第二節 デルフィニウムと銀の乙女

 青い光の粒子が満ちる巨大な鍾乳洞。

 その中空に、突如として黄色い閃光が迸った。

 一瞬のフラッシュのあと、虚空より召喚された一人の青年と一冊のノート。

 そこで青年は身動きが取れるようになったことに気づくと同時、今度は自由落下に襲われる。


「ぅ、うわぁああああああああ――――!?」


 地上への激突まで、残り一秒。彼は人生の終わりを覚悟する。

 それでもなんとか受身を取ろうと、彼は仰向けの状態で両手両足をばたつかせる。しかし一寸先の死を目の当たりにした青年は、全身を強打する苦痛を想像するあまり固く瞼を閉じきった。


 ――――だが、急降下する体は突如、また金縛りに襲われる。

 否、それは金縛りではなく、青年の体が空中で突然、急停止した所為だった。


 恐る恐る瞼を開く青年は、地面スレスレに浮かぶ自分の体を見て、ただただ呆然と口を開けている。といっても受身の準備はしていた。この重力に逆らっている状態がいつまで続くとも分からない。


 そして、青年の予想は的中となった。

 金縛りに近い状態が解けて、青年の体は再度自由落下を始める。しかし地上までの距離は約一メートルもなかったため、彼は難なく着地に成功した。

 それから青年は立ち上がり、前方の鍾乳洞を見渡して、空気中に漂う青い光の粒子に目を奪われる。


「……ここは、どこだ……?」


 眉をひそめて呟く青年は、首の後ろをさすりながら落ち着きなく辺りを見回す。


「――ここは、デルフィニウムの洞窟である」


 不意に彼の背後から、鍾乳洞を轟かす胴間声が響き渡る。

 地響きとも言える声音が洞窟内に反響する中、青年は間髪入れずに振り返った。


「久しいな、人間」


「な――――」


 そこには、全長二十メートルを越える巨大なトカゲが座していた。

 鉤爪の先ほどもない青年を見下ろして泰然と其処に構えている姿は、まさに荘厳の一言。

 赤みのある橙の鱗。黒曜石のような巨大な鉤爪。瞳の色は雲一つない青空を窺わせる。さらに背中には蝙蝠の羽に似た巨大な翼が折り畳まれた状態で羽を休ませていた。

 それは俗に言う――――まごうことなき一頭のといえる存在。


「……なるほど。やはり、その小さな本が触媒となったか」


 青年の手元にあるノートをまじまじと見つめるドラゴンは、太い鼻の穴を膨らませるなり、険しい顔つきで目を細める。

 一方の青年は、眼前の巨大生物を見上げて、ただただ愕然と立ち尽くしていた。


「あ、あ……」


 そのため青年は気がつかなかった。

 大きさをビルの七階建てと同じくするドラゴン。

 その腹の下に、一人の少女が悠々と佇んでいたことに。


「覚えていないか? 我らと貴様は、この洞窟で一度、会っているのだぞ」


「……あ、会っている……だって……? それに、我ら……?」


 やおら青年は視線を下ろす。そこで彼は今まで見逃していた人物を発見した。

 銀色の長い髪をストレートに下ろす、見目麗しい赤い眼の少女。齢は十四くらい。身長は百五十前後。服装は純白のワンピースが一着のみ。

 神秘的な赤い瞳を持つ銀の乙女は、じっと青年の顔を見据えていた。


「――きみ、は……」


 清純なる天使と讃えられるほど可憐な少女。犯しがたい美しさと気高さを身に纏う銀の乙女。その美貌は二百メートル先でも、青年を魅了し尽くすのに余りある光輝を放っていた。


「……っ!」


 ふと片目が疼いたのか、青年は立ちくらむ。

 そのとき彼は、かつての記憶を思いだした。


 遠く、遠く、懐かしき。あの頃の儚い思い出を――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る