は割れて床に散らばり、ゴミが散乱していた。二人は慎重に中へ足を踏み入れる。
「でも、ここじゃなきゃ駄目だったんすか?」
「俺らは儀式もなんも準備できねえからな。この場所なら向こうに通ずるもんも、なんかあるだろうよ」
道のりは危険も伴い最悪だったが、転移を考えれば少しでも安全な状態で送りたい。
二階にも通じる階段があったが、今にも崩れそうだったので一階だけを調べる。
「ここ良さそうっすね」
通路の先。扉のついたその部屋には、窓も一つだけで外は崖肌となっており、覗かれる心配も少ないだろう。室内には机や棚がそのまま残されていた。
中に入ると、男は扉を閉め。
「しばらく休むぞ。いざって時は、その窓から出て、崖との間で身を隠すか」
男は懐中電灯の光を青年の右脇腹に当てると。
「お前、ちょっと紋章見せてみろ」
青年は荷物を床に置くと服をめくり、かつて白い痣だった場所を見せる。
「またデカくなってんな」
大きさだけでなく、複雑にもなっている。範囲としては足の付け根から脇下まで。十五の歳に変化して、今日までの間にこうなった。
「こんな模様で、なにが解るってんだ」
災いを防ぐか、それとも齎(もたら)すか。
「もし一緒に来れるなら、俺としても助かるんですが」
「無理なら投降するさ。殺されはしねえだろ」
先祖は一人で来たのか、それとも何名かつれてきたのか。
「今さら補充はできねえが、荷物の再確認でもしとくか」
椅子類は壊れて散らばっているので、二人はその場で座る。
「痛むっすか?」
「まあな」
男は時間をかけて腰を下ろすと、キャリーケースをあける。その中には、この時代にそぐわない服装が数着。
「向こうがどんくらいの技術か解らねえが、もしもの時は売ってみろ。あとは金や宝石とかもあるが、価値のほどは知らねえ」
もしかしたら魔法の鉱石などがあるかも知れず。だがその対策として、こちらの職人が細工したアクセサリーとなっている。
「あとこれっすね。効果あれば良いんだけど」
鎖帷子を通販サイトで男が取り寄せていた。
「ジャングル舐めんじゃねえ、なんてったて世界規模だぞ」
防弾チョッキやプロテクターなどの選択肢もあったが、向こうで悪目立ちは避けたいので、候補から外されている。
その他にもケースには、ホームセンターで買った武器になりそうな物二つ。
青年は背負っていたリュックから、手当のための道具箱を取り出す。
「足だしてください、包帯かえましょう」
「必要ねえ。それはあっちでお前が使うもんだ」
無理やりにでもと思ったが、今は喧嘩をする余裕もない。
「せめて水くらい飲んでください、一応携帯浄水器は持ってますんで」
ペットボトルを向ける。男はしばし沈黙したのち、受け取って口をつける。
_________
_________
残りあと二十分。
「行くぞ、どっかの茂みにでも隠れて待とう」
青年はうなずくと、リュックを背負いケースを抱える。扉を開けて通路を進み、出入口の目前まで来たその時。先を歩いていた男は手で制す。
建物の外から声が聞こえる。青年は音を立てないように荷物を床に下ろす。様子をうかがっていた男が、指で数字をつくる。どうやら二人のようだ。
敵が両腕でドアを開いた瞬間だった。物陰に隠れていた男が飛び出して、相手の片足を掴むと、肩で腹部を押しながら巻き込むように転倒した。
地面で取っ組み合う二人。残るもう一名の敵が拳銃で男を狙うが、驚きもあって的が絞れず。
「皆を呼べ!」
拳銃を持つ敵はそれを下ろし、呼び笛を口に咥えようとした。そうはさせまいと青年も動き出す。片足で踏み込むと、跳ねながら靴底で敵を蹴り飛ばした。
青年は背中で転がりながらも片膝をつき、ベルトに止めていたナイフを片手に持つ。周囲の様子を観察する。
蹴飛ばした相手は這いずりながら、地面に落とした拳銃に手を伸ばしていた。
青年は敵の背中を片足で踏みつけると、髪をわし掴んで持ち上げ、空気にさらされた首を片手に持ったナイフで引き裂いた。
血で汚れたが、今はそれどころではない。男の方を見る。
「終わったなら、こっちに来い」
男は上に乗って相手の首を絞めていたが、敵の右腕は自由に動かせる状態だった。頭や肩を殴ったり、締めていた指を外そうと爪を突き刺す。
青年は敵の右腕を引きはがし、足で踏みつけて固定する。手に持ったナイフで地面と繋げた。
「……死ねっ」
息を切らせながら。
「もう、大丈夫かと」
相手は死んでいた。男はゆっくりと手を放して、その場に座り込んだ。左わき腹に刺さったナイフは、彼の服を赤く染めていた。
「抜いちゃ、駄目なんすよね」
「確かそうだったな」
男は周囲を見渡す。少し離れた場所の木々が、ライトで照らされていた。これは懐中電灯ではなく、工事現場などで使われるような、バルーン投光器あたりか。
腕時計の時間を確認する。先ほどの殺し合いで、ひび割れていた。
「あと十三分だ。一人で逃げるか、ここに立てこもるかを決めろ」
「一緒に逃げるのは」
自分の腹部に刺さったナイフを指さし。
「無理だろ」
「立てこもりましょう」
青年は手を貸そうとしたが、男は近場の壁に寄りかかりながら、自力で立ち上がった。
「死体は中に入れとけ。血痕を隠くす時間もねえから、そこはもう諦めた方が良いな」
男は一人で中に戻っていく。青年は指示どおり死体を中に入れると、玄関を開けるのに邪魔となりそうな位置へ移動させる。
「くそ」
手首で目元を拭うと、男の後を追いかける。
荷物を持って部屋に戻ると、男は机を動かそうとしていた。
「扉をふさぐ。おまえは、その本棚もってこい」
キャリーケースだけを床に置くと、言われた通り空の本棚を両手で抱える。テコの原理とでもいうか、青年は一人で持ち上げて、指さされた位置に棚を投げ捨てた。
「窓の外にでて隠れてろ。2分前になってなにもなければ、俺もそっちにいく」
「俺、時計もってねえっすよ」
便利な携帯電話は捨ててしまった。男は腕の時計を外すと、青年に放り投げる。
「安もんだからくれてやるよ、餞別だ」
「壊れてるじゃないっすか」
男はケッと笑う。青年は窓まで向かうと。
「絶対に来てくださいよ」
「おうよ」
硝子は割れておらず。少し力を込めれば、抵抗もなく窓は開いた。
崖肌は苔や蔓で地肌の方がすくない。虫がいそうだが、そういった物には抵抗をもたいないよう、今日まで育てられてきた。
冷や汗をかきながら、二人で調理して食べた思い出は忘れない。
青年は荷物を外に出してから、気をつけて窓に足をかける。室内を眺めれば、男もこちらまで来ていた。
「やっぱ一緒にいましょう」
「いや。俺はギリギリまで、こっちにいる」
男は窓の下に座り込む。
「せめて、窓は開けさせておいてください」
「すきにしろ」
青年はリュックをそのままに、キャリーケースを抱かえて座り込む。
「そういえばお前、防虫対策持ったっけ?」
「はい。スプレーじゃなくて、ウェットティッシュのやつです」
しばらく他愛もない会話を繰り返す。
「もし戻ってこれても、俺を探すな。そこから連中に知られる」
「だから……いっ」
一緒に行こう。そう言おうとした、その時だった。
「どうした?」
脇腹に違和感を感じて見ると、服の下からでも光っているのがわかる。リュックの紐が邪魔だったが、肌をさらす。
「なんか紋章が、銀色に光ってます」
「横に動いておけ、窓から見えたらやばい」
動こうと力を込めたが、上手く身体を動かせない。
「大丈夫か?」
「問題ないっす」
ちょっとずつ横に移動する。キャリーケースが重い。
崖の隙間、建物の角から声が聞こえた。
「窓閉めるぞ」
返事ができない。壁の向こうで、扉を破ろうとする音が聞こえる。
「だめだ」
一緒に行きたい。青年は窓に近づこうとするが、力が入らず横に倒れた。崖肌の緑までもが銀色に輝き、やがてそれは見覚えのある形に変化していた。
壁越しに声が聞こえる
「あんた、なにやってんだよ!」
「その子が向こうに行けば、私たちの故郷がどうなるか解ってるの?」
敵二人とは対象的に、男の声は力なく。
「災いを齎すのはあいつじゃねえ、悪魔の手先だろ」
弾が発射された音。威嚇射撃のようで、まだ男は生きていた。窓ガラスが割れていた。
「すべてを判断すんのは俺たちじゃねえ。そんくらいの分別はつくよう、今日まで育てたつもりだ」
「行かせるわけにはいかない。絶対に」
向こうに家族でもいるのだろうか。
「十秒まちます、そこをどきなさい」
銀色の紋章は輝きながら全身へと広がり、それはスーツケースへと伸びていく。
意識が遠のいて、このまま消えてしまいそうになる。
「だめだ……まだ」
青年は最後の力を振り絞り、重い瞼を開けた。視界が定まると、男が自分を抱えていた。
「……いっしょに」
窓の向こうから、誰かが身を乗り出して、こちらへ何かを。
「お前、死体に刺したまんまだったろ」
脇腹のナイフは引き抜かれ、血まみれの包帯に巻かれていた。それを青年の心臓部へと押し付ければ、銀色の線が包み込み、男の指先にまで伸びる。
もう顔も見えず。声だけが耳に残った。
「誕生日、おめでとう」
男は青年を押しのけると、崖肌と壁に左右の手を叩きつける。
銃声が鳴り響き、青年は意識を失った。
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