第十八話

「俺はむしろ、敬意を払うよ、ティル。どこで気持ちが変わったかは分からないけど、少なくとも俺と相対して、敗北を認め、命乞いをした段階では、寝首を搔いて謀殺するってところまで計画できていたんだろう? そんな素振り、噯にも出さないで。しかもわざわざ隠れ家を犠牲にしてまで。追手の連中とも密に連携していなければ、あそこまで出来なかったはずだ」


 そう、あれはまさに、戦略的だ。もしもティルが俺を友だと認めていなければ、ただの賞金首だと割り切れてさえいれば、完璧に詰んでいた。何かあれば首を刎ねればいい――だなんて、そんな次元の話じゃない。それは見事なほどに、一切の手筋を封じられ、一切の退路を断たれたんだ。


「馬鹿野郎……んな高尚なもんじゃねぇっての……」


「謀略に貴賎なんてあるか。あるのは優劣だけだ、ティルのそれは優れていた、それだけは素直に取っておけばいい。まあだけど……お前にそこまでさせてしまう俺の首が、何より魅力的だったってことか。それなら仕方がないな」


 俺の唐突な冗談口に、キョトンとするティル。すぐに駄洒落だと気付いたのか、鼻で笑った。そうだ、その程度の扱いでいいんだよ。


「馬鹿野郎、そりゃ魅力的だろうよ。教会ウルダがテメェの首に幾ら掛かけてんのか知らねぇのか?」


 ああ、そう言えばティルも、元々は俺の賞金が狙いだったっけか。振り返ってみると、己の首が幾らになるなど、気にしたことがなかったな。気にする余裕もなかった、と言った方が正しいか。


「へえ、知らないな。逃亡生活を続けて、世間に疎くなったもんでね。一体、幾ら掛かっているんだ?」


「ざっと、金貨ガルド千枚だ」


 身体の節々を蝕んでいた痛みも忘れて、俺は勢いよく上体を起こした。開いた口が塞がらない。唖然として、二の句も出てこない。馬鹿な、何て額を俺に掛けているんだ、教会ウルダの連中は。


 国や地域、時代や環境によって、当然物価は変わってくるが、遥か昔にはもう、貨幣の形というのは世界で統一されている。銅貨ブロン銀貨シルブ金貨ガルドの三種類だ。その貨幣価値は、銅から金へと順番に千倍されていく。つまり、銅貨ブロン千枚で銀貨シルブ一枚と等価。金貨ガルドに至っては、一枚で銅貨ブロン百万枚に匹敵する。


 ちなみに現在の相場はというと、我が故郷レコンの村に住む農夫が一日を生きるのに必要な額が、銅貨ブロン五百枚ほど。野良仕事に必要な荷馬や農具一式を揃えるのに必要な額が、銀貨シルブ六十枚ほど。そんな農民が住まう家屋を建てるのに必要な額が、金貨ガルド三枚ほど。そして、レコンのような小さな村には、大体百六十世帯ほどが暮らしている。


 つまり俺の首に、我が故郷ほどの村を丸々買い上げても、まだ余りある賞金が掛けられているということだ。


「そ、そうか……そりゃ、まあ、執拗に付け狙われるわけだなぁ……」


「そらそうよ、当たり前だ。テメェの首一つで、城が建っちまうときた。教会ウルダの連中に義理が一切なくったって、いや、いっそ憎たらしく思ってたって、幾らでも加担するだろうよ」


「でもそう考えるとさ、ティルは凄いな。隣に金塊が寝そべってるってのに、放っておけるんだな」


「そ、そらオマエ……と、と、友だから、だっつうの……」


 頬を紅潮させるティルの横で、俺は悪戯な笑みを湛えていた。すまないな、お前のその恥じらう仕草見たさに、意地悪い問いかけをしてしまったんだ。許してくれ、友よ。


「……ハァ、いやまあ、そういうことでよ。命辛々、ここノワールの村に着いたってわけよ。初めはそらぁ、驚くわな。矢がぶっ刺さった大人族ヴァンダルの男が、血を流して気絶してんだからよ。オレも幸か不幸か、この村にゃ一切の縁がねぇ。それに、グレートヒェンにゃぶっ通しで駆けてもらった、それ以上の無理は身体に障っちまう。さてどうしたもんか、焦りに焦ってたところをよ、あのアリアネ嬢に助けてもらったのさ」


「ノワール卿の娘か。少し話した程度だけど、良識を持ち、慈悲深く、健全な矜持の下に行動できる、良い娘だったな」


「鋭いな、その通りだ。恐らくよ、オレたちが素性を騙ってるってのも、あの娘にゃバレちまってると思うんだ。父にして領主であるフランクも同じ、その夫人も同じだ。ここの連中は聡い、オレの出任せなんざ察しがついてるだろうよ。けどよ、それを踏まえても、なおオレたちを客人として迎え入れてくれたんだ」


 なるほど、単なるお人好しってだけではないと。全てはお見通し、その上で、ノワールの村に仇なすような悪人ではないと判断されたってことか。全く、伊達や酔狂じゃ領主は務まらないってか、恐ろしい限りだ。


「身体の動くオレやグレートヒェンはさ、己の食い扶持分ぐれぇは働かされるけどよ、納屋にぶち込まれるわけじゃねぇ。オレにゃベッドのある寝室を、アイツにゃ藁の敷かれたうまやを用意してくれた。飯だってちゃんと出してくれる。そんでもって、オマエを手厚く介抱してくれるときた。オレの見立てじゃ、こっちを謀ろうって魂胆もなさそうだ。世の中にゃとびきりの善人ってのがいるもんなんだな」


 そう、世の中には教会ウルダの教典に描かれた聖人のような、思いもよらない善人というのが、稀にいるものだ。フリアエもその一人だった。鋭い洞察力を持ちながら、善悪にこだわらず、目に映る全てを救済しようと、本気で考える者がいる。不思議なものだよ、本当に。


「感謝してもし切れないな。明日、ちゃんと自分の口で礼を言うよ」


「当たり前だ。傷が痛むだの宣っても、オレが引きずり出して頭下げさせらぁ」


「心強いな、本当に助かったよ。命の恩人だ、ティルは」


「馬鹿野郎、これでおあいこだ。オレは飽くまで対等な関係でありたいだけだっての。これ以上の礼は要らねぇからな?」


「ああ。お前は飽くまで、俺と対等な友だよ」


 俺の言葉を、鼻で笑い飛ばして、そっぽを向くティル。素直じゃない奴だ、そこが面白いんだけどな。


「……でよ、これからオマエ、どうすんだ? 暫くは、この村にいるんだろ?」


「そうだな……傷が癒えるまでは、居候させてもらえれば有り難いが」


 それでも、長居はできない。俺はどこまでいっても、おたずね者の身だ。まだこの村まで教会ウルダ枢機卿の手が伸びていないだけで、この村にだって聖堂はある。手配が行き届くのも時間の問題だろう。


「村に迷惑を掛けてしまう前には、出て行こうと思う。手配が届けば、必然的に追手もこの付近にまで配置されるだろうし。それを撒く意味もある」


「……それもそうだな。留まれば留まるだけ、オマエにとっちゃ不利になる。当たり前、だよな」


 どうしたティル、声色が浮かないじゃないか。仕方ないだろう? 俺とともにいるってことは、お前にとって良くないことだ。死の危険に晒される、それだけじゃない。お前が目指している大きな背中が、遠ざかっていくってことでもある。お前が追われる必要はない、追うべきものを追っていくんだ。


「ティル、多分この村でお別れだ。俺の好敵手であり、戦友であり、良き友だったと、この心に一生刻んでおくよ。もしかしたら、どこかで会えるかも知れない。その時は、お前の傑作を見せてもらうさ」


「……早速、別れの挨拶かよ。今すぐって話でもねぇんだ、気が早いんだよ、オマエは」


「ハハ、その言葉、フリアエにも言われたな。これも俺の悪い癖だ」


「全くよ、ホントだぜ……」


 俺には俺の、お前にはお前の、夢がある。それだけは、何物にも代えがたいものだ。フリアエが望んだ、天に瞬く星々のように眩い、人の在り方だ。それはまさしく、儚くもある。だけど、ヒトを人たらしめるものに違いない。だから、叶えよう。星に願いを託すように、己の夢に、己が全てを託そう。

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