第七話

 さざめく木々を横目に、深緑に彩られたマーロウの森を疾駆する。辺り一面を見渡しても、青々と生い茂る木々が延々と立ち並び、鳥雀のさえずりがどこまでも鳴り渡り、一向に代わり映えがしない。俺にはもはや、同じ場所を往来しているようにしか思えなかった。


 だけど、確実に歩を進めてはいる、俺の目の前に座るティルの指示の下で。当然、グレートヒェンが身に着けた装備は、鞍も鐙も一人用。だから、こいつが振り落とされないように、俺とベルトで繋げてある。つまり、どちらかが動けば、その動作に引っ張られるということ。これが何とも、もどかしい。


 ティルはその知識や技術からいって、恐らく猟師だ。貴族の出でなければ当たり前だけど、乗馬経験は無いに等しい。だから、馬の動きに騎手の身体が付いていかないんだ。俺も初めの頃はそうだった。


 ただ、それを踏まえても、こいつは余りに忙しない。すぐに尻が浮く、いつの間にか頭が傾く、絶えず口を開いて落ち着かない。終始俺が抱え込むように支えてやらないと、碌に前も向かない始末。俺は子守りか。お前だってそんな歳でもないだろう、ティル。


「ん〜……ヤベェな、暗くなってきちまった」


 その言葉を受けて、空を見上げると、天蓋は紺と橙の濃淡を描いていた。森の中を彷徨っていると、時間の感覚が掴み辛い。もう日が傾き始めたか。再び、森に夜の帳が下りようとしていた。


 森中の夜というのは、どうにも慣れないもんだ。星羅の瞬きさえも遮る闇夜の到来に乗じて、森の先住者たちが緑陰に蠢く気配を感じる。侵入者であり不純物でしかない俺たちなど、奴らにとっては森の営みを壊す邪魔な存在なんだろう。いつ寝首を搔かれてもいいように、気構えだけは備えてなくちゃいけない。


「もうちょいすっと、俺の隠れ家なんだがなぁ……」


「隠れ家? ティルお前、領主に無断でマーロウの森に住んでいるのか?」


 この森一帯は、隅から隅まで祖国ロギヴェルノの領土。それを、地方町村の数や人口、土壌の質や納税率、中央政府からの距離や影響力から勘案して分割し、諸侯に封土として与え管理させていた。我が父もその一人。だからその地の領主の許可なくして、無断で侵入したり、木を切って薪にしたり、勝手に猪を狩れば、大罪に問われることとなる。つまり俺のことだ。


「細けぇこたぁ気にすんな、オマエもおたずね者のくせに。バレなきゃオレの天下よ、ここいらはよ」


「とりあえず、お前の庭が途方もなく広いってことは分かったよ」


 本当に、どこまでがお前の庭だと言うんだ。緩行とはいえ、追手から逃げ続けて小一時間は経つぞ。ただ、ティルの言う通りでもある。この身はすでに血で染まっている。もはや汚泥だろうと、肥溜めだろうと、這って塗れて進むのみ。俺にはそれしか残されていないから。


 とはいえ、このまま強行したところで、ティルの隠れ家にも着かず、野営の準備もままならぬうちに日が沈んでしまうのは、よろしくない。


「今日のところはこの辺で夜営とするか。その隠れ家とやらはまだ先なんだろ?」


 ティルに打ち止めを持ち掛ける。こういった見通しの利かない危うさを孕んだ選択は、早々に見切りをつけるに限る、というのが人生における経験則だ。なんせ、酒の席では反省に反省を重ねたからな。


「ま、しゃーねぇな。あんまし野宿ってのは好かねぇけど、四の五の言ってられねぇ」


 グレートヒェンを停め、俺とティルを繋いだベルトを外す。低く生え揃った草むらに下乗すると、互いに短剣を引き抜き、慣れた手つきで周囲の木の枝を切り集めていく。


「狩人たるお前が選り好む問題なのか、それ。当然のように受け入れるものかと思ってたけど」


 素直な疑問を投げかけつつ、互いに集めた生木を組み上げて火床を作り、その上に湿った表皮を割いて作った薪を並べていく。


「馬鹿野郎、誰が狩人なんつった」


 魔術も使わずに、鋼でできた火打石でいとも容易く火を熾すような男から、意外な答えが返ってきた。


「え? 違うのか? あれだけ熟れていれば誰だってそう思うだろ」


 森の番人を父に持つ俺をして、ティルの狩猟技術は相当に高度なものだ、と見受けたくらいだ。


「必要だったから身に付いただけだっての、あんなものは」


「言ってくれるよ。それに殺されかけたんだけどな、俺は」


 あれが一朝一夕で身に付くなら苦労はしない。なら、本当の生業は一体何だと言うんだ? たった今そうやって整備している弩だって、一般市民がそう易々と所有できるもんじゃない。


「で? お前は一体何者なんだ?」


「んな大それたもんじゃねぇよ。ただ、親父が名うての金匠なんだ。オレの本業もそっちだ、狩猟じゃねぇ」


 そういうことか。金属加工を生業としているなら、弩や矢だって己の腕で用意できるもんな。


「へえ、驚いたな、金工職人ね。鍛治か? 鋳物か?」


「彫り師だ」


 彫金だって? また妙な仕事だ。きめ細やかな装飾を施した細工品の中でも、金細工ともなれば、その殆どが貴族向けに流通するもの。庶民が手にできるものじゃない。魔力を込めるだけで魔術を引き起こす《魔石》の加工も、彼ら金細工職人から派生したものだ。


「金細工か、道理で小器用なわけだ」


「喧嘩売ってんのか? まあ、おかげさまで道化師まがいの芸当も食い扶持の一つだけどよ」


「でもお前、こんなところで道草食ってていいのか? いや、道案内には助かっちゃいるが、親父さんの手伝いはしなくていいのか?」


 金細工職人であれ何であれ、職人ならば工房に籠もって製作に没頭するのが常だ。ましてや、父と子の関係であれば、生まれ持っての師弟関係がもれなく付いて回る。いや、それも勝手な思い込みか?


「アイツはさ、いつの間にか居なくなってたんだ。そもそも、オレなんかよりもよっぽど頓着のねぇ流浪野郎だったし。それにオレは、実の息子じゃなかったからな」


「拾い子か……捨てられた、ってことか?」


「違ぇよ……いや、多分違ぇ。オレが独り立ちできる歳になったから、出ていったんだ。槌も鋸も鑢も、工房ごと残してよ」


 そういうことか。ティルが独り立ち出来るまでに、彼の義父は生きてゆく為のあらゆる術を伝承したんだ。その中には、金工職人としての技術だけじゃなく、文字通り独りで生き抜く為の狩猟技術も含まれてたんだ。

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