破 逃げ切って、また立ち上がれ、落人よ
第十二話
連綿と列なって聳える
「まあ任しとけよ」
そう言って先導するティル。隠れ家の真下に当たる場所で立ち止まると、宮殿の柱かと見紛うほどの木の幹、それを伝って伸びる一本の蔓を握り、勢いよく引っ張った。するとどうだ、上から縄梯子が降ってきたじゃないか。
「ほお、すごい仕掛けじゃないか。器用だなぁ」
「へへ、まあな。親父の受け売りだけどよ」
なるほど、よく考えられている。あたかも蔓に擬態させた釣り竿のような仕掛けを使って、小さく収納した縄梯子を下ろしたんだ。たまたま蔓の仕掛けに引っ掛かりでもしない限り、隠れ家を発見できたところで、そう容易く侵入はできまい。
だけど、やっぱり不思議だ。なぜここまで手の込んだことを仕掛けるくせして、頑なに魔術を利用しないんだろうか。ましてや、金細工職人なら、魔石の研磨や利用にも長けてるって認識なんだがな。何より、今どき火打石ってところが妙だ、あまりに渋すぎる。親指ほどの発火の魔石なら、今日日、使用人だって買えるのに。
「だけど、これほどの仕掛けを、魔術の類を一切使わないのは珍しいな。いや、凄いは凄いんだけど」
「んー、そうか? オマエもオレと同じような境遇なんだから、んなもん慣れっこだろ」
ティルはそそくさと縄梯子を登っていく。俺もそれに続いて登っていく。とはいえ縄梯子なんて、これまでほとんど登ったことがなかったな。やっぱりこの不安定さを操るにはコツが要る。
「とはいえティルの場合、努めて使わないようにしていないか? 火を熾す時もそうだったけど、なんで魔石の一つも使わないんだ?」
「あー、魔石ね……」
何か訳ありか? 魔力の扱いが不慣れな時期は、ほんの小さな魔石であっても、暴発する危険があると聞く。でも、大体は大人になるにつれて解消されていくもんだ。ましてや器用なティルが、それはないだろう。
「……いやさ、ただ魔石を使うのに器用も不器用もねぇけど、石を磨くってなりゃ相応の繊細さがいるだろ?
「まあな。でもお前ほどの奴なら、お手の物、ってところじゃないのか?」
「いやまあ、元来、手先が器用だってのは自負してらぁ。けどよ、根性の部分じゃ、オレって奴ぁ粗野なのさ。親父みてぇな、根っからの完璧主義者じゃねぇ。だから、常に繊細さが求められるよう生きてんだよ」
「なるほど。哲学的な生き方だな」
「ったく……テメェはいつも褒めてんのか貶してんのか分かんねぇんだよ」
「いや、良い生き方だ。そこはかとなく小粋だよ。矜持の置き所が特にな、俺好みだ」
「うへぇ、気持ちわりぃ」
本音と冗談を交えつつ、ようやく頂上へと辿り着く。実際に隠れ家なるものを間近に見ると、意外にも十分な居住空間が設けられていることに驚く。枝と枝が連なってできた入口を分け入ると、まさに森林が自然と造り上げたかのような、高木と高木の間中にあって、枝葉の交錯をそのまま利用して無理なく融和させた造りは、見事と言う他ない。
「凄いな……ここは、お前が?」
「親父との合作だ。オレがまだ餓鬼だった頃のな。気が向くたびに改造してっから、初期から大分変わってっけどな」
足を踏み入れると、天井はかなり低く、直立すれば頭をぶつけてしまうか。流石に木々の幹枝で支えてるだけあって、一歩踏み込むたびに多少は揺らめく。まあ、俺のような
「ま、適当に掛けろよ。オマエのデカさじゃ窮屈だろうけどよ、贅沢は言わせねぇぜ」
鼻で笑いながら、背もたれを省いた簡素な木の椅子を示す。これは確かに、尻がはみ出るな。
「んなもんしかねぇけど、勘弁してくれや。こんな隠れ家じゃ乾物の備蓄で精一杯よ」
これまた小さなテーブルの上に、天井から吊してあった干し肉が置かれた。猪肉だろうか、けど臭みは殆どない。丁寧な燻製がなされているんだろう、流石のお手並みだ。一つ頂こうか。
「おお……これは、美味いな」
遠慮もせず一口頬張ると、口の中に燻製肉の独特な風味が広がっていく。それがまた程よい灰汁の強さで、鼻から抜ける薫りが妙に心地よい。肉自体も塩辛すぎず硬すぎず、だけど十分な噛み応えがあって、咀嚼のたびに旨味が醸成されていく。贅沢を言える立場じゃないが……酒が欲しくなってしょうがない。
「ったくよぉ旦那、コイツが欲しくてしょうがねぇって顔してやがんな。オレ様の秘蔵だ、味わえ」
おいおい、本気かよ。こぢんまりとした
「ティル……お前って奴は最高か?」
テーブルに置かれた、獅子紋様を浮かべる銀の杯には、なみなみと注がれた芳醇な葡萄酒。底の見えない深い紅を湛え、それでいて透き通るほど瑞々しい。鼻孔をくすぐる葡萄のごく甘やかな薫りと相まって、良く醸成された酒精の目が眩むような芳香に酔う。嗚呼、殊に久しき至福の時よ。
「ったりめぇだ。金成る客には最高品質のもてなしを、それがオレの流儀よ。ま、王様お殿様ありきの商売だからしょうがねぇ」
「そのもてなした相手は、一番金を落としそうもない客だけどな」
「馬鹿か、無料提供は道案内まで。この宿代は、びた一文負けてやるか。オマエが路傍でおっ死んじまう前に、ぜってぇ取り立ててやっかんな」
「なるほど、見た目に違わず血の味がするってね。そりゃまた、味わい深いじゃないか」
銀の杯を互いに掲げて、前途の安寧を祈願して乾杯する。ふと、丹念に磨き上げられた杯に、己の顔が映る。なんだよ、随分やつれているじゃないか。過去を思い返して、心が疲労したか? もう二週間近くも続ける逃避行に
胸の奥から這い上がりそうになる弱音を、芳醇な葡萄酒で強引に押し戻す。舌を伝い、喉を通り、胸に染み渡り、腹を潤す。目を瞑り、暗黒に身を委ねながら、深く息を吐き出す。心地好い稲妻が、脳裏で踊り出した。口角が緩み、喉のつかえが解け、四肢の強張りが弛緩する。瞑っていた瞼を開けると、ふわりと柔らかな景色が広がった。まるで、たんぽぽの綿毛にでも乗っているかのような。
「あんだぁ? んな図体して下戸かぁ?」
すでに酔いが回ってしまった俺を見て、ティルが鼻で笑う。特段酒が好物ってわけじゃないが、薫りを楽しみ、味を楽しむ嗜好は持っている。そんな、じっくりと飲む俺とは対照的に、奴の飲み方は大いに豪快だ。瀑布を飲み込む滝壺のように、奴には少し大振りな杯を、どんどん飲み干していく。俗に言う、ザルって奴だな。
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